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「本当にこんなことが…」映画『工作 黒金星と呼ばれた男』監督が語るスパイが明かした衝撃の実話

桑畑優香ライター・翻訳家
「工作員になれ」――国から言われ、男は北朝鮮に潜入する。主演はファン・ジョンミン

韓国には「北風が吹く」という言葉がある。

選挙や政権の危機が迫ると、北朝鮮に関する事件が起き、国民世論が変化するという意味だ。

「北風」は、偶然か、何者かによる工作か。隠された歴史の闇をえぐる韓国映画が公開中だ。

北朝鮮への潜入捜査を命じられた韓国のスパイを描いた『工作 黒金星と呼ばれた男』。韓国のスパイ史上最も成功した対北工作員として知られる人物、コードネーム“黒金星”が90年代に実際に遂行した工作活動の実態と、地球上で唯一、一つの民族がいまだ冷戦中である国の裏を暴く。

実在する“黒金星”に取材してシナリオをまとめたという、ユン・ジョンビン監督にインタビュー。事実に肉薄する作品作りの背景や、現在の南北関係に対する思いを聞いた。

1979年生まれ。軍隊問題を正面から扱った大学の卒業制作『許されざるもの』(05)でデビュー。代表作に『悪いやつら』(12)、『群盗』(14)など。また、俳優として『春の夢』(16)に出演
1979年生まれ。軍隊問題を正面から扱った大学の卒業制作『許されざるもの』(05)でデビュー。代表作に『悪いやつら』(12)、『群盗』(14)など。また、俳優として『春の夢』(16)に出演

――『工作』を撮ろうと思ったきっかけは。

ユン・ジョンビン監督:もともと他の作品の準備をしていて、安全企画部について調べていました。その過程で、偶然、雑誌の特集記事で黒金星について知り、興味を持ちました。ドラマチックだと思ったのと同時に、「本当にこんなことがあったのか」と。

――実在の人物の実話を描くために、アプローチした手法とは。

ユン・ジョンビン監督:基本的なリサーチは本人が書いた手記をベースにしました。黒金星ことパク・チェソさんは、映画の企画を始めた当初は収監中でしたが、コンタクトしたところ、自分の体験を手紙に書いて送ってくれたのです。安企部のスパイとして提案を受けた瞬間から、最後に広告の撮影をするまでの話でした。多くのエピソードが衝撃的でしたが、一番驚いたのは、大統領選挙を前に与党がお金を使って北の挑発を誘発したという部分でした。

――その話を聞いたときに、「これは映画にするべきだ」と確信したのでしょうか。

ユン・ジョンビン監督:おっしゃる通りです。

――実際の黒金星であるパク・チェソさんには会いましたか? 映画製作にどんな影響がありましたか。

ユン・ジョンビン監督:映画を作ろうと決めてから2年ほど経った時に、釈放されたパク・チェソさんに初めて会いました。本人に会った印象は、何を考えているのか全く表情の読めない人だということ。そういった印象は、映画の主人公パク・ソギョンにも投影したいと思いました。

南と北の間で起きたスパイ戦の実態を、韓国映画として初めて描く『工作』。

監督がこだわったのは、“リアリティ”だった。ファン・ジョンミン扮する主人公パク・ソギョンの衣装は、どんな季節、どんな席でも適度に合うトレンチコートで、スパイの典型的なイメージを作り出すとともに、一般的なスパイ映画で感じる強さよりは、群衆の中に混じった時に浮かない姿を作り出すことをミッションにした。

北朝鮮で黒金星と金正日総書記が対面するというシーンでは、『メン・イン・ブラック3』『アイ・アム・レジェンド』などで特殊メイクを手掛けた海外のチームが、金正日総書記の生前の姿を本物そっくりに再現。また、リサーチを重ね、北朝鮮の街並みや空気感も忠実に作り上げた。

ユン・ジョンビン監督:映画が始まってから40分くらい経ったところで平壌のシーンに入るのですが、観客の緊張感、集中力を壊してはいけないと思い、最大限にリアルな平壌の姿を描こうと努力しました。ご存知の通り、韓国の国籍を持つ我々韓国人は、世界で唯一、北朝鮮に行くのがとても難しいのです。北朝鮮で撮影をすることはできないので、さまざまな方法で最大限に平壌に見えるようにプロダクションデザインやセットを組みました。北に関する資料などは韓国国内外にたくさんありますし、韓国には脱北者の方もたくさんいるので考証自体は難しいことではありませんでした。それをいかに具現化するかがとても大変でした。

――金正日総書記の飼い犬など、ディテールも印象的でした。

ユン・ジョンビン監督:犬好きで、いろいろな種類を飼っているという脱北者の回顧録を参考にしました。白いマルチーズの子犬を訓練して出演させるのに2500万ウォンかかり、周りのスタッフに反対されましたが、私がこだわってキャスティングしたんです(笑)

黒金星は3年間の工作活動が実を結び、ついに最高権力者である金正日総書記に接見する
黒金星は3年間の工作活動が実を結び、ついに最高権力者である金正日総書記に接見する

『工作』のもう一つの特徴は、派手な銃撃戦などが登場する既存のスパイ映画とは異なり、アクションシーンが一切ないということだ。「もともと一つアクションシーンを撮影していたが、最終編集でカットすることに決めた」と、監督は明かす。

ユン・ジョンビン監督:一般的な南北関係の映画で、争いながらも楽しそうなのが嫌だった。だから、そういう風にはしたくなかったんです。また、スパイ映画の緊張感というのは、スパイの正体が知られるか知られないかというところで効果的に緊張感が表れると思っています。それを描くために、同じパターンではないいろいろな方法で、危機を描ければいいなと考え、シナリオの段階からすごく悩んで作業しました。

――韓国公開時には、“マウス・アクション(言葉のアクション)”と表現していたそうですね。

ユン・ジョンビン監督:黒金星を演じたファン・ジョンミンさんと北朝鮮の対外経済委員会・所長に扮したイ・ソンミンさんとは、役作りについてかなり話し合いました。

この映画の一番大きなルールとして話したのは、「上映時間137分のうち、最初の90分間は2人のキャラクターがわからないように演技してほしい」といということ。何を考えているか見えてしまえば、その後の行動の予測ができるし、それによって緊張感が落ちるので、ポーカーフェイスで演じてほしい、と。

俳優たちはとても苦労していました。セリフがすごく多くて、一つ一つの呼吸や動作が合っていないと、場の空気感やニュアンスがしっかり伝わらない作品なので、俳優たちは常に緊張状態にありました。特に、金正日総書記に会うシーンを撮影した時は、まっすぐに相手を見てセリフを言ってはいけないし、セリフも空気を読みながら言わないといけないという条件だったので、とても大変そうでした。まるでロープで体を縛られているようだと俳優たちが言っていたくらいです。

北朝鮮の国家保衛部・課長役にはチュ・ジフンを配した。「作中で唯一自由なキャラクター。エリートの家で育った権力層の息子という雰囲気に合っていた」というのがキャスティングの理由
北朝鮮の国家保衛部・課長役にはチュ・ジフンを配した。「作中で唯一自由なキャラクター。エリートの家で育った権力層の息子という雰囲気に合っていた」というのがキャスティングの理由

2018年に韓国で公開された本作は、青龍映画賞で監督賞などに輝いたほか、25の映画賞を受賞。カンヌ国際映画祭でもミッドナイトスクリーニング部門で公式招待作品として上映されるなど、高い評価を受けた。だが、製作中には、政治のはざまで紆余曲折もあったという。

――最初は工作員のコードネームそのままの、『黒金星』というタイトルにしようと思っていたそうですね。

ユン・ジョンビン監督:その通りです。もともと『黒金星』というタイトルを想定していたのですが、製作中に外部に知られることを望まなかったので、『工作』という仮のタイトルを付けました。結果、それが上映時のタイトルになったのです。

――なぜ、外部に知られることがNGだったのですか。

ユン・ジョンビン監督:撮影を始めたのは、2016年。当時は、朴槿恵大統領の時代でした。

――作中で「北風を吹かせた」と描かれる政権の流れを引く政府の時期だったため難しかった、と。

ユン・ジョンビン監督:そうです。だから、プロジェクトを外部に知られたくなかったのです。

――韓国と北朝鮮の関係は、今も一進一退を繰り返しているように見えます。南北関係は黒金星の時代と変わったと思いますか。

ユン・ジョンビン監督:南北関係は予測が不可能です。韓国と北朝鮮のみならず、アメリカとの関係にも左右されることが多いので、予測がつかないのは残念であると思います。ただ、黒金星が活動した時期よりは、かなり良くなっているので、今後とも発展的な方向にいくことを期待していますし、希望を持っています。

――本物の黒金星ことパク・チェソさんは、この映画を見ましたか。

ユン・ジョンビン監督:はい。映画が完成した時に、試写会に来ました。「自分が見たスパイ映画の中で最も事実に近く作られている。台本も細部を押さえている」と言ってくれて。それが私にとって、一番うれしい言葉でした。

映画の舞台は1992年から2005年まで。ラストには、スパイと北朝鮮当局者の“意外なエピソード”も描かれている
映画の舞台は1992年から2005年まで。ラストには、スパイと北朝鮮当局者の“意外なエピソード”も描かれている

工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男

シネマート新宿ほか全国公開中

写真のクレジットはすべて(c)2018 CJ ENM CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED

ライター・翻訳家

94年『101回目のプロポーズ』韓国版を見て似て非なる隣国に興味を持ち、韓国へ。延世大学語学堂・ソウル大学政治学科で学ぶ。「ニュースステーション」ディレクターを経てフリーに。ドラマ・映画レビューやインタビューを「現代ビジネス」「AERA」「ユリイカ」「Rolling Stone Japan」などに寄稿。共著『韓国テレビドラマコレクション』(キネマ旬報社)、訳書『韓国映画100選』(クオン)『BTSを読む』(柏書房)『BTSとARMY』(イースト・プレス)『BEYOND THE STORY:10-YEAR RECORD OF BTS』(新潮社)他。yukuwahata@gmail.com

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