巨人も注目した韓国代表の二塁手が38歳で引退を決断 元同僚・中日門倉健コーチが思い出を語る
「韓国人野手」と聞いて多くの人がイメージするのは、イ・スンヨプ(李承ヨプ)、イ・デホ(李大浩)、キム・テギュン(金泰均)といった体の大きい強打者だろう。
一方で国際大会の舞台で存在感を発揮した小柄なプレーヤーもいる。その一人が二塁手のチョン・グンウ(鄭根宇、38)だ。彼が今季限りでの現役引退を決意した。
チョン・グンウは2008年の北京オリンピック準決勝・日本戦、1-2で迎えた7回裏1死、四球で歩いたイ・デホの代走として出場。二塁走者として浅いライト前ヒットでホームに突入する好走塁を見せ、同点のホームを踏んだ。
勢いに乗る韓国は8回裏、イ・スンヨプに勝ち越し2ランが飛び出し、日本に勝利して決勝戦へ進出。決勝でキューバを破った韓国は9戦全勝で金メダルを獲得している。
また2015年プレミア12でのチョン・グンウは日本との準決勝に1番二塁で出場。韓国は0-3で3点を追う9回表、無死一、二塁でチョン・グンウの三塁線を破るタイムリー二塁打で追撃の口火を切った。
韓国は押し出し四球で1点差に迫ると、4番イ・デホが逆転の2点タイムリー。9回に4点を挙げた韓国は日本に4-3で逆転勝利し、決勝戦でアメリカを撃破してプレミア12初代王者に輝いた。
数々の大一番で役割を果たしたチョン・グンウ。彼と2009年から2年間、SKでチームメイトだった門倉健・現中日2軍投手コーチがチョン・グンウとの日々を振り返った。
明るく盛り上げる最高の1番打者
「チョン・グンウは最高の1番バッターでした。チームに点が欲しい時に必ず出塁して、塁に出たらピッチャーに警戒させて次のバッターに集中できないようにできる選手でした」
「セカンドとしては派手なプレーはないですが大きなミスをしない、確実な守備をしてくれました。チームにとって大きな存在の選手でした」
門倉コーチは精神的にもチョン・グンウに助けられたという。
「僕がまだ韓国語がよくわからなかった頃、打たれると日本語で『ダイジョウブダヨ』とか『ガンバリマショウ』と言ってくれる温かさがありました」
「チョン・グンウは自分の調子がいい時は、おちゃらけた感じで明るくチームを盛り上げるユーモアがあるキャラクターだったので、本当にありがたかったです」
巨人でプレーした可能性も
門倉コーチは2011年にサムスンに移籍し、シーズン途中までプレー。引退後、サムスンでコーチを務めた。対戦相手として顔を合わせたチョン・グンウにも存在感があったという。
「1番打者としてはもちろん、2番に入るとセーフティーバントやプッシュバントで揺さぶってきて、色んな作戦を仕掛けてきました。何をしてくるかわからないという、言葉は悪いけど『やっかいな選手』でしたね」
門倉コーチはチョン・グンウに「日本でプレーして欲しかった」と話す。
「本人が日本に興味を持っていましたし、一時巨人がチョン・グンウに関心があるという話も聞きました。もし日本でプレーしていたら面白かったのにと思います」
指導者としての期待
門倉コーチは引退するチョン・グンウにはなむけの言葉を贈った。
「攻撃面では1、2番の役割を熟知していて、セカンドとしては高い守備力を見せた選手でした。とっても明るいキャラクターも魅力でした」
「これからはその能力を生かして、指導者として『チョン・グンウ2世』を育ててくれたらと思います。16年間走り続けてきたと思うので、まずはゆっくり体を休めて欲しいです」
身長172cm(公称)と小柄なことで高卒時にはプロの指名はなく、大学を経て2005年にSKでプロ生活をスタートしたチョン・グンウ。数度の送球イップスを克服し、俊敏な動きで打球に追いつく二塁手として頭角を現した。
打者としてはリーグ屈指の1番打者として2009、16年と得点1位。歴代6位の通算371盗塁を記録している。
明るいキャラクターで誰からも愛されたファイターがグラウンドに別れを告げた。
◇チョン・グンウ通算成績 打率3割2厘、1877安打、121本塁打、722打点、1072得点、371盗塁