総合型企業年金基金が「フィデューシャリー宣言」をする意義
厚生年金基金は、不幸にも、また不当にも、事実上、廃止されました。多くの基金は、解散への道を歩むほかなくなったのですが、一部の優良基金では、確定給付企業年金基金への改組によって、存続しようとする真摯な努力がなされています。さて、その際の鍵は、基金の社会的な存在意義の確立だと思われるのですが、それこそ、「フィデューシャリー宣言」の機能と同じものではないでしょうか。
厚生年金基金の廃止を受けて
厚生年金基金は、かつては、企業年金制度の代表的な受け皿として、多くの大企業によっても、採用されていました。しかし、2002年に「確定給付企業年金法」が施行されるや、大企業は、順次、確定給付企業年金へ移行したので、今日まで残された厚生年金基金のほとんど全ては、同一業界に属する多数の中小企業によって構成される総合型となっていました。
その残された総合型厚生年金基金についても、2012年、突如として、事実上の廃止という政府方針が示され、その決定は、結局、動かし得ないものとなります。そうして、順次、基金は解散に追い込まれ、現在でも、多くの基金において、解散へ向けての作業が進行しているのです。
この不幸な状況のもと、一部の基金は、総合型確定給付企業年金基金への改組を進めています。しかし、それは、決して簡単なことではありません。なぜなら、改組に際しては、改めて、基金としての存立の社会的意義が問われるからです。その意義を示せなければ、解散するほかないでしょう。
もちろん、かつて厚生年金基金として設立されたときは、基金の存立の基盤として、社会的意義があったのです。社会的意義があったからこそ、設立できたのです。ところが、政策的に厚生年金基金が廃止されたということは、少なくとも、政府見解においては、厚生年金基金の社会的意義が消滅していることが前提になっているはずです。それなのに、どうして、改組すれば、存立できるというのでしょうか。
単独連合型の事情
では、なぜ、大企業の厚生年金基金は、ごく自然に、ほぼ全て、確定給付企業年金に改組できたのか。そこには、総合型とは違う事情があったのです。
大企業が自社および子会社等の従業員を対象に設立していた単独連合型厚生年金基金は、退職金制度の存在を前提にして、その事前積立のための非課税の器として、設立されたのです。この社会的意義は、確定給付企業年金に改組したからといって、少しも変化するものではありません。
実際、当時、改組は、少しも本質的なことではなく、単に、「代行返上」という技術的作業と認識されていました。そもそも、「確定給付企業年金法」は、新たに導入された退職給付会計について、厚生年金基金の特色である国の厚生年金を代行する部分にも適用されるとされたことから、企業負担を抑制する目的で、厚生年金部分を分離(これが「代行返上」の意味です)するために制定されたのです。
故に、設立の背景が全く異なる総合型厚生年金基金は、「確定給付企業年金法」の制定によって少しも影響を受けることなく、そのまま、存続してきたのです。
総合型の事情
では、総合型厚生年金基金の設立の社会的基盤は、何だったのでしょうか。少なくとも、それは、退職金制度の積み立ての器ではありませんでした。そうではなくて、国の厚生年金の給付に対して、付加的な給付(「プラスアルファ」と呼ばれています)を上乗せするために、設立されたのです。
つまり、多数企業の合同による制度だけに、退職金制度のような企業独自の私的制度ではなくて、より公的年金に引き付けて、社会福祉制度としての色彩を濃厚にして、設立されていたということです。故に、総合型厚生年金基金は、設立の主旨からして、もともと、「代行返上」には、なじまなかったのです。
加えて、経済的側面もあります。単独連合型厚生年金基金は、退職金部分が大きく、相対的に公的年金部分が小さかったので、「代行返上」後も、大きな資産額が残ったのです。ところが、総合型厚生年金基金の場合、相対的に公的年金部分が大きいので、「代行返上」すると、資産額が小さくなりすぎるという難点がありました。
危機に瀕する存立基盤
故に、厚生年金基金廃止ということは、総合型厚生年金基金の存立基盤を崩壊させかねない大問題なのです。現実に、総合型厚生年金基金においては、存立基盤の重要な一角が崩壊したことに、間違いないのです。故に、ほとんどの基金において、解散という選択肢しか残されていなかったのです。
そのなかで、規模が大きいなど、確定給付企業年金基金としての存続の経済的条件が整うものは、少数にとどまりますが、その少数についてすら、経済的条件はともかくとして、確定給付企業年金基金へ移行した後、従来の厚生年金基金がもっていたような社会的意義は、失われこそしないまでも、大きな変質を被ることは、避け得ないと思われます。
公的年金部分を切り離した後、公的な色彩を帯びた社会福祉制度としての位置づけは、簡単には、維持し難いでしょう。逆に、企業内の人事処遇制度に引き付けて構成するのは、多数企業の合同によるという制約上、技術的に容易ではありません。
実際、「厚生年金保険法」に基づく厚生年金基金と、「確定給付企業年金法」に基づく確定給付企業年金基金とは、そもそも、全く理念の違う法律に基づくわけですから、基金の当事者としては、「代行返上」という技術的な連続性に縋りたいところでしょうが、客観的にみて、そこには、本質的な断絶があるといわざるを得ません。
この点は、単独連合型厚生年金基金が、退職金制度の積み立ての器という理念的連続性をもって、確定給付企業年金基金に移行できたのとは、全く事情が異なるのです。
総合型厚生年金基金の「代行返上」は、現実的にも、理念的にも、感覚的にも、社会的説明としても、旧厚生年金基金が解散消滅し、新確定給付企業年金基金が新規に設立されることと、とらえられるべきです。新規の設立については、設立に参加する企業の理解は必須の要件であり、その理解を得るためには、企業を引き付けるための理念的支柱と魅力が絶対に必要なのです。
「フィデューシャリー宣言」による新たなる存立意義の確立
基金としての存立を図るためには、新しい思想のうえに、改めて社会的意義を確立し、それを綱領としてまとめ、存立を支える利害関係者に対して、掲げなければなりません。その綱領を、どのような名前で呼ぶかは、各基金の趣味の問題ですが、今の環境下において、一般的名称を与えるのならば、「フィデューシャリー宣言」というのが一番相応しいと思われます。
基金が存立できるのは、存立を支える利害関係者の信認を受けている限りであり、その信認に確実に応えることを確約する限りです。フィデューシャリーとは信認を受けるもののことであり、その責任がフィデューシャリー・デューティー、その責任の履行の確約が「フィデューシャリー宣言」なのです。
厚生年金基金廃止の致命的な問題性は、結果として、不可避的に基金の大半を解散に追いやり、そのことにより、厚生年金基金の根本的存在意義である受給権の保全を全うできなくさせたこと、つまり、フィデューシャリー・デューティーを貫徹できなくさせたことです。
これでは、多くの基金の真摯な経営努力にもかかわらず、基金一般の社会的評価は、地に落ちざるを得ません。この信用の失墜は、程度の差こそあれ、確定給付企業年金への移行を目指す基金にもあるはずです。故に、信用の回復は急務なのです。
試される基金
社会的信用は、移行に際して、どれだけの企業が留まってくれるか、逆にいえば、どれだけの企業が脱退しようとするか、そこに先鋭的に現れる、まさに、基金は試されるわけです。
確定給付企業年金基金へ移行すれば、後ろ盾のない単なる民間の法人になるわけですから、その信用の基盤は、基金自身にしかないのです。ここでも、単独連合型厚生年金基金の「代行返上」とは、根本的に事情が異なるのです。なぜなら、そこでは、母体企業が後ろ盾になることで、基金は一つの意思のもとに結束できたからです。
多数の企業を一つの意思のもとに結束させることができなければ、基金としての存立は不可能です。結束のためには、求心力としての理念的支柱が不可欠です。それを明定した綱領こそ、「フィデューシャリー宣言」にほかなりません。
フィデューシャリー・デューティーの貫徹の確約
では、「フィデューシャリー宣言」は、どのような内容になるのか。基金の理念は、基金ごとに異なるでしょう。そもそも、自己の明確な理念をもたない基金は、存立を目指すよりも、解散すべきです。そのほうが社会のためです。故に、理念の表明である「フィデューシャリー宣言」の内容は、千差万別であるべきです。
しかし、「フィデューシャリー宣言」が「フィデューシャリー宣言」であるためには、いうまでもなく、フィデューシャリー・デューティーの貫徹の確約は、最低限織り込まれなくてはなりません。つまり、基金の理事は、専らに加入員と受給者利益のみを考えて行動することを確約しなくてはならないのです。
逆にいえば、事業主、即ち、設立母体となっている企業の一切の利益を考慮してはならないということです。これは、事業主の力の優越を考えたとき、専らに加入員と受給者の利益を守ることこそが、基金の存在意義であるとする当然の理解に基づきます。
生産性の向上という事業主の利益
では、事業主の利益は、どこにあるのでしょうか。事業主の利益こそが、基金存立の求心力の源ではないのか。
もちろん、事業主の利益がなければ、基金は成立しません。事業主は、従業員に対して、年金給付を確約することで、また、その確約の履行を、第三者である基金の理事に委任することで、従業員からの信頼を獲得するわけです。その信頼の獲得こそが、事業主の利益です。
年金給付は、従業員に対する事業主からのメッセージです。メッセージの主旨は、事業主の従業員に対するコミットメントを伝えることです。そのコミットメントによって得られるものは、従業員の企業に対するコミットメントです。そこに労働生産性の向上を認めるからこそ、事業主の利益になるのです。
この考え方は、日本では十分に理解されていないのかもしれませんが、米国の年金基金の根底を支えている哲学です。このことを背景に、米国では、厳格な法規制のもと、年金基金に、フィデューシャリー・デューティーの徹底が求められているのです。実は、ここに、「フィデューシャリー宣言」という名称を使うことの真の理由があります。
基金は、フィデューシャリー・デューティーの徹底によって、事業主のコミットメントに厚い信用を付与します。その分、従業員の企業に対するコミットメントも厚くなる、そうした好循環の実現は、例えば、上場企業についていえば、「コーポレートガバナンス・コード」第二章の「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」の主旨そのものです。
業界の利益、基金のモラル
また、総合型の確定給付企業年金基金には、業界の共通利益もあります。総合型の場合、厚生年金基金として設立された背景に、優秀な人材確保という業界共通利益がありました。制度の仕組み上、掛金負担には、業界全体での相互扶助原理が働きます。それは、いうまでもなく、業界共通利益を前提にしたことです。ここを強調することは、基金の組織基盤の確立のために、極めて重要です。
更には、基金の理事や事務局のモラル向上も大事です。合理的報酬の考え方は、フィデューシャリー・デューティーの本質的な要素です。基金の理事の報酬、および、それに付属する事務局の運営経費の適正性は、極めて重要です。しかし、安ければいいということではなく、合理的であることが求められているのです。つまり、付加価値の高い仕事をすることで、所得が増えていくという合理性が重要なわけです。それが理事と事務局のモラルの向上の決め手です。