彼の挑戦は無謀か?天才クライマーの偉業に密着するドキュメント「フリーソロ」の楽しみ方
開催まで後約1年となった東京オリンピック・パラリンピックでメダルが期待される競技として、俄然注目を浴びているスポーツクライミング。ロープを使わずに地上4~5メートルの壁にセットされたホールドを伝い、登攀を目指すボルダリング、クライマーが自らに繋がれたロープを支点に掛けながら、12メートル以上の壁を登っていくリード、2人の競技者が予め到達点から垂れ下がったロープに繋がれた状態で、登攀までの早さを競うスピード。以上の3競技はどれも、ロープか、落下地点に敷かれたマットで、クライマーたちの身の安全は担保されている。それでも、ボルダリングでホールドを掴み損ねた選手が、一瞬にして地面に落下する瞬間は、そこにマットが敷かれていることが分かっていても思わず身が縮んでしまう。しかし、世の中にはさらに恐ろしいスポーツクライミングが存在する。地上数百メートルもの断崖絶壁を、命綱となるロープや安全装置を一切使わず、手と足だけを使って登っていく究極のクライミング・スタイル、フリーソロだ。
今年のアカデミー賞(R)の長編ドキュメンタリー賞を始め、世界各国の映画祭と映画賞のドキュメンタリー部門を総なめにした「フリーソロ」は、そんな信じがたい偉業に挑戦する実在のクライマー、アレックス・オノルドの行動に密着して、凡人たちが抱く"なぜ?"という根本的な疑問に答えようとする。
オノルドは34歳にしてフリーソロの第一人者として知られる存在だ。そして、彼が登攀を目指すアメリカ、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園の巨岩、エル・キャピタンの高さは975メートル。分かり易く言うと、東京タワーの2.7倍、東京スカイツリーの1.4倍弱、ドバイの超高層ビル、ブルジュ・ハリファの828メートルより遙かに高い。すでにオノルドは70以上もあるというエル・キャピタンのルートの中で、一般的に初登ルートと言われる"ザ・ノーズ"を、2時間23分で登りきって登攀記録を塗り替えている。2012年6月17日のことだ。映画「フリーソロ」では、オノルドが同じエル・キャピタンの前人未踏のルート、"フリーライダー"(前出975メートル)攻略に挑む姿を追っていく。
カメラは、2016年春にオノルドが現地トレーニングを開始し、どのポイントに危険が潜んでいるかをチェックし、同年夏に、実践に備えてモロッコのタギアで練習に励み、秋にエル・キャピタンに戻って現地トレーニングを再開し、翌2017年春、"フリーライダー"登攀に挑むまでを、途中に様々な情報を盛り込みつつリポートする。訓練の途中で、何度も足と手を傷め、怪我の影響なのか、突如計画を断念して地上に戻ってきてしまうオノルドだが、彼は決して無謀な挑戦をしているわけではないことが分かる。ありとあらゆるデータを徹底的に分析し、何が可能(安全)で何が不可能(危険)なのかを、自分自身で突き詰め、納得した上で"フリーライダー"に挑もうとしているのだ。
さらに、オノルドにはその類い稀な性格を育む際に影響を及ぼしたかも知れない家族と、家を持たず、小さなバンで共に暮らす恋人がいることも明かされる。普通、恋人の存在はクライマーの仕事を邪魔すると言われるが、オノルドと恋人のサンニ・マッカンドレスの関係性はそんな範疇には収まらないものだ。また、MRIでオノルドの脳を検査したところ、驚くべき結果が弾き出される。極め付けは、オノルドの特殊な肉体構造である。これに関してはカメラが一瞬抜くだけだが、絶対に見逃せないポイントだ。育った環境、恋人、脳、肉体、以上の4項目は、我々凡人の疑問解消に役立つ情報かもしれない。
特筆すべきは、カメラを携えてオノルドと共に絶壁に張り付き、俯瞰映像を撮るためにドローンカメラを飛ばし、オノルドのチョークバッグに特殊な録音デバイスを忍ばせ、本人の息づかいを克明に伝える撮影クルーの存在だ。自身も登山家である撮影監督のジミー・チンと彼のクルーこそが、オノルド以上に、凡人の発想を打ち砕く奇跡の人々。オノルドと撮影チームの間に築かれた運命のような堅い信頼感なくして、「フリーソロ」はドキュメンタリー映画としてこのような高い評価は得られなかったに違いないのだ。
豊富な経験値と、異色の肉体を武器に危険を凌駕していく天才クライマーの偉業は、同時に、いかなる映画も被写体と撮影隊がいて成立することを再認識させる。これは、オリンピックを直前に控えた今、観るべきスポーツ・ドキュメントであり、映画ファンを映画の基本に立ち返らせる必見の1作である。
フリーソロ
9月6日(金)より、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか、全国順次ロードショー
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