教員採用試験の競争率低下で質が下がるなら 養成制度そのものに問題があるのでは?
教員という職業が不人気だという。8月27日付『日本経済新聞』は、「小学校教員の不人気 深刻」という記事を載せている。
その記事によれば、東京都では今年の採用試験で応募者数を採用者数で割った応募倍率が2.4と過去最低を更新したそうだ。文部科学省(文科省)が4月に発表した調査でも、全国の教員採用試験の受験者数を採用者数で割った受験倍率は、2017年度試験で3.2倍となり過去最低を更新し、7年連続の低下だという。
たしかに、教員志望者が減ってきているといえる。同記事でも指摘しているが、志望者が減っている大きな理由は負担増と長時間勤務にある。英語の教科化やプログラミング教育の必修化など、教員の負担は増えるばかりだ。さらには、残業代も出ないのに過労死ラインを超える残業を強いられる実態も、すでに社会問題化しているにもかかわらず、いっこうに改善の兆しがみえてこない。これでは、教員という職業が敬遠されてしまうのも無理はない。
教員志望者を増やすためにも、働き方改革が急務であることはいうまでもないことだ。
ただし、気になることがある。応募倍率や受験倍率の低下がいわれるときに、「質の低下」が強調されることである。『日経』の記事にも、「(受験倍率が)2倍を切ると教員全体の質に問題が出てくるといわれている」という大学教授のコメントが引用されている。
競争率が低下すると質が悪くなる、といいたいらしい。ここに疑問をもたざるをえない。
教員採用試験の応募者や受験者は、「教育職員免許状(教員免許)」の取得者である。つまり、教員として働いても大丈夫という「お墨付き」をもらっている人たちばかりなのだ。
免許取得者ばかりが応募して受験するというのに、「質」が問題にされるとは、どういうことなのだろうか。「教員免許をもっていても教員の資格があるわけではない」ということなのか。それなら、教員免許という制度そのものに意味がないことになる。
そもそも、「質の低下」をいうときの「質」とはどういうものなのだろうか。どういう「質」が求められているのだろうか。求められている「質」そのものが、もしかしたら問題ではないのだろうか。はたして、それは競争によって確保されるものなのだろうか。応募倍率や受験倍率の低下と「質」とをからめて語ることには問題がありそうだ。
そして全国の受験倍率が過去最低を更新したとはいっても、3.2倍である。受験した3人に2人は教員として採用されなかった、ということだ。免許をもち、負担が大きく長時間労働を強いられる過酷な職場を志願したにもかかわらず、3人に1人しか採用されていないのだ。
この実態こそが問題である。競争率の低下よりも、多くの免許取得者が教員になれない現状こそ見直しが必要である。