元育成選手の独立リーガーがあこがれの川崎宗則からもらった大切な言葉【ヤマエ久野九州アジアリーグ】
昨シーズン、ヨーロッパのオーストリアでプレーした元巨人の広畑塁捕手(大分B-リングス)だったが、今シーズンのプレー先として選んだのは、日本の独立リーグだった。
「ヨーロッパで続けたいという気持ちもあったんですけど、前年、帰国する時にオミクロン株が出てきて、次、渡航するのが難しくなってきたんです。そうなると、1シーズンブランクができてしまうので、国内でプレー先を探したんです。そこに独立リーグからの話をいただきました」
広畑が今シーズンのプレー先として選んだのは、国内の独立リーグのひとつ、九州アジアリーグだった。ひとづてにバッテリー強化のため捕手を探していた大分の新監督、小野真悟からのオファーを受けた広畑は、入団を即決した。
憧れのレジェンドとのトレーニング
今シーズンに向けて準備をしようとしていた矢先に一通のSNSメッセージが届いた。発信元は、少年の頃憧れていた川﨑宗則(ルートインBCリーグ・栃木)のマネージャーだった。
「ジャイアンツを戦力外になった前の年は、元プロの少年野球時代の先輩とトレーニングしていたんですけど、川﨑さんサイドから『年明けから自主トレをするんですが、ご一緒しませんか』って。びっくりしました。子どもの頃からホークスファンで、中でも川﨑選手の野球に対する姿勢やプレースタイルがすごく好きだったので。それでいざ現場にいくと、緊張しましたよ。こんな所に僕がいていいのかなみたいな」
あこがれの川﨑の印象を広畑はこう表現する。
「いやもう、小さい頃、テレビで見たまんまだなという(笑)」
自主トレはまさに夢のような時間だった。目の前にいるのは自身にとってのレジェンドだった。強豪球団のレギュラーの座を投げうってマイナー契約からメジャーに挑戦。世界最高峰のリーグでは決して成功という成績を収めることはできなかったが、地元ファンに強烈な印象を残した。そして日本球界に復帰後、台湾野球にも挑戦。現在は、自分と同じ独立リーグの舞台に立っている。その波乱万丈の野球人生を歩んだ憧れの存在から広畑は金言をもらった。
「人生はイレギュラー」。現役生活を続ける意味
「人生はイレギュラー」
川﨑が広畑に常々伝えていた言葉だ。
「人生は、本当に何が起こるか分からない。いいことも悪いこともすごく起きるんだけれども、それが人生っていうものだ。だから、それにどう対応していくか、そういう状況をどう楽しめるかということが大事なんだよ」
広畑はその言葉に自分を重ねる。大学時代控えから育成ながらドラフト指名。クビになったあとのヨーロッパでのプレー。まさにイレギュラーの連続だった。
「僕だって、現役を続けていたからこそ川﨑さんに出会えたんですが、あのタイミングで戦力外になっていなかったら川﨑さんから声がかかっていなかったでしょうね。そういうことを考えると、人生は悪いことばかりじゃないなというのはすごく感じました」
広畑は今、独立リーグという場でプレーしている。決して恵まれた環境ではない。チームメイトの多くが入っている寮には入らず、一人暮らしをしているが、食事はチームのクラブハウスでとっている。
「ジャイアンツ最後の年も独り暮らしだったんですけど、自炊しても多分たかが知れているので。海外を経験して。やっぱり食事の面が一番大事になってくるので、食事はお世話になっています」
「NPB未満」の選手を前にして、「こういう野球もあるんだな」と日々思う。それでも、現役で居続けることを楽しんでいる。
「オーストリアよりはよっぽど恵まれていますよ。まず、言葉が通じますから」と笑う。
現役を続けていればこそできる体験
もうすぐ27歳になる。そろそろセカンドキャリアのことも考えねばならない年齢に差し掛かっている。
「ゆくゆくはみんなユニフォームを脱がなきゃいけないと思うんですけど、いろんな所で野球を見てみたいという自分の考えがまだあります。その中で昨年はオーストリアに行かせてもらって、今回は日本。独立リーグというところはどんな野球なのか。他人から聞くよりもやっぱり自分でプレーして感じたほうが絶対に自分のプラスになると思うし、やっぱりこう伝え方も変わってくると思ってます。自分が伝える側に回ったときに、NPB、ジャイアンツという球団を経験させてはもらいましたけど、そこだけの考え方で教えるというのが、僕自身の引き出しとして少ないんじゃないかなと今はすごく思っています」
広畑の行く道の先には、指導者があるようだ。
「どういうかたちであれ、野球には携わっていきたいなとは思っています」
しかしそれはまだ先の話だ。
「やれるところまでやりたいです。一旦退くと、もう現役にもう一回というわけにはいかないと思うんです。まだ独り身ですし、まだ自分がやり残したというか、やっぱりやりたいと思うので。もちろん、NPBに返り咲きたいという気持ちもあります。あの舞台にもう一度行きたい。だから戦力外になった時よりも少しでもレベルアップする。その上で、もう一度勝負をしてみたいというところもあるし、また海外で野球をやってみたいという気持ちも少なからずはあります。やっぱり野球が好き。原動力はそこですね。続けてみないとできない経験というのもすごくあると思うので」
他人から見れば寄り道だらけの人生のように見えるが、その寄り道を後押ししてくれた「師」がもう一人いる。巨人のファーム時代の三軍監督、二岡智弘だ。二岡もまた監督として独立リーグの世界を経験している。戦力外になりオーストリアへ渡るときも、大分でプレーする際も、相談したという。
「おまえの道を突き進め」
二岡からもらった金言である。
(写真は筆者撮影)