どうしてこんなに、教育にお金がかかるのだろう――。義務教育年齢の子どもを抱え、そんなため息をつく保護者も少なくないはずだ。文部科学省の最新調査によると、保護者が負担する、「給食費」および学校で必要な教材などに使う「学校教育費」の年間平均額は、公立小学校で1人当たり約10万4000円。公立中学校では約17万7000円になる。政府や自治体の予算に急速な増加は望めず、保護者の家計も楽ではない。ならば、負担減を現場でなんとかやってみようと、アクションを起こす人たちがいる。経理や財務のプロでもある学校の事務職員たちだ。小さな、本当に小さな取り組みかもしれないが、熱意あふれる彼らに密着した。(文と写真・益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
1本、たった百円程度の苗だけど……
横浜市都筑区の市立南山田小学校には、校庭の片隅に花壇がある。そこでナスが育っていた。同校の事務職員・青木雅史さん(36)は「この苗の代金は以前、保護者に負担してもらっていたんです」と言う。着任した2012年度に見直し、今は学校のお金で購入している。
青木さんは事務職員であって教壇に立つことはないが、「保護者の経済的な負担を減らすこと。それを心掛けています」と話す。
学校活動で必要なものは原則、市から配当される資金(公金)で賄う。
しかし、公金ですべてをカバーできるわけではなく、必要に応じて保護者からもお金を徴収する。公金の使用は事前の手続きが必要で、機動的に使えない面もある。必要なものをすぐに準備したり、少量で済んだりする場合は、準公金扱いの保護者負担金を利用するケースが珍しくない。
青木さんは言う。
「公金が増えないなか、保護者からの徴収金を減らすと教育に支障が出ます。そこで、保護者負担だった過去の支出の項目を一つ一つ洗い直しました。許される範囲で公金から出せないか、精査したわけです。ナスの苗もその一つです」
ナスなどの野菜の苗は、2年生の生活科の観察用だ。以前は、保護者から徴収したお金を充てていた。実ったナスを家庭に持ち帰ることを考えると、個人負担が適切という考えもあったからだ。ホームセンターなどで購入すると、ナスの苗は1本100円程度。それでも負担の軽減にこだわったという。
「れっきとした教材だから、公金で買うべきではないか、と」
青木さんはさらに続けた。
「準公金(保護者負担金)の管理は教員が担っていて、使った内容を年度末に保護者に報告するんですね。それを細かく見ていくと、『こういうものを買ったんだ』と、公金担当者の私も分かります。その中に公金で用意できるものが交じっていないか、注意します。各学校には裁量もある。公金扱いになったナスは、その成果ですね」
公金であれ、準公金の保護者負担金であれ、必要な物品の購入費をできるだけ抑えることが大切だ。
南山田小学校の事務室には、教材などのカタログがぎっしり詰まった書棚がある。教員や職員が頻繁にそこを訪れ、ページをめくっては青木さんに相談する。10円単位、1円単位での比較もいとわない。
学校の予算を「見える化」する
横浜市では、事務職員による学び合いが1950年代から続いているという。現在の「横浜市公立学校事務職員研究協議会」には約650人の会員がいる。現行制度の枠内で、事務職員に何ができるかを研究する目的だ。市立の小中学校や特別支援学校などの事務職員が対象で、任意団体ながらその約9割が参加しているという。
青木さんは「学校のお金、予算については特に重要なテーマです。それを研究する委員会に私も参加してきました」と明かす。その委員会の2016年度の発表テーマは「学校のお金のトータルマネジメント」。義務教育に必要なお金の一部を保護者に依存しているという現状を出発点とし、どんな工夫ができるかの話し合いを続けた。
これとは別に横浜市は現在、学校予算の「見える化」に取り組んでいる。市立の各校がホームページを利用し、予算と決算などの情報を掲載しているのだ。
南山田小学校のページをのぞいてみると、市から配分された2018年度の公金は約1100万円だった。ページには予算の編成方針も掲載。「保護者の経済的負担をできるだけ軽減します」「児童が使用するファイルや観察用植物を公費で負担します」などと記されている。
学校側の裁量で使える予算制度
事務職員の仕事には、自治体ごとに細かな取り決めがあり、お金に関する実務も自治体によって大きく異なる。その点、横浜市の場合は「枠内総額裁量予算制」が導入されており、定められた総額の範囲内であれば、使途を学校側が決めることができる。校長のリーダーシップで学校の実情に合わせた予算執行を可能にする仕組みで、2005年度に始まった。
その内容を詳しく知るため横浜市教育委員会を訪ねると、事務局課長補佐の坂田和行さん(45)が対応してくれた。
「(裁量予算制を)導入した理由ですか? 背景は税収の減少です。どこの自治体も似ていると思いますが、税収減にどう対応するかは大きな課題。横浜市では分権化して現場の裁量に任せる方針が示され、教育行政にもそれが適用されたんです」
「学校数が500にも上るという横浜市特有の事情もあります。教育内容は文科省の学習指導要領に沿っているので、どの学校も同じです。でも、その他の面、例えば、校外活動や地域とのつながりなどは、それぞれに特色がある。ですから、施設の修繕や備品購入も含め、一律の管理は難しいんです」
予算執行の裁量権が増えたため、事務職員の力も重要になってきた、と坂田さんは話す。
「事務職員は各校に1人の配置がほとんどです。個人の力量に頼っている面は否めません。事務職員の意識が高く、知識も豊富だと、裁量制の良さが発揮できる。私はそう思います」
事務職員の養成課程 大学に新設
学校事務職員の総合的なレベルアップを目指す試みは、横浜市以外でも始まっている。
愛知教育大学准教授の風岡治さん(54)は2018年の春、学校事務畑から転身した。教育支援専門職、つまり事務職員らを養成する全国でも珍しい課程が前年、この大学に新設されていた。教育ガバナンス講座を担当し、例えば、「貧困家庭への配慮」「保護者負担の軽減」などの面で事務職員に何ができるか、を教えている。
「この講座ができる時、大学側は『事務職員を育てたい』と明確に打ち出していました。大学レベルの専門的な知識を身に付けた人材を養成すれば、私たちがずっと考えていたような学校事務の役割を彼らに託すことができる、と。そう考えましたね」
風岡さんは1984年、事務職員として愛知県内の公立学校に着任した。「公務員になりたい」という程度の理由だったという。
その後、教育現場で働き、社会人入学した大学院で学校経営を研究するなどして、事務職員という職業に対する考えは大きく変わっていく。出向した文部科学省では、多様な人材が専門性を生かして能力を発揮する「チームとしての学校」という考えにも触れた。
「学校にはたくさんの問題があります。それらの解決に際しては、実は事務職員にできることが相当ある。この職業は、子どもが抱える課題すべてに関わる仕事なんです。例えば、事務職員はいろんなお金の手続きを手掛けるので、家庭から持参するお金の遅れなどから、生活保護や就学援助の必要性にいち早く気付くことができる。すると、迅速な支援も可能になります」
事務職員には授業がない。風岡さん自身、その立場を生かして、学校に来ない子どもを自宅へ迎えに行ったこともある。「ただ、そうした重要性はまだ十分に認識されていませんね」と風岡さんは言う。
採用やキャリアパスの在り方も課題だという。
「応募条件は自治体によってまちまち。『高卒程度』もあれば、『大卒程度』もある。最初から『学校事務職員』として採用する場合、一般職員として採用し人事異動で数年間だけ着任させる場合……。横浜市は学校事務職員として大卒者を採用していますが、採用する側が専門性を求めるか否かで、結果的に学校現場に差が生じるわけです」
「学校事務にできることはこんなにある」
「学校事務にできることはこんなにある」――。それをツイッターなどのSNSで発信し続ける人もいる。埼玉県の川口市立小谷場中学校の事務職員、栁澤靖明さん(36)。2016年には『本当の学校事務の話をしよう──ひろがる職分とこれからの公教育』も出版した。
「事務職員にできること」はたくさんあるが、やはり、お金に関係する部分が多い、と栁澤さん。大事なのは前例に惑わされず、常に「本当に妥当か」を考え抜くことだという。
「2018年度は、1年生の補助教材費などが年間で1万8000円になりました。ここに着任した2015年度は2万8000円でしたから、1万円の削減。つまり、保護者の負担が3年前より1万円減ったわけです」
義務教育は憲法の規定で無償とされており、授業料や教科書代は全額、公費で賄われる。ただし、実験用具や副読本、給食費などはその限りではなく、保護者の負担も生じる。特に教材は教員ごとに使用したいものが異なるため、保護者の負担額は教員の判断にも左右される。
そのため、小谷場中学校では、購入した教材が本当に授業に役立ったかどうかを確認するため、2学期には中間ヒアリングとして、事務職員の栁澤さんが教員一人ひとりと面談する。3学期になると、教員に「費用対効果検証シート」を配り、4段階で評価してもらう。そうした工夫が実ったという。
教職員との日常的なコミュニケーションを何よりも大事にしている。
「事あるごとに、です。研修の時間をもらったり、プリントを配ったり。煙たがられることもありましたが、基本的に、お金のことはみんなあまり知りません。だから事務職員は、まず率先して啓発しなくちゃ、と思います」
栁澤さんは子どもや保護者にも情報を発信している。
よくある「保健だより」「給食だより」のように、学期ごとに「でんしょ鳩」というタイトルの便りを発行し、子どもに持たせる。話題は、学校運営に関わる予算の仕組みや備品の購入計画など、親しみやすいイラスト付きだ。その中では必ず、経済的に苦しい家庭を支援する「就学援助」制度も紹介するという。
「川口市では、給食費は全額、修学旅行費もほぼ全額、支援を受けることができます。その他、学用品も。就学困難な家庭への支援制度なので、申請しづらい保護者がいるかもしれません。でも、必要な家庭がちゃんと利用できるように周知しないと」
この中学校に3年生の長男を通わせている益英里さん(41)は「栁澤さんの話で気が楽になりました」と振り返る。益さんは就学援助を利用している。
「制度を知ってはいましたが、入学説明会の時、栁澤さんが明るく説明していて……。申請していいんだ、という前向きな気持ちになったんです」
以来、手続きなどのため、度々事務室を訪れるようになった。「でんしょ鳩」も必ず読む。
益さんは言う。
「例えば、保護者負担金は口座からの引き落としですが、この前、引き落とし手数料が一部値上げされるとき、各銀行の料金を調べて比較し、『どの銀行がいいか』と全家庭の希望を聞いてくれたんですね。そんなことまで、と思いました。家庭ごとに銀行がばらばらになると、職員の手間は増えるはずなのに」
「学校のお金なんて関心がなかったし、保護者の負担額が学校によって違うことも全く知りませんでした。学校が提示した額は全部、そのまま受け入れてた。でも、栁澤さんが『これ、本当に要るのか』と支出を精査していくのを見て、そうじゃないんだ、と。家庭でも企業でも、無駄は削減しますよね? それが常識。保護者負担金も学校全体の予算も、チェックが必要だと気付きました。あまり知られていませんが、学校の事務職員って大事な仕事ですよね」
益田美樹(ますだ・みき)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。
英国カーディフ大学大学院(ジャーナリズム・スタディーズ専攻)で修士号。
[写真]撮影:益田美樹