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21歳にして4ヶ国目。“韓国の異端児”ヤン・ジェミンがBリーグに進出した理由と決意

小永吉陽子Basketball Writer
Jaemin YANG/201センチ/F/21歳(写真/パク・カンジャ)

文・写真/小永吉陽子 

インタビュー通訳・写真/パク・カンジャ

 今季からBリーグに導入されたアジア特別枠が面白いことになっている。フィリピンや韓国からアジアの次世代を担う選手が乗り込んできたのだ。6月25日、今季B1に昇格した信州ブレイブウォリアーズは、Bリーグ初となる韓国籍選手、ヤン・ジェミンの入団を発表した。201センチのサイズを持ち、ウイングでプレーする21歳の若者はいったい何者なのか。日本にやってきた経緯を聞く前に、様々な国を渡り歩いた経歴から紹介しよう。

 彼は21歳にして、韓国、スペイン、アメリカを渡り歩き、日本で4ヶ国目という、海外挑戦のパイオニアにして、『異端児』と言えるキャリアの持ち主だ。

 アンダーカテゴリーではU16、U17、U18、U19の全代表に選出され、U16で韓国を初のアジア制覇、U17では初のワールドカップベスト8へと導いた。景福高2年次には単身スペインに渡ってプロクラブのU18チームで修行を積み、NBAとFIBAが主催するBWBグローバルキャンプ(バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ)に韓国人として初選出されている。大学進学に関しては紆余曲折があったが、試練に直面しては自分の力にしてきた。

 高3の夏にはNCAA入りを熱望してU19ワールドカップに出場したが、大会直前に負傷に見舞われ、完治しないまま強行出場。結果を出せずに悔し涙を流したこともある。その後は、韓国の名門・延世大に進学しながらもNCAAでプレーする夢を追い、1年次の夏には国内エリートコースを捨て、大学を退学して渡米。トライアウトを受けながら独自ルートで学校を探し、ネオショ・カウンティ・コミュニティ・カレッジ(NJCAA=全米短期大学体育協会)に飛び込んだ。

 バスケと英語漬けで奮闘したカレッジ生活では学業でも優秀な成績を収めている。その努力が実り、念願のNCAAディビジョン1からオファーが舞い込み、編入準備を進めていることを自身のSNSで公表したのは今年の3月末のこと。それが一転してBリーグ入りへと決定した背景には、様々な葛藤のもと、「今、自分が成長できる最良の道」との決断があった。韓国次世代のホープに日本進出を決めるまでの経緯と決意をロングインタビューで語ってもらった。

リバウンドからのボールプッシュ、ポストプレー、ドライブ、3ポイントをこなすウイングプレーヤー(写真/本人提供)
リバウンドからのボールプッシュ、ポストプレー、ドライブ、3ポイントをこなすウイングプレーヤー(写真/本人提供)

関心を持ったNCAA D1、D2は30校近く

――こんにちは。最初にヤン・ジェミン選手のことを何と呼んだらいいですか?

こんにちは。名前の「ジェミン」と呼んでください!

――では、ジェミン選手がBリーグ入りを決めた理由から聞かせてください。NCAAディビジョン1へ編入希望から、信州との契約に至るまでの経緯を教えてもらえますか。

まず、3月にはアメリカでもコロナウイルスが深刻になり、すべての試合が中断になりました。僕はオファーを受けた大学のキャンパス訪問をする予定でいたのですが、「選手とコーチは会ってはならない」という勧告が連盟(NCAA)から出されたので、移動をすることができなくなりました。そういう状況ではアメリカにいても何もすることができないので韓国に帰国するしかなく、キャンパス訪問をする時期を逃してしまいました。

その後もコロナの状況がひどくなり、大学とは電話で連絡を取っていたのですが、お互い気になることまで詰めて話すことができない状況が続いていました。僕としては、大学に訪問してコーチと話をして信頼関係を築きたかったのですが、それができなかったのでコミット(内定)まで至らなかったのが事実です。

――NCAAのチームからはどれくらい勧誘があったのですか?

ディビジョン1と2を合わせて30チーム近くきました。ディビジョン1から正式なオファーがきたのは3チームで、関心があるという連絡を含めると約10チーム。ディビジョン2では約20チームありました。中でも、4月に連絡が来たジョージタウン大は一番行きたい大学でした。

予期せぬ事態。時間を無駄にしたくなかった

――それほどオファーがきても、この状況では大学を決めるのは難しかったのですか?

スペインから帰ってきて3年半。そこから僕なりにバスケも英語も本当に努力してきたので、どうしても自分が望む大学でプレーがしたかったので、すぐに選択ができなかったんです。(※)大学を決めてサインする日が5月末から8月末まで延期されましたが、ビザが取れないので夏までに渡米できるかわからないし、不透明なことが多すぎました。これまでの努力は無駄にならないとわかってはいるのですが、何もできない時間が長くなればなるほど、今まで努力してきた時間が無駄になるのでは……と虚しい気持ちが出てきて、早く決めたいという気持ちが強くなりました。時間を無駄にしたくなかったんです。

(※進学を希望していたNCAAディビジョン1のジョージタウン大のパトリック・ユーイングHCが新型コロナウイルスに感染して体調が思わしくなく、また全米でブラックライブズマター運動も起こり、詳細まで話し合いができなかったという時期的に困難な背景があった)

――本当に大変な状況だったんですね。そんな中でBリーグが浮上したのですか?

今、自分が成長できる最良の選択は何か、ということを家族と相談して考えました。本当に悩みました。そこで、待っている間に動けないかということで、Bプランも作ろうということになり、アジア枠ができたBリーグに自分の映像を送ることにしました。また、オーストラリアのプロリーグ(NBL)からも連絡がありました。アジア枠があるということで、韓国の有望選手で英語ができる選手として僕の名前が挙がったそうで、映像資料が欲しいと言われたので送りました。

これまでの経験やBリーグへの思いを話すとき、次から次へと言葉が出てきて止まらなった(写真/本人提供)
これまでの経験やBリーグへの思いを話すとき、次から次へと言葉が出てきて止まらなった(写真/本人提供)

決め手は信州とのコミュニケーション

――Bリーグ入りは自分から動いていたのですね。NCAAと日本とオーストラリアの間で悩んだと思いますが、決め手は何だったのですか?

Bリーグからは数チーム連絡が来たのですが、その中でも信州はアメリカでのフルゲームや、アンダー代表での映像を送ってほしいという要望があり、僕の細かいところまでチェックしてくださり、積極的に話し合いの場を持ってくれました。マイケル監督(勝久マイケルHC)が僕のいいところを把握しようとしてくださることを感じたので、だんだんとBリーグに関心を持つようになり、気持ちが信州に傾いていきました。

とくに、監督と英語で話ができたことが良かったです。監督からは「君の英語の実力が知りたい」と言われて英語で考えを伝え、監督からも僕に期待していることや、僕がチームにできることは何なのかを直接聞いて確認することができました。英語で細かいコミュニケーションを取ることができたので、僕もこのチームならと確信が持てたので信州に決めました。

――KBL(韓国)のドラフトにアーリーエントリーをすれば、高い順位での指名が確実視されていますが、KBLでプレーする選択肢はなかったのですか?

韓国の記者さんにも「なぜBリーグに行くの?」と聞かれるのですが、韓国と日本を相対的に比較したときに、今の僕の状況ではBリーグのほうがより発展できると思いました。僕は韓国のシステムも環境もわかっているので、そういう場所より、日本のような新しい環境で、バスケットを学ぶ機会を重要視しました。それに、(韓国人が)誰も行ったことがない道を進みたかったし、海外でプレーするなら、1歳でも若い時に挑戦したいという思いがありました。

最初は僕もBリーグのレベルはわかりませんでした。でも、Bリーグがどれだけ大きくなっているか、マーケティングが優れているかは調べればすぐにわかります。僕が思っている以上にBリーグはレベルが高く、リーグが大きいというイメージです。

17歳で渡ったスペインで語学の重要性を痛感

――プロキャリアをスタートすればNCAAでプレーすることはできなくなりますが、今後も海外挑戦は続けていくのでしょうか? 

プロに行ったらもうNCAAでプレーすることはできません。でも、アメリカでの2年間はバスケも勉強も本当に一生懸命頑張って、本当にたくさんのことを学んだので、NCAAでプレーできなくても後悔はしていません。なので、これからは違う方法で海外挑戦を続けたいです。

日本でもアメリカでプレーする選手は多くなっていますよね。馬場さん(雄大、テキサス・レジェンズ)はBリーグでプレーしてからNBAのサマーリーグに出て、今はGリーグに挑戦しています。僕もBリーグでプレーしてからでも、そういうルートや可能性があるんじゃないかと思いました。

それに、僕が2年NCAAでプレーしたとしても、たとえばプロで2年経験してアメリカに挑戦するのであれば、同じ位置からスタートすることになります。だったら、かえってこの時期にBリーグで成績を出し、得るものを持って、当面はGリーグやサマーリーグでプレーできるような力をつけていきたいです。

――日本でプレーをすれば、韓国、スペイン、アメリカに続いて4ヶ国目。何がジェミン選手を海外挑戦へと突き動かしているのでしょうか?

海外に出れば語学を勉強して、毎日毎日必死に一生懸命にやって、耐えて、生き残るために努力をするじゃないですか。海外に出れば出るほど、挑戦すればするほど、バスケをする原動力というか、自分のモチベーションを上げることができるんです。

僕は高校2年のときにもっと学びたいと思ってスペインのユースチームの入団テストを受けました。でも、スペイン語を知らないでスペインに行くには17歳では遅いと思いました。スペインではバスケットもすごく勉強になりましたが、語学が重要だとわかるきっかけになりました。同時に英語の重要性も確実にわかりました。これは海外に出て身を持ってわかったことです。語学を習得してバスケをするのは本当に大変だけど、成長を実感できて楽しかったんです。

常に高いレベルに挑戦して成長していくことが最大の目標

――いつから、海外に出たいという思いを持ち始めたのですか?

中2と中3の時にナイキのアジアキャンプに選ばれてから考え始めました。キャンプに来ていた中国、フィリピン、台湾の選手と話をしていると、海外に挑戦したいという選手がたくさんいました。そのとき、韓国にはそういう選手はいなかったので、海外に行けばいい出会いや機会に巡り合うんだなと思い、海外キャンプの重要性を知りました。特に台湾のオスカー(高國豪/178センチ/サウスイーストミズーリ州立大)と仲良くなり、そういう話をたくさんしました。

――ジェミン選手が海外挑戦を続ける先にあるもの、最大の目標にしていることは何でしょうか。

これはよく聞かれる質問なのですが、最終的にどこにたどり着きたいかというより、常に高いレベルに挑戦して、成長と発展をしながら選手生活を送ることが僕の最大の目標です。

振り返ると、スペインのプロクラブのテストに受かったこと、NCAAからオファーがきたこと、信州から認められたこと、すべてがうれしくて原動力になりました。Bリーグにしても、韓国の大学生とあえて契約する理由はないと思いますが、アメリカでの経験が認められて、英語ができたからこそ、信州と契約できたと思っています。僕にとっては、日本で知らない選手とぶち当たりながらやっていくことも学べるチャンスです。なので、最終的な目標というより、今一番の目標といえば、Bリーグで活躍することです。

U世代ではU16~U19全代表に選出。U17W杯はフランス戦で32点、U19W杯は左足に負傷を抱えての出場だった(写真/小永吉陽子)
U世代ではU16~U19全代表に選出。U17W杯はフランス戦で32点、U19W杯は左足に負傷を抱えての出場だった(写真/小永吉陽子)

日本に適応してサイズを生かしたプレーを見せたい


――アンダーカテゴリーで日本と対戦していますが日本の印象はどうでしたか?
U19ワールドカップでは日本が(早生まれの)大学2年生を揃えたのに対し、韓国は高校3年生が半数を占めるという若いチームでした。また、ジェミン選手は負傷を抱えながらの出場で「NCAAでプレーするためにこの大会にかけていたのに、パフォーマンスが発揮できなくて悔しい…」と発言していたことを思い出します。(2016年:U18 韓国 92-72 日本 / 2017年:U19 日本 77-64 韓国)

U19では自分もチームもいい成績を残せなくて本当に悔しかったです。日本はディフェンスがいいチームでした。U18の時はそこまでディフェンスの違いを感じませんでしたが、U19で八村さん(塁、ワシントン・ウィザーズ)が入ってディフェンスも1対1も強くなり、日本のスタイルが変わったなと感じました。とくにスペースを作って西田さん(優大、東海大4年)にチャンスを与えるのがうまい印象でした。

――信州に入団が決まった今の心境を聞かせてください。

本当にワクワクしています。信州の監督やコーチ、先輩方と早く会いたいです。早くチームに適応して、チームに役立つ選手になるように努力します。アジア枠でフィリピンの大学で活躍したスーパースターが来ると聞いていますし、そういうアジアの若い選手と対戦できることも楽しみです。

――Bリーグではどんなプレーを見せたいですか?

僕は21歳なので新人の年ですよね。まだ若いので、大きなものを見せるというよりは、早くBリーグに適応して、自分が持っている長所を見せたいです。僕の身長からいえば、日本ではフォワードとしては大きいほうだと思うので、そういったところを利点にしたプレーを見せたいです。

――最後に日本のファンにメッセージをお願いします。

(照れながら)僕の入団が発表されてから、ツイッターのフォロワーが急に増えたのでびっくりしました(笑)。SNSにファンの方からメッセージをもらいましたが、日本語がわからないので返信できなくて申し訳ないです。これからは日本語を勉強して挨拶ができるようにします。一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします。

来日の日までソウルのスキルファクトリーでトレーニング中(写真/パク・カンジャ)
来日の日までソウルのスキルファクトリーでトレーニング中(写真/パク・カンジャ)

「今、自分が成長できる最良の道」として選んだBリーグ

 海外挑戦やBリーグへの思いが次から次へと溢れてくるインタビューだった。これまで紆余曲折がありながらも、試練を自分の力にしてきた自負と韓国を出た意地があり、21歳にして、強い覚悟を持って日本にやって来ることが伝わってきた。

 これまで海外に進出した韓国選手は何人かいるが、20代中盤に1年半~2年の兵役義務があることや、KBLでは1巡目指名を受ければ5年契約になることから、韓国のバスケ選手は海外挑戦がしにくい環境にある。それゆえに、「時間を無駄にしたくない」「1年でも早く」の思いは切実であることも理解できた。

 今までにない挑戦ルートを切り拓いてきたヤン・ジェミンは、まさしく韓国の『異端児』。そんな隣国の異端児が日本でプロキャリアをスタートする。なんともユニークな選手がやって来て、面白い時代が到来したと言えるのではないだろうか。「今、自分が成長できる最良の道」として選んだBリーグで、どのような学びを得て成長していくか、注目していきたい。

ヤン・ジェミン Jaemin YANG

1999.6.22生まれ/21歳/韓国・ソウル出身

信州ブレイブウォリアーズ #27/201センチ/F

●経歴/景福高(韓国)→トーレロドネスU18(スペイン)→景福高→ネオショ・カウンティ・コミュニティカレッジ(アメリカ)●代表歴/U16(2回)U17、U18、U19(U16とU17はキャプテン)●家族構成/父、母、兄、妹。2歳上の兄ジェヒョク(190センチ)はKBL電子ランド所属。6歳下の妹ジウォンは中3で180センチのセンター。父は大学まで選手で元WKBL事務総長、母は中京大にバスケ留学経験があるバスケ一家。

本人作成のハイライト映像

Basketball Writer

「月刊バスケットボール」「HOOP」のバスケ専門誌編集部を経てフリーのスポーツライターに。ここではバスケの現場で起きていることやバスケに携わる人々を丁寧に綴る場とし、興味を持っているアジアバスケのレポートも発表したい。国内では旧姓で活動、FIBA国際大会ではパスポート名「YOKO TAKEDA」で活動。

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