管理教育の強化、校則の厳格化は子どもの意見表明・政治参加を抑制する?研究結果から
なぜ若者は投票に行かないのか?
選挙のたびに問題提起され、活発な議論が行われるが、その多くが若者本人に個人的な意見を聞くエピソードベースになっており、研究結果に基づいた議論(エビデンスベース)は極めて少ない。
そこで一つ、学校教育、家庭教育の経験によって、中学生・高校生の政治関心と意見表明への意欲はどう変わるのか分析した、最近の研究結果を紹介したい。
参照論文:
中学生・高校生の政治関心と意見表明抑制の規定要因 -管理的な学校教育,家庭教育の経験による政治的社会化- 太田 昌志,2021
日常的な学校や家庭での経験が子どもの政治参加意思にどのように影響しているのか?
政治的関心を高める手段として、主権者教育が注目されるが、特定の授業は限られた一部分でしかない。
もっと日常的な、学校や家庭での経験が子どもの政治参加意思に影響を与えているのではないか。
そうした観点から、本研究では、日常的な管理的学校教育、家庭教育の経験と、政治関心、意見表明の関係性について注目する。
文字数の関係上、実験方法の詳細について説明するのは避けるが(興味ある人は上記の論文を確認されたい)、「NHK 中学生・高校生の生活と意識調査,2012」(NHK 放送文化研究所 世論調査部)のデータを用い、従属変数に「子どもの政治関心と意見表明」を、独立変数を「子どもや学校の属性,学校での教育の経験,家庭での教育の経験,家庭の社会経済的背景」とする。
子どもや学校の属性としては,性別,学校段階,学校設置者のほか,子どもの学校の成績(5 件法,子ども票)を用いる。
学校での教育の経験は,学校での管理的教育の経験として,校則がきびしいかどうか(4 件法,子ども票)を用いる。
家庭での教育の経験は,家庭での管理的教育の経験として,親が子どもにきびしいかどうか(2 件法,母票,父票)を用いる。また,家庭教育の量として,親子の会話の多さ(4 件法,母票,父票)を用いる。
家庭の社会経済的背景は,親の職業,学歴,年齢を用いる
そして、結論としては、下記が指摘されている。
性別,学校段階,成績,母親の学歴,母親の職業が,子どもの政治関心と関連がある。
男子であるほど,高校生であるほど,学校の成績が高いほど,母親の学歴が高いほど,母親が専業主婦であるほど政治関心を持つ関係にある。
このように,性別や学校段階のような属性に加えて,成績が高く,社会経済的に恵まれた環境にある(母親の学歴が高く,専業主婦である)子どもが政治関心を持ちやすい。
学校の校則,母親のきびしさ,母親との会話,母親の学歴,父親の職業が,子
どもの意見表明と関連がある。
学校で校則が自由であるほど,母親がきびしくないほど,母親との会話が多いほど,母親が高専・短大卒であるほど,父親の職業が管理・専門(および農林漁業・自営・経営)であると,販売・サービス・事務・技術(および技能・作業)と比べて意見表明をしやすい関係にある。
父親の職業については,管理・専門や農林漁業・自営・経営のような仕事上の裁量が相対的に大きい職業であるか,販売・サービス・事務・技術や技能・作業のような仕事上の裁量が相対的に小さい職業であるかによって子どもの意見表明が異なっていると解釈できる。
近年ブラック校則の問題が指摘されているが、こうした校則の厳格化は、子どもの意見表明を妨げ、政治参加をも妨げる一因となっている可能性が示唆される。
またたまに、社会の理不尽に耐えられるようにするために、理不尽な校則を守ることが重要だと言う人がいるが、社会の理不尽さを変えられる人間になるためには、理不尽な校則に従うことではなく、生徒が自由に発言できるようにする学校が必要であることが示唆されたとも言える。
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子どもの意見表明権を縛ってきた日本の歴史
こうした影響を前提に日本を振り返ると、日本では冷戦期頃から、学校内での政治教育や高校生の政治活動を厳しく制限してきた。
昭和44年(1969年)の「高等学校における政治的教養と政治的活動について」(昭和44年10月31日文部省初等中等教育局長通知)という通知では、大学紛争を背景に、「放課後、休日等に学校外でおこなわれる生徒の政治的活動は、……学校が教育上の観点から望ましくないとして生徒を指導することは当然である」とされた。
また同じ通知において、「現実の具体的な政治的事象は、取り扱い上慎重を期さなければならない性格のものであるので、必要がある場合には、校長を中心に学校としての指導方針を確立すること」と、現実的な事象を取り扱った、実効性のある政治教育も厳しく制限している。
一方、同じく冷戦期にあった欧米諸国では、例えばドイツで1974年に「学校参加法」が定められたように、子どもの権利を学校内でも認めるようになり、学校運営への生徒参加(学校の民主化)が進んでいった。
こうした政府の対応の違いが、現状の、日本と欧米諸国の政治参加の水準の差に繋がっていると言っても過言ではない。
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政治教育の部分は、2015年の「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等 の生徒による政治的活動等について」(27文科初第933号平成27年10月29日)という通知によって、一部見直されたが、いまだに、学校内における高校生の政治活動は禁止され、教員が個人的な主義主張を述べることは制限されている。
放課後や休日等であっても、学校の構内での選挙運動や政治的活動については、学校施設の物的管理の上での支障、他の生徒の日常の学習活動等への支障、その他学校の政治的中立性の確保等の観点から教育を円滑に実施する上での支障が生じないよう、高等学校等は、これを制限又は禁止することが必要であること。
指導に当たっては、教員は個人的な主義主張を述べることは避け、公正かつ中立な立場で生徒を指導すること。
管理教育を強化してきた2000年代
さらに、2000年代に入ってから、学校運営の管理強化も進んでいる。
2000年の学校教育法施行改正では、校長権限が強化され、職員会議は「校長の補助機関」となり、東京都教育委員会は2006年に職員会議で教職員の意思を挙手や採決で確認することを禁止した。
文科省も2014年に都教委と同じ内容の通知を出し、翌年にはそれが守られているかどうかの全国調査を実施して守っていない学校には是正させた。
こうして職員会議で教職員が自由に議論して決定していくことがなくなっていき、校則を含む学校運営のすべては「校長が決める」という現状になってきている。
さらに、2006年に定められた新教育基本法では、「国を愛する態度を養う」とともに「規律を重んずる」教育(第六条)が定められ、翌年文科省が「問題行動を起こす児童生徒」には毅然とした指導を行うよう通知し、「ゼロ・トレランス」(寛容度ゼロの米国式生徒指導)と「スタンダード」(教師と生徒への生活統制)が広がっている。
このように、日本では長年政治教育が実質的に行われておらず、管理教育も強いままだ。
こうした教育が子どもの意見表明を妨げ、政治への関心を妨げてきた。
今回の衆院選では与野党の政党が子どもの権利を法的に保護する「子ども基本法」を公約に入れているが、子どもの人権の観点から、学校教育、家庭教育を見直すべきだろう。