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【九州三国志】九州の歴史に名を刻む江上氏!武種、その運命の軌跡

華盛頓Webライター
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江上氏の起源は古代に遡り、東漢氏系大蔵氏から分かれた九州の大蔵氏、その庶流である原田氏に連なります

初めに筑後国三潴郡江上村へ定住したのは原田種成の第四子・種光とされますが、古い系譜は諸説あるため、確定には至っておりません。

江上氏が歴史に本格的に姿を現したのは、六代目の氏種が元寇での功績により肥前国神埼荘の地頭職を与えられた時です。

それから幾世代を経て、十四代目の元種は少弐氏を支え勢福寺城の防衛に尽力しました。

時代は乱世、天文三年(1534年)には大内氏との戦いで勢福寺城を奪われますが、再び奪還を果たす執念深い戦いぶりが印象的です

しかし、その後の龍造寺氏との対立や和睦は、元種が背負う激動の運命の始まりでした。

一方、元種の跡を継いだ武種もまた、激しい抗争に巻き込まれます。

天文二十四年(1555年)、勢福寺城が龍造寺隆信の軍勢に攻められると武種はやむなく仁比山へ退きます

さらには隆信との和議が破られ、勢福寺城を再び失いますが、その後も再起を図り続けました。

大友氏に与しながらも、再び龍造寺氏の軍門に降るなど、その波乱万丈の生涯は、時代の荒波に翻弄される一人の武将の姿を雄弁に物語ります

最終的に江上氏は龍造寺家種を養子に迎え、龍造寺氏の旗下に組み込まれました

この転機が江上氏の独立性に終止符を打った一方で、武家としての誇りを次世代に繋ぐ新たな道ともなりました。

風雲の時代を生き抜いたその軌跡は、九州の歴史の中でひときわ鮮やかに輝いています

Webライター

華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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