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退避は、もうほぼ時間切れ。24ヵ国の自国民とアフガニスタン関係者らの避難状況は。日本との比較。

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家
アフガニスタンのハミド・カルザイ空港で米空軍C-17で退避するアフガン人。22日(提供:U.S. Air Force/ロイター/アフロ)

アメリカ軍は、最後の数日は軍事力(軍人)と軍需品の撤退を優先させるーー必要に応じて、8月31日までカブール空港からの退避を継続としながらも、アメリカ国防総省はこのように述べた

これで合点がいった。

筆者は、なぜフランスは退避を急いで26日や27日に設定したのだろう、8月24日に6000人のカブール空港の米軍を撤退させるという情報があったので、そのためだろうか、最後の混乱を避けるためだろうか・・・等々考えていたのだった。

他の国々も、27日を最終期限と考えたようである。

以下は、ロイター通信が報じた、米欧をはじめとする各国の避難状況である。大まかなことを知ることができる、大変興味深い内容だ。さらに、別の情報源からも国を足して、紹介する。

リストにあるすべての国において、自国民の救出は全員成功したのか、亡命を希望するアフガニスタン人や外国人の協力者とその家族の退避はどのくらい成功したのか、わかるといいのだが、なかなか難しいようだ(さらに「現地の協力者」をどういう人に設定したかも、知りたいところだが)。

ホワイトハウスの27日(金)の発表によると、タリバンがカブールに侵入する前日の8月14日以降、米国と友好国は、約10万5000人を避難させたという。

◎アメリカ合衆国

アメリカは、これまでに4500人の米国民とその家族を避難させたと、ブリンケン国務長官が25日(水)に発表した。

アフガニスタンにはまだ約1500人の米国市民がおり、米国政府は彼らに連絡を取るか、すでにカブール空港への行き方を伝えていると、ブリンケン氏は述べた。

(注:『ニューヨーク・タイムズ』の情報によると、アメリカとアフガニスタンの両方の国籍をもっている人々がいて、アフガニスタンで在留登録をしていない人がいるので、何人米国民がいるのか、正確に把握できないとのこと。これは、アメリカ人ほど人数が多くなくても、他の二重国籍を認めている国でも起こっている問題に違いない)。

◎カナダ

カブールに駐留するカナダ軍は26日(木)、自国民とアフガニスタン人の避難活動を終了したと、統合参謀長代理のウェイン・エア将軍が発表した。

同氏によると、カナダは約3700人のカナダ人とアフガニスタン人を避難させたか、避難を促したとのこと。

◎英国

英国国防省の27日(金)の発表によると、英国軍はカブールからの人々の避難の最終段階に入り、退避を促す段階は終了した。

今後は英国人や、すでに出国の準備ができていて、空港にいる人々の避難に努力を集中する。これ以上、空港への避難を呼びかけることはないという。

同省によると、これまでに英国は1万3700人以上の英国人とアフガニスタン人を避難させており、これは1949年のベルリン空輸に次ぐ、英国空軍による大規模な空輸である。

ベルリン空輸とは:東西冷戦のなか、1948年6月、西側の通貨改革に反発したソ連がベルリン封鎖を実施した。孤立して「陸の孤島」となった西ベルリンに対し、アメリカと同盟国は「大空輸作戦」で物資を投下し、危機を救った。1949年5月までの15ヶ月にわたり、投下は延べ27万回、総輸送量183万トンに達し、西ベルリンの市民生活と占領軍を守った。

◎ドイツ

ドイツは26日(木)に避難を終了した。ドイツ軍は4100人以上のアフガニスタン人を含む、5347人を避難させた。

ドイツは以前に、アフガニスタンの現地スタッフやジャーナリスト、人権活動家など、避難が必要な1万人を確認したと発表していた。なお、ベルリンの外務省報道官は27日、約300人のドイツ人がアフガニスタンに残っていると述べた。

◎フランス

フランス国防省によると、26日(木)夜の時点で、100人以上のフランス人と2500人以上のアフガニスタン人が、カブールから避難してフランス国内に到着した。(人権活動家や、ジャーナリスト、芸術家を含んでいるという)

◎イタリア

イタリアは、26日までに4832人のアフガニスタン人が、アフガニスタンから脱出したと発表した。大体4575人がイタリアに到着した。ディ・マイオ外相は記者団に対し、イタリア政府は、最後の避難便が 27日(金)遅くにアフガニスタンを出発する予定と述べた。

◎スウェーデン

スウェーデンのリンデ外相は27日(金)、カブールでの避難任務を終了したと発表した。リンデ外相によると、現地で雇用されている大使館員とその家族を含め、合計1100人が避難した。

◎ベルギー

デ・クロー首相は木曜日、ベルギーが避難活動を終了したことを発表した。1400人強の人々が避難し、最終便は25日(水)の夜に、パキスタンの首都イスラマバードに到着したとのこと。

◎アイルランド

アイルランド外務省は、26日(木)に緊急領事団の活動が終了し、36人のアイルランド市民を避難させたと発表した。

現在判明しているのは、アイルランド市民とその家族約60名、さらにアイルランドの居住権を持つアフガニスタン国民15名が、アフガニスタンにとどまったままであり、支援を求めているが、これは当初の予測をはるかに上回るとしている。

◎ポーランド

モラヴィエツキ首相は24日、女性300人、子供300人を含む約900人をアフガニスタンから避難させたと発表した。

◎ハンガリー

ハンガリーのベンコ国防相は26日、ハンガリー市民と、以前ハンガリー軍で働いていたアフガニスタン人とその家族など540人を輸送し、アフガニスタンからの避難を終了したと発表した。

◎デンマーク

国防省によると、デンマークは25日(水)に、残っている外交官と軍人を乗せた最後の避難便をカブールから出発させた。

同省によると、デンマークは8月14日以来、外交官やその家族、元通訳者、デンマーク国民、そして同盟国の人々など、約1000人をアフガニスタンから退避させた。

◎オーストリア

オーストリアは独自の避難便を運航しておらず、ドイツをはじめとする諸外国に頼っている。シャレンベルグ外相は、25日(水)に公共放送ORFに対し、オーストリアの市民権または居住権を持つ89人が空輸されたが、他の2、3ダースの人(24〜36人)はまだアフガニスタンにいると語った。

(注:永世中立国だから、独自の避難便がないのだろうか)。

◎スイス

ドイツと米国の支援を受けているスイスは、292人をアフガニスタンからウズベキスタンの首都タシケント経由で脱出させたと、カシス外務大臣は24日発表した。アフガニスタンにはまだ15人のスイス人がいるが、これ以上のスイスの避難便は予定されていないという。

(注:こちらも永世中立国だからだろうか)。

◎オランダ

オランダ政府は26日、8月15日以降、アフガニスタンから2500人を避難させ、そのうち約1600人をオランダに連れてきたと発表した。オランダ大使は26日、最終便でアフガニスタンを出発した。オランダにはもう外交官は残っていない。

◎スペイン

スペインは、アフガニスタンからの人々の避難を完了したと政府が発表した。

政府の発表によると、27日(金)の早朝、カブールを離れた81人のスペイン人を乗せた最後の2機の軍用機が、ドバイに到着した。中には、4人のポルトガル人兵士と、NATO加盟国のために働いていた83人のアフガニスタン人も乗っていた。

スペインは今回の救助任務で、欧米諸国や国連、欧州連合(EU)で働いていた1898人のアフガニスタン人を避難させた。

(スペインは今回、国連・EU・NATO関係者と、かなり国際色の強い救助任務についている。おそらくスペイン人でEU外務・安全保障政策上級代表のボレロ氏が働いたのだろう。もちろん、フランスなど、他の国も行っているが)。

◎トルコ

トルコのチャヴシュオール外相は今週の初め、約1000人のトルコ国民を含む、少なくとも1400人をアフガニスタンから避難させたと述べた。

◎カタール

カタールは26日(木)、これまでに4万人以上の人々をドーハに避難させたと発表し、「国際的なパートナーと協議しながら、今後数日間、避難の努力を続ける」と述べた。

◎アラブ首長国連邦

UAEは26日(木)、これまでに3万6500人の避難を支援したと発表した。そのうち8500人は、UAEの国営航空会社や空港を経由してUAEに到着した。

◎インド

インドはアフガニスタンから565人を空輸した。そのほとんどは大使館員や現地在住の市民だが、アフガニスタンのシーク教徒やヒンズー教徒を含む数十人のアフガニスタン人も含まれていると、政府関係者が匿名を条件に述べた。

◎オーストラリア

オーストラリアのモリソン首相は27日(金)、9日間でオーストラリアは4100人を避難させたが、そのうち3200人以上は豪市民と、同国のビザを持つアフガニスタン人。予定されていた最後のフライトは、空港襲撃前だったと述べた。その他の避難者は、 同盟パートナーからの避難者である。

また、首相は、オーストラリアの現地での作戦は完了したと言った。オーストラリアのビザ保有者の一部がアフガニスタンに残っていることを認めたが、国は正確な数を把握していないと述べた。

◎ニュージーランド

ニュージーランド国防軍(NZDF)は、カブールから3便のフライトを運航して、最後に予定されていたフライトは、テロ攻撃前に出発したと、政府の声明で発表された。

爆発時にカブールにいた国防軍の人はおらず、カブール空港内にニュージーランドの避難者はもういなかった。暫定的な数字によると、少なくとも276人のニュージーランド国民および永住権保持者、その家族、その他のビザ保持者が避難したという。

※次からは、別の情報源です。

◎韓国

シャーマン米国務副長官が、22日の会議で、解決策を提示したという。米国が取引しているアフガニスタンのバス会社に協力者を乗せ、そのバスを米軍とタリバンが一緒に守っている検問所を通過させるというものだ。

韓国大統領府などによると、韓国大使館や韓国国際協力団などで働く現地スタッフとその家族は427人。24日は26人しか空港に入るのに成功しなかった。この日は歩いて空港に行った(23日という報道もあるが、報道の多さから24日のようだ)。

そこで、前述の会社のバス6台を確保。情勢悪化を受けカタールに避難していた大使館員4人がカブールに戻って直接交渉にあたり、各国とのバス「争奪戦」を勝ち抜いたという。25日、米軍側が指定した空港外の複数の待ち合わせ場所に対象者を集合させ、バス移動で検問を通過したという。

バスの中には米軍兵が乗っており、検問ではタリバン側と直接交渉を行うなど協力を得て、空港に入ることができたということだ。

カブールに戻ったキム公使参事官は、帰国後のインタビューで「空港に行く途中でタリバンにバスを止められ、14~15時間、閉じ込められた」と述べた。

26日、390人が韓国・仁川国際空港に到着した。

◎ロシア

25日から26日にかけて軍の輸送機、4機をカブールに派遣し、ロシア人のほか友好国のベラルーシ、タジキスタンなどの市民あわせて500人以上を、ロシアや中央アジアなどに退避させたとしている

※ちなみに、中国に関する情報はみつけられなかった。

そして日本はーー

15日

アフガニスタン大使館を一時閉館。トルコのイスタンブールに臨時事務所を設置。残っていた大使館の館員12名は、17日、友好国(英国)の軍用機によりカブール空港から出国し、アラブ首長国連邦のドバイに退避した。

(以下、NHKのサイトによる)

23日

・正午すぎに、岸防衛相が「在外邦人等の輸送」を命令。

・C2輸送機1機、自衛隊員を乗せて出発。

24日

・アフガニスタンからの人々を輸送する目的であるC130輸送機2機が出発。

・政府専用機(通常の旅客機型)を追加で派遣することに決定したが、25日には出発に向けて準備を進めていた愛知県の小牧基地を離陸し、運用する部隊が所属する北海道の千歳基地に戻ってしまった(?謎である)。

・C2輸送機1機が、隣国パキスタンのイスラマバードに到着。

25日

・C130輸送機2機が、隣国パキスタンのイスラマバードに到着。これで3機が隣国に着いた。

・C2輸送機がカブール空港に到着、自衛隊員を送り届けた。

しかし、退避を希望する人が空港にいればイスラマバードまで輸送する予定だったが、空港に到着できておらず、現地時間25日は輸送は行われなかった。

26日

・前述の、謎の政府専用機が、千歳基地から小牧基地へ。そしてパキスタンへ出発。

・カブール空港で自爆テロ。

退避希望者数百人が20台以上のバスに分乗し、首都カブールの空港に向けて出発したものの、空港付近で発生した大規模な爆発により、移動を断念していた。

27日

・政府専用機が、パキスタンに到着

・岸防衛相が、爆発後も自衛隊活動は継続するが、現地で活動できる期間は限られ、事実上、27日までになるという認識を示した。

・アフガニスタンからの退避を希望している日本人1人が、首都カブールの空港に自力で到着し、同日夜、自衛隊の輸送機で隣国パキスタンの首都イスラマバードに向けて出発した。

日本人が自衛隊機で退避するのはこれが初めて。

この原稿を書いているのは、28日の未明の真夜中だが、日本人1人(共同通信と契約している女性ジャーナリストとのこと)が退避したという以外の避難情報は報告されていない。

大山鳴動して・・・

タリバンの広報官は、「米英と異なり、日本人は人数が少ないのだから、期日までに退避するのは難しくないだろう」と言っていた。日本向けのアフガニスタン人の協力者や家族は数百人で、約500人という数字の報道もあった。

確かにこうして各国を見てみると、仮に500人だったとしても、大変少ないほうに入るのがわかる。ハンガリーに似ているだろうか。EU内ではやれ反動だ、やれ極右だと批判されることの多いオルバン政権であるが、それでも500人の退避は成功させた。

日本のスピリットは、このリストだけ見ていると、アイルランドやニュージーランドに近いのかもしれない。どちらも島国だが・・・。

筆者は、「日本は、もし500人のアフガニスタン人とその家族を退避させたとして、どこに連れて行くのですか」という記事を書く予定だった。完全にお蔵入りとなりそうなので、一部以下に書きたいと思う。

退避させた数百人の人々は、まさか他国に難民として任せて、日本はしらんぷり、なんてことはないでしょう。

いつもの難民認定のように、極度に厳しく審査して、ありえない証明書を要求し、認定を拒否などということは、今回は邦人スタッフが同時に逃げているのですから、無理そうです。

日本の2000年度の難民受け入れ数はたったの47人、2019年は44人でした。先進国にあるまじき低さです。

でも筆者は「経済移民を受け入れるべき」という議論には、まだ自分の結論が出ていません。外国人の受け入れがなければ、日本が平和と繁栄を維持するための外交大国になることはできないし、経済大国を維持できないに違いないのは承知しています。

でも、フランスでの活動を通して、移民との多様性に満ちた共生社会がいかに難しいか知っています。日本人に乗り越える能力があるのか、乗り越える必要があるのか、国が傾くのは覚悟の上で日本独自路線という選択もあると、考えが決まらないためです。

でも、今回の場合、日本のために働いてくれていた彼らは、日本のことをよく知っている人たちです。難民といっても、将来的に日本とアフガニスタンや同地域、イスラム世界との架け橋になってくれることが大きく期待できる人材だと思います。

でも、こんな心配をする必要はなかった。この心配が必要なレベルにすら、日本は到達していなかった。軍用機3機に政府専用機1機が送られ、救出は日本人たった一人に、アフガニスタン人はゼロ(今のところ)。しかも、まだ日本国民が数人残っていることになる。

「大山鳴動して、ねずみ1匹」というのは、こういう状況をさすのだろうか。

いくら外国人救助が初めてのことといっても、このような政府をもって、自衛隊員が気の毒でならないし、一国民として、あまりにもがっかりだ。

米政府はバスの提案を友好国に対して行ったと思われ、韓国は成功させているではないか。なぜ「在外邦人等の輸送」の命令をするのが23日と、異様に遅かったのか。

※以下、追記

時事通信の報道では、「政府は当初、退避希望者の空港までの移動手段について、『各自で確保していただくしか仕方ない』(岸信夫防衛相)としていた。しかし、イスラム主義組織タリバンが24日にアフガン人の出国を認めない考えを表明したことを受け、方針を転換。」とあった。

しかし、24日に方針転換したのなら、なぜ岸防衛相の輸送命令は23日なのだろうか。

繰り返すが、シャーマン米国務副長官が韓国に、バスによる解決策を提示したのは22日である。そして翌日23日に、岸防衛相の輸送命令が出た。

そして結局日本は、26日に韓国と同じに見える「バスによる空港入り」を行ったが、テロにより失敗。

どこが政府の失敗で、どこが憲法や法律の制約なのだろうか。冷静に検証する必要があるだろう。

この国を、一体どうすればいいのだろうか。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者、作家

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省関連で働く。出版社の編集者出身。 早大卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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