「救援ボランティアが農場を襲い…」飢える北朝鮮被災地の生々しい恐怖
7月末の大水害で甚大な被害を受けた北朝鮮だが、5日付の朝鮮労働党機関紙・労働新聞は、「必勝の信念を抱いてぶつかる困難を笑顔で乗り越えよう」との社説を1面に掲載した。
「わが人民は前進の道のりに難関があれど、笑顔で難局を切り抜け、大勝利と奇跡を勝ち取るために奮闘している」(社説より)
この社説について韓国統一省の関係者は、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」のときにも、同様のスローガンが叫ばれていたとし、今回の社説で「難関」という言葉が使われていることは、北朝鮮当局が困難な現状に直面していることを認めた形だと述べた。
その難関が具体的にどれほどのものなのか、全貌は明らかになっておらず、部分的に入ってくる情報をパズルのように組み合わせるしか方法がない。
洪水を起こした鴨緑江の流域では、深刻な食糧不足で窃盗が相次いでいると伝えられている。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。
(参考記事:美女2人は「ある物」を盗み公開処刑でズタズタにされた)
両江道(リャンガンド)の情報筋によると、道内では金正淑(キムジョンスク)、金亨稷(キムヒョンジク)、三水(サムス)の各郡で、朝鮮社会主義女性同盟(女盟)、社会主義青年同盟(青年同盟)、朝鮮労働党の各突撃隊(半強制の建設ボランティア)が鴨緑江の堤防工事を行っている。一方、被災地の住民は、土砂崩れの撤去、道の修復、河川整備の工事に動員されている。
突撃隊は国から食糧が配給されているものの、量が全く足りない。また、被災地の農民は食糧が一切配給されない。それで、まだ熟していないトウモロコシをヒゲごと持ち去ったり、ジャガイモを掘り出して盗んだりして、食べ物を確保しなければならない。
農民は、個人の畑の作物には一切手を出さない。道徳的ではないと考えるからだそうだ。なので、国家共有財産という扱いになる農場の作物を盗む。一方で突撃隊員は農場、個人の畑問わずに作物に手を出す。
そればかりか、収穫に向けてどんどん育ちつつある作物が、荒らされることで成長が止まってしまい、作況に悪影響を及ぼす。
別の情報筋によると、平地の少ない両江道で、大規模な営農が可能な地域は上述の3つの郡ぐらいだ。いずれも鴨緑江沿いの地域で、食べ物がなく、すぐにでも餓死者が出てもおかしくないほどの状況だという。
国からの食糧配給は、家を流された人に限り、1世帯当たりトウモロコシ40キロ、コメ20キロが配られた。4人家族が1カ月食いつなげる量だ。ただ、床上、床下浸水の被害を受けても、家そのものが流されなかった人には何も配られなかった。それも配られたのは先月10日で、そろそろ底をつくころだろう。
また、秋になると山には様々な木の実がなるが、復旧工事に動員されているため、取りに行く時間がないという。結局は、農場の作物を盗んで生き延びるしかない。
盗難の深刻さに農場管理委員会や里(最小の行政単位)の朝鮮労働党委員会は、上部に対策を求めているが、何もしてくれないという。
コロナ前なら、市や郡の安全部(警察署)が武装警備隊を立ち上げ、農場を盗難から守ってくれた。しかし、コロナ禍以降、武器の取り扱いに関する規定が厳しくなり、武装警備隊の立ち上げができなくなってしまった。
腹をすかせた突撃隊員は、棍棒や釜を持ち集団で農場を襲撃するが、警備に当たる農民は怖くて声も出せず、何もできないまま、作物を盗まれてしまう有り様だ。
(参考記事:北朝鮮「骨と皮だけの女性兵士」が走った禁断の行為)
一方、災害復旧工事は遅々として進まない。崩れた土砂を撤去し、石垣を積み上げるものだが、空腹で思うように働けないからだ。
両江道にはまもなく冬が到来する。その前に工事や収穫を終わらせ、住宅を再建し、越冬用の薪や石炭を買い込んで越冬準備をしなければならない。しかし、そんな余裕はない。国からの大々的な支援がなければ、凍死者と餓死者が続出するだろう。