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「この日」は、ちゃんと来た!全盲の金メダリスト木村敬一初の自伝「闇を泳ぐ」出版記念トークショーが開催

佐々木延江国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表
9月3日、100mバタフライを泳ぎ終え金メダルを知った木村敬一 写真・山下元気

 全盲のパラスイマー、金メダリスト木村敬一(東京ガス)の初の著書「闇を泳ぐ―全盲スイマー、自分を超えて世界に挑む。」が、8月20日に発売された。生い立ちから金メダルをめざす東京パラリンピック前までの半生を270ページ余りにまとめた自伝である。11月6日に行われた八重洲ブックセンターでの出版記念トークショーは予定が発表されるとすぐに満席。本も発売後すぐ重版されているという好評ぶりだ。

 表紙の写真はどう選んだ?


 暗い水(プール)の底で眠る木村敬一といったらいいだろうか。本のカバー写真は稲川淳二の怪談好きということからか、霊的な世界を感じさせる。「すべきことをやり切った」「深い眠りにつく」「半生を終えた木村」とも見える。

提供・ミライカナイ
提供・ミライカナイ

「たくさん撮影した中で、友人たちに意見を求めて、最後は編集者の友人のイチオシということで決めました」

 タイトルに込められた「闇」というインパクトのある表現は、一瞬怖い。「暗さ」「壮絶さ」、金メダルの「重み」や試合が終わった「静けさ」をイメージさせながら全般的にクールな印象。しかしページを開けると、ユーモアたっぷりで底抜けに明るい木村の人柄と、独特で興味深いエピソードが溢れ出す。「牛タン屋と信じて一人焼肉屋で食べた話」など、思わずひきこまれ、声を出して笑える。金メダルへ向かう青年が、見えない、という人生をリアルに楽しんでいるのだ。見える人には一言で説明しきれない木村敬一を表紙ではアイロニカルな表現で包み込んでいる。

当日写真;11月6日に行われたトークショー、聞き手はWHO I AMプロデューサーの泉理絵氏 筆者撮影
当日写真;11月6日に行われたトークショー、聞き手はWHO I AMプロデューサーの泉理絵氏 筆者撮影

 トークショーの聞き手は、パラリンピック・ドキュメンタリー「WHO I AM」を企画、アメリカ(ボルチモア)での練習など木村の挑戦を密着取材したWOWOWプロデューサー・泉理絵氏。

 アメリカでの2年間

 パンデミックにより東京2020オリンピック・パラリンピックが延期となり、開催さえ危ぶまれるなか、アメリカを拠点に練習していた木村敬一も、2020年3月に帰国した。


  アメリカでは、リオ大会で逃した100mバタフライでの金メダルを目標に、ライバルで世界チャンピオン、ブラッドリー・スナイダーのコーチ、ブライアン・レフラー氏に2018年から師事。さらに、リオでは3冠を制した金メダリスト、しかも「スマイル・クイーン」と称賛される魅力的な女ともだち、マッケンジー・コーンが木村のトレーニング・パートナーとして支えてくれた。

 そんなアメリカでのジェット・コースターのようなエキサイティングな日々については、パラリンピック・ドキュメンタリー「WHO I AM」や、帰国後に書き始めたブログがすでに伝えていた。

「WHO I AM」とは、IPC(国際パラリンピック委員会)とWOWOWが共同制作したパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ。年8人のトップパラリンピアンのエピソードを5シーズン伝えてきた。木村はマッケンジーとともにシーズン3で報じられた 提供・WOWOW
「WHO I AM」とは、IPC(国際パラリンピック委員会)とWOWOWが共同制作したパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ。年8人のトップパラリンピアンのエピソードを5シーズン伝えてきた。木村はマッケンジーとともにシーズン3で報じられた 提供・WOWOW

 目指してきた「この日」

 8月20日という発売日だった。金メダルの「この日」に対して、まさに直前である。本当に木村が金メダルを獲得できるかどうかは誰にも、本人にもわからない。期待が高まっている時期でもある。

「プレッシャーという自覚はありませんでしたが、実際金メダルをとれなかったら、自分どうしていたんでしょうね?!(笑)」

9月3日、メインの100mバタフライで金メダルを獲得した木村敬一 「この1年はいろんなことがあって、この日は来ないんじゃないかって思ったこともあった。ちゃんと迎えることができて幸せです」写真・山下元気
9月3日、メインの100mバタフライで金メダルを獲得した木村敬一 「この1年はいろんなことがあって、この日は来ないんじゃないかって思ったこともあった。ちゃんと迎えることができて幸せです」写真・山下元気

 延期で5年と長くなった挑戦で、2019年の世界選手権でもワン・ツーを決めた富田宇宙の成長もあり、厳しいレースだった。あらためて思い返すと、かなりの崖っぷちに立っていたと思う。

100mバタフライS11の結果を示した掲示板。1分2秒57で自己ベストではなかったがライバルの富田宇宙を抑えてみごと悲願を遂げた 筆者撮影
100mバタフライS11の結果を示した掲示板。1分2秒57で自己ベストではなかったがライバルの富田宇宙を抑えてみごと悲願を遂げた 筆者撮影

 執筆への経緯

 東京パラリンピックを目指し2018年からアメリカを拠点にトレーニングしていた木村だが、コロナウイルス感染症がいよいよ世界中に蔓延、20年3月に帰国した。オリパラ史上初の延期が決まり、巷では開催への疑問や批判の声も高まっていた。実際には選手たちが意見を言うことも求められることもなかった。木村は長期にわたる実家暮らしをした。

「帰国してから東京のナショナルトレーニングセンターの宿舎に入る6月末まで、滋賀県の実家で過ごしました。子供の頃から寮生活が長く、2ヶ月半も家族と一緒だったことがなく、どう過ごしたらいいか分からない。家にいる時、やることがなさすぎて、スポーツ選手としての自分を考え始めました。自分は社会から必要とされているんだろうか?と感じ、アメリカでの練習のことなどブログ(=note)で書き始めました。書いたら、褒められて嬉しくなった。やってきたことを文章にしていくのはなかなかいいな、と思ったのが本を書くことになったきっかけです」

 木村のいま

「この日」から2ヶ月、木村は、数々のメディアに出演し、取材もうけ、大忙しだ。トークショーの数日前にもコメディアンの明石家さんまの「さんま御殿」にオリンピック選手とともに出演した。


トークショーの会場で参加者によるフォトセッションが行われた。 筆者撮影
トークショーの会場で参加者によるフォトセッションが行われた。 筆者撮影

「東京パラでの100mバタフライと張るぐらいでもないけど、結婚式の友人代表挨拶ぐらい緊張しました。収録の直前にディレクターがきて「木村さんはこの話をしてください」ってそれだけです。本番は2時間半ぶっとおしで収録。編集でうまくつないでくれ、プロだな~!と思いました」

 本を書いたことについて

「自分の人生のことを振り返る、いい時間になったと思う。両親に取材できたことがよかった。書くこと、発信することは楽しく、自分を肯定できる体験だった。新しい言葉を学んで使うのも楽しい。またやりたいけど、ネタを考えないといけない。30年かかけて一冊。次は、50年後くらいにまた書けるのだろうか」

「東京パラでの100mバタフライと張るぐらいでもないけど、結婚式の友人代表挨拶ぐらい緊張しました。収録の直前にディレクターがきて「木村さんはこの話をしてください」ってそれだけです。本番は2時間半ぶっとおしで収録。編集でうまくつないでくれ、プロだな~!と思いました」

 本を書いたことについて

「自分の人生のことを振り返る、いい時間になったと思う。両親に取材できたことがよかった。書くこと、発信することは楽しく、自分を肯定できる体験だった。新しい言葉を学んで使うのも楽しい。またやりたいけど、ネタを考えないといけない。30年かかけて一冊。次は、50年後くらいにまた書けるのだろうか」

東京パラリンピックで100mバタフライを泳ぐ木村 写真・山下元気
東京パラリンピックで100mバタフライを泳ぐ木村 写真・山下元気

 これまで木村を知る読者からの反響は、「自分の名前が出ていたというより、俺の名前がでてないぞ、という反響が多かった(笑)」


 木村が語るエピソードはわかりやすいうえ、リアルな情景までが浮かんでくる。その理由について考えてみると、読者が木村のファンだったり、何かと木村に注目していたりすれば、あらかじめ「WHO I AM」の映像やニュース、テレビなどの報道に加え、ブログ、あるいは大会を生観戦したことがあるかもしれない。最近はネットラジオの出演もあり、過去になんらかのイメージを得ている可能性もある。

東京パラリンピック100mバタフライを泳ぐ木村敬一(ゴール付近) 写真・山下元気
東京パラリンピック100mバタフライを泳ぐ木村敬一(ゴール付近) 写真・山下元気

 取材で木村に接している筆者も、見ることに頼らない木村が編み出すバタフライのフォームに何度も接しているし、インタビューゾーンでも話を聞いている。(見えない木村を一方的に見ている気もするが)

 今回紡がれた言葉は、これまでの記憶と融合してそれぞれの読者のなかにある木村敬一像をみずみずしくアップデートするのではないだろうか。


 マッケンジーとはどうだったか

「これから先、アメリカでの2年間を超える日々があるかどうか、不安」という、木村。何より、アメリカでの生活を一番支えてくれたのが、上記にも記したマッケンジー・コーンであった。

写真・山下元気
写真・山下元気


 「マッケンジーに関しては、ライフラインみたいなもの。電気、ガス、水道、マッケンジー!(笑)。トレーニングパートナーとして、厳しいところを一緒に乗り越えるだけでなく、毎朝迎えにきてくれて、いろいろ話して、心の支えであり、物理的にも助けてくれた」

 木村の趣味

 趣味がないのが悩みという木村だが、稲川淳二の怪談話が大好き。「映像を使わずに喋り方だけで怖がらせてくれる。ライブに行くことがあるくらい好き。咳とかも許されない雰囲気で30分くらい聞く。オーソドックスな普通の話ですが、怖い!」

 寺西先生の存在は

 寺西真人氏は、視覚障害者水泳の指導者で、タッピングの第一人者。木村が競泳を始めた最初のコーチ。筑波大学附属視覚特別支援学校で木村の先輩にあたる河合純一、秋山里奈ら歴代選手を指導、金メダルにつながるタッピングを担当。東京パラでも木村のタッパーを務めた。

ロンドンパラリンピック100m平泳ぎで銀メダルを獲得し、プールをあがった木村と寺西氏 筆者撮影
ロンドンパラリンピック100m平泳ぎで銀メダルを獲得し、プールをあがった木村と寺西氏 筆者撮影

「中学生の時の体育の先生。声が大きくて、太い。怖いな。高校生くらいになって、(寺西氏の)家で合宿もするようになった。体育の先生というより、兄弟のような関係性。

 ある同級生が(別の同級生に)借りていた体操服を返しもせずのうのうとしていた。返してもらえないのを言えないでいると、寺西先生がいきなり教室に乗り込んできて叱り、すごい怖かったと思っていたら、2時間くらいして、「さっきの(俺)、いけてた?」ってメールが・・・」

東京2020パラリンピック、100mバタフライを泳ぎ終えプールを上がった木村と寺西氏 写真・秋冨哲生
東京2020パラリンピック、100mバタフライを泳ぎ終えプールを上がった木村と寺西氏 写真・秋冨哲生

 つまり、一般の生徒からは怖いと恐れられていた先生は、水泳で深くつきあうようになってみると、兄弟のような愛情と親しみを感じる、愛すべき魅力的な存在だった。何より重要なことは、マッケンジーがそうであるように、近くで木村を成長させてくれる、かけがえのない友であるということ。木村の水泳人生(半生)にとってもっとも重要な存在の一人に違いない。

 トークショーの感想

トークショーのあとのサイン会で、親しい知人の橋本一郎さんにサイン(スタンプ)する木村。 筆者撮影
トークショーのあとのサイン会で、親しい知人の橋本一郎さんにサイン(スタンプ)する木村。 筆者撮影

「今日は、自分の本を読んでくださって、深く知ってくれている方と思うから、いままで話せなかったこともいろいろ話すことができて楽しかったです」

 恋バナはどうか?

 女性が多い生トーク会場で「そこを聞きたかった!」という参加者も多かったはずだ。囲み取材の最後に、ついに記者から質問があった。

「ちょっと消したっていうか・・」と、木村。にわかに返事が消極的になった。年頃の木村に隠したい秘密があるのは当然だろう。

 いずれにせよ、本の中には、ロンドン後に恋人同士になった女性がいたことが書かれている。最近の事情とは無関係だ。そのあたりのこともちゃんと書かれているので、ぜひ項目を探して読んでみてはどうだろうか。

 近い未来、遠い未来、ゴールについて

「視覚障害をもって生まれてきたおかげで、水泳があったおかげで、とても恵まれていたと思います。生まれながらにして障害を持った人が社会と繋がることができるものをつくっていくことにかかわりたい。そのために、どういうアプローチがあるのか?考えていきたいですね。

 引き続きスポーツをやるのか、また本を書くのか、書くためにネタ作りをするのか。まだまだ(コロナ禍での)社会情勢が難しいですが、いろんなところに行きたいと思います」

 パリへの意気込みは?

「もし、パリへ向かうなら、新たな練習環境を構築するでしょう。そもそも質問はパリを前提にしていると思いますが、パリでも金メダルをとることが自分にとって最もワクワクすることになるか? 今はまだわかりません。アメリカでは、やり切ったから」と、木村敬一は会場からの質問に応えて話した。

 そして、「今はまだ(金メダルの)余韻に浸っている」と、今後のことは明確にしなかった。

 東京パラ後は初となる木村の次の試合は、11月20日から千葉国際水泳場(習志野)で開催される日本パラ選手権で、50mのバタフライと50m自由形に出場する。

(校正・編集協力 中村和彦、望月芳子 競技写真協力 山下元気、秋冨哲生 写真提供・WOWOW、ミライカナイ)

※この記事はPARAPHOTOに掲載されたものを再編集しました。

国際障害者スポーツ写真連絡協議会パラフォト代表

パラスポーツを伝えるファンのメディア「パラフォト」(国際障害者スポーツ写真連絡協議会)代表。2000年シドニー大会から夏・冬のパラリンピックをNPOメディアのチームで取材。パラアスリートの感性や現地観戦・交流によるインスピレーションでパラスポーツの街づくりが進むことを願っている。

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