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児童養護施設で毎週勉強を教える有志高校生たちの活躍と、それを見守る名物教師「イモニイ」の眼差し

おおたとしまさ育児・教育ジャーナリスト
児童養護施設での学習支援を終えて、最寄り駅に向かう栄光生たち

20年以上続けている学習支援

 午後6時、神奈川県の私鉄某駅の改札で、生徒たちと待ち合わせした。生徒たちは14人。児童養護施設に向かう彼らに付いていく。そこには、経済的あるいは虐待などの理由によって親と一緒に暮らせない子供たちが暮らしている。

 だいぶ日が短くなっている。徒歩約10分、緑に囲まれた施設に着くころにはあたりはうす暗くなっていた。

 引率の教員2人はそれぞれ自家用車で駆けつける。そのうちの1人が井本陽久さん、通称「イモニイ」。2018年の東大合格者数ランキングでは全国5位を誇る、神奈川の進学校・栄光学園の数学の教員だ。自らも栄光OBである。イモニイについては、こちらの記事も参照されたい。

●「奇跡」が起こる名もない教室。超進学校のカリスマ数学教師の壮大なる実験

https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20180706-00088255/

 生徒たちは栄光の教え子たち。毎週金曜日の夜、この施設で学習支援を行っている。イモニイがこの活動に関わるようになってから、もう20年以上が経つ。栄光の先輩教員がしていた活動を引き継いだものだ。

 施設の食堂が、「教室」になる。小学生1人に栄光生1〜2人が付く。学校の宿題がある子供はそれを優先に取り組む。そうでない子は、栄光生たちが持参した教材プリントに挑戦する。計算や漢字のドリルなど、作業になってしまうものではなく、パズル形式で思考力を試すものや、記憶力を試すものが多い。

 この日集まった子供たちは9人。予定よりもやや少なかった。

 「ごはんを残してしまったり、施設としての約束が守れなかったりすると、この学習会に出られないなどのルールがあるんですよ。今日どんなことがあったのかは僕らは知らないのですが」

 イモニイが教えてくれた。

 毎週、施設から参加予定人数を聞き、その人数に応じてその都度イモニイが栄光で参加者を募る。定員オーバーで参加を断る場合もある。毎週参加する生徒もいれば、参加できるときに顔を出す生徒もいる。

 「昔は子供たちへの接し方を事前に細かく指導したりしましたが、いまはしていません。先輩たちの接し方を見て、新米の生徒も上手に対応してくれています。今日は初めての生徒も多いので、先輩とチームを組んでもらうようにしています」

 どの小学生にどの栄光生を付けるかは、リーダーの高校3年生が中心になって決めていた。この活動に4年間かかわっているベテランだ。

施設の子供たちが抱えるナイーブさ

 まず男の子たちが数人、食堂にやってきた。すぐには机に座ろうとせず、お兄さんたちと遊ぼうとする。それをうまく受け止めながら、なんとか机に誘導する。なかなかプリントに取りかかろうとしないで、お兄さんたちを困らせる子供も中にはいる。遅れて女の子たちもやってきて、お兄さんたちと賑やかに話しながら勉強を始める。

 学校の授業に付いていけず、特別支援を受けている生徒も少なくない。集中力が続かない子供の扱いに四苦八苦する場面も。床の上に大の字になってしまったり、机の下に隠れてしまったりする子供たちに、お兄さんたちも手を焼く。

 「ちょっと間違ってしまうだけでもやりたくなくなってしまう子供が多いのは事実ですね」

 以前この教室で、積み木で共同作業する課題を与えたところ、いきなり積み木の取り合い、奪い合いが始まってしまったという。

 「ほかではなかなかあり得ない光景で、僕もちょっとびっくりしました」

 とってつけたような解釈になってしまうが、それだけ不安や恐怖が強く出やすい子供たちなのだという見立てができる。不安や恐怖を感じるポイントがむき出しになっており、ちょっとした刺激にも過敏に反応してしまうのかもしれない。自分たちのナイーブさと必死に戦っているようにも見える。

 栄光のお兄さんたちも、ときどきイラッとした表情を浮かべることもなくはないが、グッとこらえて優しい声がけを続ける。決して声を荒げることのないイモニイの流儀が、教え子たちにも染みついているのであろう。「イモニイズム」である

 「元来子供たちは、ダメなところを直視させられることを嫌いますが、ここの子供たちは特にその傾向が強い。だから、ただ上から目線で教えるのではなく、気付かれないようにヒントを与えるなどのテクニックが必要です。その点、生徒たちは、下手な大人よりも上手に子供に対応していると思いますよ」

逸脱行動にも否定語は使わない

 プリントにまじめに取り組まず、ふざけた解答を書こうとする元気のいい女の子の横で、お兄さんがたじたじになっている。「え、それ、違うじゃん……」。そう言いかけたとき、そこを通りかかったイモニイが「ああ、それもアイディアの一つだよね」と女の子に微笑みかける。「承認」である。それを見て、お兄さんも、女の子のおふざけを見守ることにした。

 すると女の子は「この前学校のテストが80点だったから破って捨てちゃった!」と話し出した。となりでちょっとびっくりするお兄さん。しかしイモニイは「80点ならいいじゃん。破っちゃったらもったいなくない?」と受け答えする。と、女の子は待ってましたとばかりに、「だってその前は100点だったんだもん!」と言った。それを言いたかったのだ。

 「さすがじゃん! ○○のこの前のテストよりいいよ」と、そのお兄さんの中間テストの点と比較して笑う。「うん、僕、数学76点だった。負けた(笑)」。女の子もうれしそうに笑う。

 別の机では、タブレットを使ったゲーム形式の学習アプリに取り組む男の子の姿があった。最初に教室にやってきて、なかなか机に座ろうとしなかった男の子だ。プリントにやる気は出ないが、ゲームには夢中になれるらしい。さきほどまでとは違う、真剣な表情で取り組んでいる。しかし突然キレて暴れ出した。

 ゲームの途中で失敗すると、そこでリセットを押してしまう。ミスを乗り越えて続けることができない。しかし順番を待っているほかの子供がいる。とうとうお兄さんに端末を取り上げられてしまったのだ。暴れる男の子をなんとかなだめようとする栄光生の姿は、まるで初めての子育てに戸惑う新米パパのようである。

 その様子を見守るイモニイが言う。

 「ここの子供たちにとってこの時間は、誰かを独占できる貴重な時間なんだと思います。勉強を教えるというよりも、そういう意味合いが強いと思います。小さいころからこの施設で育って、施設の職員さんたちは常に近くにいますけれど、一般的なご家庭のお子さんが両親から得ている安心感を、彼らはなかなか得られない。それで何事にも臆病で、傷つきやすくなりやすい。ここでの経験が、僕の教育観に大きな影響を与えていると思います」

 栄光に来るような子供は家庭環境に恵まれている子が多く、心の余裕があるから、少々のことではへこたれない。施設の子供たちには心の余裕がないだけだ。それだけで、学びに対する態度がこんなにも変わってしまうことを、イモニイは肌身で知っている。だから、施設の教室でも、栄光の教室でも、そして自身が主宰する学習教室でも、子供を否定するような発言は一切しない。意図的に何かを引き出そうとすることすらしない。ただありのままの子供の姿を「承認」することが、子供たちの学びの意欲をもっとも活発にするのだと確信している。

好きなことをして自由に生きている先生

 約1時間の指導の時間が終わり、子供たちが自分の部屋に帰っていく。それまでプリントをやりたくないとだだをこねていたわりには、別れを惜しむかのように、なかなか帰ろうとしない。

 リーダーの高校3年生が苦笑いしながらイモニイに訴える。「どのプリントを奨めてもやりたくないと言うから、『何だったらやってもいい?』と聞いたら、九九ならやってもいいと言ってくれたので、今日は九九をやったんですけど、それでも30分しかもちませんでした。あの子は30分が限度ですね」。するとすかさず「栄光生だってそんなもんだぞ!」とイモニイ。「そっか!」とリーダー。

 自家用車でやってきた教員たちを見送り、真っ暗になった道を駅まで戻る栄光生たちに聞いた。

 「どういうモチベーションでやっているの?」

 「純粋に楽しいからですかね」

 「どういうところが楽しいの?」

 「子供たちがなついてくれて、喜んでくれるというか、つながりが感じられるというか」

 「部活とか行事で友達とつながる感覚とはまた違うのかな?」

 「そうですね。もともと子供が好きというのもあるんでしょうかね」

 「イモニイはどんな先生?」

 「うーん、面白いひとですよね」

 「何が面白いの?」

 「好きなことをして、自由に生きている感じがします」

 リーダーの高校3年生にも聞いた。

 「もうすぐ大学受験でしょ?」

 「はい、自分の受験勉強はダメダメなんですけど、この活動はなかなか離れられなくて(笑)」

 彼が、受験勉強よりも大切なことを学んでいることは間違いない。そして彼は、大学受験においても、しっかりと帳尻を合わせてくる。そんな気がする。

 駅前で、高校生たちと別れた。みんなでラーメンを食べてから帰るとのこと。彼らの後ろ姿がとても頼もしく見えた。

 Men for others, with others.

(他者のために、他者とともに生きる)

 栄光学園の校訓である。

 子供を生き生きさせる名人である「イモニイ」が形づくられていった背景が、ちょっぴりわかったような気がした。

育児・教育ジャーナリスト

1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外国語大学英米語学科中退。上智大学英語学科卒業。リクルートから独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を歴任。男性の育児、夫婦関係、学校や塾の現状などに関し、各種メディアへの寄稿、コメント掲載、出演多数。中高教員免許をもつほか、小学校での教員経験、心理カウンセラーとしての活動経験あり。著書は『ルポ名門校』『ルポ塾歴社会』『ルポ教育虐待』『受験と進学の新常識』『中学受験「必笑法」』『なぜ中学受験するのか?』『ルポ父親たちの葛藤』『<喧嘩とセックス>夫婦のお作法』など70冊以上。

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