著作権法における「一人でも公衆」理論を説明する
JASRACと音楽教室の著作権使用料をめぐる争いにおいて、感覚的に最も納得しにくいポイントの一つに、音楽教室の各部屋の中で生徒(一人、あるいは、グループレッスンの場合でもせいぜい10人程度)に聞かせることを目的に演奏する行為が「公衆」に聞かせることを目的とした演奏(著作権法の演奏権が効いてくる演奏)にあたるという点があるでしょう。
文化庁のサイトの「著作権なるほど質問箱:著作権制度の概要」に以下の説明があります。
仮に「一時点に一人しか観られないのであれば公衆に対する上映ではないので上映権は効かない」という理屈が通るとすると、著作権を気にせず最新映画のDVDの上映ボックスビジネスで一儲けなんてことができてしまいますので、上記の説明は理にはかなっています。そして、上記例の「上映」を「演奏」に置き換えれば、たとえ部屋のなかで一人の生徒に対して演奏している場合でも誰でも月謝を払えば生徒になれるのだから「公衆向けに演奏した」という論理付けが成り立ちます。
正直、感覚的には「何か騙されてんじゃないか」という気がしてしまいますが、JASRAC対ダンス教室の裁判も含め、著作権関連裁判ではほぼ確立した考え方です。
この「一人でも公衆」法理を突き崩すためには何らかの画期的な理屈付けが必要と思いますが、これが難しいので、音楽教室側も、著作権法上の演奏権の「直接聞かせることを目的として」部分の解釈という根本的なところから争うという方針を採ったものと思われます。もちろん、裁判では「一人でも公衆」が争われる可能性も十分にありますので、是非判決文を見てみたいものだと思います。