【濱口桂一郎×倉重公太朗】「労働法の未来」第5回(若者の雇用と「能力」)
倉重:今度は、若年者の問題 についてお話ししたいと思います。就職活動のあり方も、経団連の指針もなくなる方向であり、新卒一括採用自体が見直されるという方向の時代の中に来ています。
とはいえ、今の学生の就職の仕方は、当面は大きくも変わらないだろうと思っているのです。そういう意味では、今後はどういう方向になっていったらいいのかというのは、個人的には悩んでいます。時期を問わずに採用という企業は、少しずつは広がっていくのだろうと思います。とはいえ、今までの日本型の慣行が全くなくなるわけでもないだろうと思っています。その点はどうですか。
濱口:これは実は一番変わりにくいところです。というのは、今言ったように、高齢者や中高年のところは、もう、矛盾が露呈しているのです。だから結局は年功制を見直して70歳までの雇用を確保するという方向に行くしかない。ところが、若者のところ、教育と雇用の接続のところはそうではない。むしろ、日本の教育システム自体が、まさに日本の雇用システムを大前提にして、それに合うように、自分たちを作り上げてしまっているのです。ここにいきなり、「卒業前にちゃんと職業のスキルを身に付けてこい。そうしたらその若者のスキルに応じて、適宜採用する」などといったところで。
倉重:大学教育がそうなっていないです。
濱口:現実は、そうです。しかも、教育というのは時間がかかるものですから、今までそれでやってきているものを、すぐに変えられません。すぐに変えられないから、やはり採用側もそれに対応したやり方をせざるを得ない。あちらが変わらないからこちらも変われない、こちらが変わらないからあちらも変われないという、ダブルバインドにしっかりと絡め取られているわけですから、動かすのはとても難しいと思います。
倉重:多分大学だけではないでしょうね。中高ぐらいから、関係しているのかもしれないです。中高大学、今の日本の教育システムと、新卒採用の方式が、ガッチリかみ合ってしまっています。
濱口:かみ合っています。
倉重:本当にポテンシャル採用ばかりです。先日も学生さんたちと飲みながら議論をしていたのですが、やはり「企業というのは、一体どういうところを見るのですか」、「能力というけれども」と聞かれます。
大学生ですから、みんなそんなに働いたこともないですし、せいぜいバイトぐらいしかしたことがない中で、「能力とは何なのですか?」みたいな質問を受けたりして、「これは非常に鋭い質問だね」と思います。
濱口:鋭いといいますか、実は戦後日本の雇用問題の鍵になる言葉は「能力」なのです。先ほども同一労働同一賃金のところでお話しましたし、高齢者のところでも出てきました。つまり、全ては、「能力」という融通無碍(むげ)でいわく不可解な概念の中にあるのです。いろいろな人が「能力」という言葉の中に、いろいろな、自分が読み込みたいものを読み込むことができます。それはもちろんメリットもあって、何でも全部「能力」ということにできるから、物事がうまく回る面が間違いなくあったのは確かでしょう。ですけれども、逆に言うと、その「能力」という言葉に振り回されて、何をどうしたら「能力」があると認めてくれるのか分からないというのが、若者が置かれている状況です。もっと言うと、能力を見て採用を判断しているはずの企業側が、「あなた一体何を見て判断しているのですか」と言われても、思わず絶句してしまうわけです。
倉重:人によっても違ったりします。これは一体、どういうふうに変わっていくのでしょうか。あるいは明確にすべきという問題でもないのかなとも思います。とはいえ、まさに得体の知れない「能力」というものに、人事側もいろいろな思いを込めています。学生側は学生側で振り回され、なかなかにかわいそうだなというふうに思うのです。
濱口:かわいそうなのは確かですが、ここは、やや皮肉な、かつ冷たい言い方をすると、日本の学生のかわいそうさは、「贅沢なかわいそうさ」なのです。
倉重:就職自体はできますからね。
濱口:つまり、欧米の若者のかわいそうさは、「おまえは仕事ができない」と言われてしまうことです。
倉重:そうですね。「おまえ、能力はないだろう」ではなく、「スキルはないだろう」というリアルなかわいそう、ですね。
濱口:そうです。スキルがないということです。言い換えれば、「能力」で判断してくれないのです。スキルで判断されるわけです。だけど、仕事をした経験がなく、ずっと勉強してきたばかりの若者に、スキルがあるはずがないのです。そうすると何が起こるかというと、卒業即無業、失業です。それでどうするかというと、インターンシップと称する……
倉重:買いたたきですね。
濱口:これを、日本のワンデー・インターンシップみたいな訳の分からないものを想像すると全く違います。これについては、海老原嗣生さんがいろいろと書かれていますが、要は、何のスキルもない若者を、非正規労働者としてですらなく、労働者でもない研修生として超絶安く使い続けるための仕組みであって、それを下手をすると1年2年もやっているという状況です。
倉重:でっち奉公のような就労形態ですよね。
濱口:でっち奉公です。ひどい話です。
倉重:ドイツだとインターンの間は最低賃金も適用なしですよね。
濱口:そういう欧米の若者に比べれば、日本の若者が意味不明の「能力」に振り回されているというのは、ぜいたくな悩みです。では、世界中を見渡して、若者について一番うまくやっているのはどこかというと、これは大体衆目の一致するところは、ドイツとその周辺諸国です。なぜかというと、デュアルシステムというのがあります。例えば、高校生ですと、高校3年間、週の半分は学校で勉強して、残りの半分は会社で仕事をします。パートタイム生徒兼パートタイム労働者です。大学などですと、そういうものもありますが、むしろ学期単位で、1学期は大学で勉強し、2学期はずっと会社で仕事をするというのが多いようです。この結果何が起こるかといいますと、卒業して卒業証書をもらう段階で、会社ではパートタイムで3年ないし4年勤続した経験者で、スキルを身に付けているというふうに見なしてもらえます。なので、ドイツ、スイス、デンマークといったような国々の若者の失業率は低いのです。他の諸国は高いです。これが世界の常識なのですが、日本だけ、全くそういうことをしていないのに、なぜか低いのですね。
倉重:不思議な状況です。
濱口:不思議な国ニッポンというわけです。
倉重:ドイツはそのデュアルシステムは、高校生ぐらいでコース選択するのですよね。
濱口:ですから、職業人生の方向がそこで決まってしまいます。
倉重:ですよね。だから大器晩成というのはあり得ないことになりますね。
濱口:あり得ないです。もう若いうちに、自分の方向を決めてしまいます。
倉重:ですよね。私は高校時代に偏差値が37だったので、それだと弁護士になれないなと思ったのです。
濱口:全ての面でいいシステムなどというのはありません。逆に言うと、そういうことを考えるのだったら、ずっと後まで選択を遅らせられる社会のほうがいいとも言えます。ですけれども、それをやっていると、フランスみたいに若者はすぐ失業して、悲惨なインターンシップになります。スキルのない若者を、「いやお前には能力がある」と、採用してくれる素晴らしい日本では、その若者が「能力って何だろう」と悩んでいます。みんなそれぞれに問題があるわけです。だから、これはある意味で社会システムの基本形をどう選択するかという話です。その意味では、この部分については、やや悲観的といいますか、日本人はそう簡単に変わらないだろうと思います。
倉重:採用に関しては、そうですね。
濱口:ただ、徐々に変わっていく可能性はあります。例えば医学部は既にそうなってます。医療系というのは、学校に入る段階で職業選択するわけです。今後そういう職業直結型の学校が徐々に増えてくれば、そういう方向になるかもしれません。とはいえ、あれほど、L型、G型などといって鳴り物入りで作った専門職大学が実際に開校するのは1校とか2校という状態ですので、なかなか日本社会はそう簡単には変わらないという感じもします。
倉重:観光学科などが、もっといろんな学科が出てきて、それが就職に結びついていけばまた別なのでしょう。今の話の締めとして、今の学生さんや若い人、これからの雇用社会を生きる人たちへ、これからの就職活動についてアドバイスを下さい。
濱口:アドバイスは、ないです(笑)。あえて言うならば、「能力」というのはマジックワードだと心得ることです。「あいつは能力がある」、「ない」などと言っている人たちも、実はよく分かっていないものなのです。だから、過度にそれに振り回されないほうがいいというのが、多分言える唯一のアドバイスだと思います。
倉重:「気にし過ぎるな」ですよね。ありがとうございます。
(最終回へつづく)
【対談協力 濱口桂一郎氏】
1958年生れ
1983年 東京大学法学部卒業、労働省入省
2003年 東京大学客員教授
2005年 政策研究大学院大学教授
2008年 労働政策研究・研修機構統括研究員
2017年 労働政策研究・研修機構研究所長