亀梨和也と山下智久が瑞々しい「野ブタ。をプロデュース」はなぜ共感を呼ぶのか。河野英裕Pに聞く誕生秘話
15年前のドラマの再放送「野ブタ。をプロデュース 特別編」(日本テレビ)が人気である。内気な少女・信子(堀北真希)を学校の人気者にプロデュースしようと同級生の修二(亀梨和也)と彰(山下智久)が動き出す。じょじょに変わっていく信子。すると修二と彰の心にもある変化が……。十代の亀梨、山下、堀北、そして戸田恵梨香のもぎたてのフレッシュさ全開で、思春期の悩みや痛みがむき出しで伝わってくる。きっと誰もが知ってる感覚。かつてこのドラマを見た人も、いまはじめて見た人も、自分のなかにある何かを引きずり出されるようなドラマ。忌野清志郎が不思議な本屋さんとして出演していて、悩める若者を、大きな懐で包んでいるのも良い。このドラマをプロデュースした日本テレビの河野英裕プロデューサーにこの宝物のようなドラマがどうやって生まれたかインタビューした。
「野ブタ。をプロデュース」との出会い
ーー映画「ブラック校則」(19年)を見たとき、「野ブタ。をプロデュース」(05年)を思い出しました。「野ブタ。」の再放送がはじまってから改めて見て、河野さんの作るものはいつも瑞々しい。いい意味の変わらなさを感じました。
河野英裕(以下 河野):僕は若干反省しました。好きなことがいつも一緒じゃんって(笑)。
ーー直球で聞きますが河野さんの好きなものって何ですか。
河野:「青春」と「世界」。世界を変えるとか、世界に触れるとか、世界を壊すとか……「世界」と「青春」というワードは自分の中で捨てきれないものですね。ちょっとださかったり頭でっかちだったりする言葉が好きなんでしょうね(笑)。
ーー「野ブタ。」から15年、世界とご自身との関係はいま、どういう感じでしょうか。
河野:「野ブタ。」「Q10(キュート)」「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」などで若い世代を描いたときは、主人公たちが内と外、つまり自分と学校という世界、その関係の中で自分の内面と向き合って、自分を変化させていくドラマでしたが、50歳過ぎた僕が、いまの若い子たちや社会状況を見ると、もっと声に出して怒っていいと思える状況がいっぱいあって。あんたらどうかしてるよ、なんだよこれ!って。だから、社会や世界に対して怒って闘う10代を描いてみたかったんです。銃規制を求めて立ち上がった全米の高校生たちや環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんみたいに行動する10代を。それが「ブラック校則」でした。グレタさんに比べたら戦う相手は先生とか学校とか、ちっぽけですけど(笑)。でもそうして「自由」を勝ち取っていく主人公たちの姿が、見てくれた人、それぞれ年齢や置かれた状況は違うかもしれないけれど、何かの気持ちの拠り所になればいいなと思って。
ーー「野ブタ。」を作るきっかけはなんだったのですか。
河野:「野ブタ。」を作る2年前、同じ木皿泉さんの脚本で「すいか」というドラマを作りました。今でも熱心に応援してくれる方々がいてくれるドラマですが、強引に企画を通したあげく、視聴率は低く、僕はその後、2年間、ドラマ制作の現場から異動することになりました。悔しくて悔しくて。やさぐれました(笑)。で、その後もう一回チャンスが舞い込んできて。チャンスを作ってくれた会社に感謝です。「野ブタ。」を作るにあたって出発点は2点ありました。「すいか」の時、どうしても脚本が間に合わなくて、木皿さんが全話書くことができませんでした。ひとりの作家さんと取っ組み合って連ドラ作っていく面白さもあるし、複数の作家さんで切磋琢磨でやっていく楽しさもある。ただ、2年ぶりにドラマの現場に戻れてチャレンジできる、となった時に、これが最後の作品になるかもしれないと思って。だったら木皿さんともう一度仕事したい、次こそ全話書いてもらう、何があっても書かせる(笑)、と思ったことが1点。もうひとつは、青春学園ものを作りたいと思ったことです。なぜかというと、僕にとっての青春時代の半分くらいは「ふぞろいの林檎たち」と「3年B組金八先生」でできていたようなもので、ドラマの世界に足を踏み入れた以上、学園青春ものを一度は作りたかったんです。
ーー「野ブタ。」の原作小説との出会いはどういうものですか。
河野:「野ブタ。」をやろうと思った時のテーマは「おもしろきこともなき世をおもしろく」という高杉晋作の言葉です。この言葉が好きですと言うこともちょっと恥ずかしいですが、10代の頃、その言葉に影響されていたので(笑)。多分、なんか面白くねーなって感じで過ごしていた自分がいたんでしょうね、いまが面白くないなら「おもしろきこともなき世をおもしろく」する青春を「野ブタ。」で描いてみたいと思いました。当時、日本テレビが麹町から汐留に引っ越した頃で、何かいい企画ないかなあと考えながら局の近所の本屋さんをブラブラしていたら、「野ブタ。をプロデュース」という新刊に出会いました。まず、タイトルに惹かれて、帯にあった「いじめられっ子を人気者に」というキャッチコピーを見た瞬間、あ、もう、絶対これ!と。すぐに買って読んで、とても面白くて、バーっと企画書書いて、出版社に問い合わせてました。
亀梨和也と山下智久の魅力
ーー原作では、主人公といじめられっ子のふたりが主要キャラですが、ドラマはいじめられっ子をプロデュースするキャラがふたりになります。
河野:原作は主人公もいじめられっ子も男で、僕も最初はそのつもりで動いていたのですが、木皿さんがいじめられっ子が「女の子だったら書ける」と言うんです。そうなると、「マイ・フェア・レディ」や「プリティ・ウーマン」のようなシンデレラストーリーになるのではないかと心配でした。僕はそういうものが作りたいわけではなかったので。でも木皿さん的にはそういうものには絶対ならない、そういうものは逆に書けないと言うし、作家がこれなら書ける書きたい、というならそれに乗っかろうと。とはいえ単純に男の子と女の子、の話でいいのか?という思いもあり、男の子ふたりがひとりの女の子をプロデュースするパターンか、男の子ひとりがもう一人の男と女、ふたりをプロデュースするパターンなどなど試行錯誤した末に、男の子ふたりがひとりの女の子をプロデュースする形に落ち着きました。今回、再放送にあたって、特別編として編集もしているので、改めてしっかり見直したら、亀梨和也さん、山下智久さん、堀北真希さんの3人と、もうひとり戸田恵梨香さんの凄さを感じました。あの時、あの4人が居てくれて本当に良かったなあと思います。あの4人じゃないと、この作品はできませんでした。
ーー当時の亀梨和也さんと山下智久さんの 魅力をどこに感じていましたか?
河野:亀梨くんは「ごくせん」に出た後でかなりギラギラしていた時期です。いい意味で蛇のような鋭い目つきが貪欲で魅力的で。「野ブタ。」の後、「妖怪人間ベム」を亀梨くん主演でまた一緒に仕事できたりしましたけど、彼の何が好きかというと、どこか儚い、喪失感や寂しさみたいなものがあるところなんですよ。ギラギラした見た目の裏側に、何か辛いことがあるのかなあと想像させる雰囲気がたまらなくて。背負うだけ背負ってる感じ。山下くんは、浮世離れしたところがあって、つかみどころのない彰役にぴったりでした。どちらかがいじめられっ子でどちらかがプロデュースする役割よりも、対等かつ、真逆な魅力のある男子ふたりに、女の子がプロデュースされるという設定で結果的に良かったですね。
――山下さんの飄々とした感じは絶妙ですね。
河野:彼もインタビューなどで話していますが、あの当時、すごく自由に、わざとエキセントリックなトーンの芝居をしていました。クランクインの日から、度肝を抜くような芝居をして攻めてきたんですよ。え、こんな感じでやるの???って。セリフの言い回しは大胆に変えてくるし、変な話し方するし。あせって、僕と演出家で話し合いました、これどうする?って(笑)。結局言ったって変わらないし、山下くんなりに強烈な思いがあってやっていることなんだ、と感じたので、彼の自由に、徹底してやってもらうことが一番だと腹括りました。彰っていう存在がそういう人だから。その分、修二は仮面をかぶって世界を泳ぐキャラだから、徹底的に我慢してもらいました。自由な演技は楽しいもので、つい引っ張られて一緒にやりたくなるものですが、「亀梨くんのほうまで崩すと物語の核が曖昧になるから、我慢して、徹底して修二というキャラを守り抜いて演じ抜いてほしい」と亀梨君に頼んだんです。すごいストイックに修二を演じ切りました亀梨くんは。今思うと、その枷が、彼の何か背負っている悲しみの魅力にプラスアルファされたかのようでした。途中から台本も間に合わなくなったから、亀梨君はいろんなこと背負いまくりでしたよ。
ーー亀梨さんが忍耐している状況がドキュメンタリータッチのようでまた良かったのでしょうね。
河野:申し訳ないです。感謝です。
堀北真希と戸田恵梨香との出会い
ーー河野さんが再放送に合わせて Twitterでつぶやいていた裏話に、撮影しながら台本がじょじょに出来上がって来たというものがありました。そんなふうでもできるものなのですね。
河野:今はもう駄目ですよね。今だったら暴動が起きます(笑)。5話ぐらいから僕はほとんど木皿さんの神戸の仕事場につきっきりになって。7話はほんとに全く台本がない状態で撮り始めました。例えば、職員室の先生たちがこの日に撮影できるから、と、その日に集合してもらって、何となく話の流れをまとめたペライチと職員室のシーンだけ先に書いて、スタジオにFAXして、キャストに配ってもらって、その前後の内容がわからないまま演じてもらっていました。スタッフもその時その瞬間の発想や準備で対応してもらって。ありえないです申し訳ないですほんとに。こんなやり方は、もう絶対に無理です。ダメです。いいことないです。
ーー何か無謀なことのできる最後の時期のドラマだったんですね(笑)。
河野:そうかもしれないです(笑)。
ーーそれでも、原作があるので、話の流れは共通認識できたのではないですか。
河野:原作は素晴らしい小説なのですが、長編ではないので、連続ドラマにするにはオリジナルの展開を多く作る必要があって。最終回もどうするか決めないまま、毎回、毎回その場しのぎ(笑)でやっていました。修二と彰の関係性は「青春アミーゴ」という主題歌の「2人で1つ」というフレーズに木皿さんが引っ張られて書いているところもあったように思います。すこしBL風味も入れながら(笑)。
ーー堀北真希さんと戸田恵梨香さんを選んだ決め手も教えてください。
河野:信子のキャスティングに関してはほんとにフレッシュな人がいいと思って、まだ誰も知らないようなこれからの人を探したところ、資料から堀北さんと戸田さんを見つけて、まず会いに行きました。ふたりとも、今の言葉で言うと「キラキラ」の手前、「キラキラ途上」みたいな感じでした。信子は引っ込み思案でどこか鬱屈している子が良くて、当時の堀北さんがぴったりでした。戸田さんはどちらかというと太陽みたいに人をカッと照らす感じの人だったから、野ブタじゃなくて、まり子役をお願いしました。
地獄のなかで少年少女がどう成長するか
ーー当時、「野ブタ。」の前に「女王の教室」というブラックなドラマがあって、えぐい描写を楽しむドラマもありました。「野ブタ。」もいじめが描かれていますけれど、その描写のエグさをエンタメ化していく感じではなかったですよね。
河野:当時、木皿さんは、共同名義で脚本を書いている旦那さん(和泉務)が病気で寝たきりになって、妻鹿年季子さんが介護をしながら書いていたんです。当時はまだ二間しかないアパートの6畳の部屋に介護ベッドが置いてあって旦那さんが寝ていて、その横にワープロが乗ったテーブルで木皿さんが書いていました。台所を挟んだ隣の部屋で、僕はそこで、作業をしながら、木皿さんが「こんなのどう?」と1枚取りあえずワープロからプリントアウトした脚本を見て、瞬時にどう思うかの判断をする。2、3カ月、その繰り返しでした。それくらい、あしたの生活をどうにかしなきゃいけないみたいな中でやってきたものなので、多分その切迫した感じが作品に出ているんじゃないですかね。何か大きなことを描こうとか、大きなものと戦おうとかいうことではなく、いまを何とか乗り越えていけるようなものっていう思いがすごくにじみ出ているんじゃないかという気がします。亀梨くんが、当時、台本がそろってないことも手伝って、描かれていることが何かよく分からないながら、読んで感じたまま演じるだけだったと、インタビューなどで語っていますが、日常のなかにふいにファンタジーが入ってくることや、木皿さんの書く人間の生き方や哲学のようなものは、10代の少年にとっては、行間まで読み解くにはかなりハイレベルな台本だったと思います。ただただ、瞬間瞬間、必死に演じて、それが良かったのでしょう。
ーー今この瞬間の必死感が画面から出てきてそれが胸を打つんですね。本放送から15年経過しましたが、修二が抱えるコミュニケーションの問題は今、ますます根深くなっているように感じます。
河野:当時は「スクールカースト」という言葉がまだなかったんですよ。言葉はなかったけれど、そこにずっとあった。それを教室という名の牢獄(ろうごく)みたいな、ちっぽけな世界を舞台にして描いた。いまの言葉で言うと「学校あるある」ですよね。それがだんだんと言語化されて、SNSもあるから表出してきて。「スクールカースト」っていう最低の言葉として。その地獄を描きたかったから、だからいじめの犯人探しを物語のメインストーリーとして描いてないんです。ほんとは犯人は誰だ!考察だ!って煽らなきゃいけないのかもしれないけれど、そこに興味はなくて。面白いと思わないからそれはしない。そんなことより3人の関係性と修二の成長の方が面白い。よっぽど考察したい。でも犯人探しをメインにやっていたら当時からもっと数字も良かったかもしれません(笑)。
ーー再放送を見ている人たちはどういうところに反応していると感じますか。
河野:暴力を奮ったり、弁当を落としたり、水をぶっかけたりするような肉体に直接行う分かりやすいいじめ方には笑っちゃってるかもです。こんなの今ないよ、って。もっと目に見えないところに行ってしまっているので。今の子どもたちが仮に見てくれていて、何かシンパシーを感じてくれるとしたら、修二のキャラクターでしょうか。本音をさらけ出すなんてばかがやることみたいな、そういう考え方へのシンパシーかなと思います。Aという仮面、Bという仮面、Cという仮面、10個ぐらい仮面をみんなは持っていて。それを使い分けることは悪くない。それでいい。いつも自分の気持ちに正直で生きなさいみたいなこと言ったって、そんなことしたらつぶれていくだけですから。いわゆる青春ものの主人公は、そういう正論を言うヒーローや教師で。周囲の人たちを軽視して騙して嘘ついている修二は、ある種の悪役です。でもそういう彼が、ちゃんと主人公として立ちながら、誰もが持っているある種の優しさによって変化していくことができるか、自分を見つめ直すことができるかみたいなところに、自分と似ている部分を感じてくれているのではないかと思います。
僕は球を投げるだけ
ーー人間とはそういうものだとして、私が好きなのは、修二のお父さん(宇梶剛士)が、遠距離結婚している奥さんのことを、自分のことを駄目なところも知っている人がたとえ遠くでもいればいいんだ、という考え方です(第五回)。
河野:自分を奮い立てるには理想ですよね。でも現実にあれでOKと思って生きていくのって結構大変だと思いますが。
ーーあれは木皿さん発ですか。
河野:そうです。僕は球を投げるだけです。
ーー河野さんはご自身の世界を持っている人だと感じるので、アイデアをたくさん出されるのかなと思っていました。
河野:アイデアなんて僕にはあんまりないです。まず、こういうシーンが見たいです、とか、こんな感情を描きたい、というようなことは言いますが。例えば救急車がサイレン鳴らして走っているの見ると心の中で祈ったりするじゃないですか、お願いだから助かって、とか。そんな気持ちを書いてって。ストーリーと全く関係ないことだけど(笑)。具体的なことを言うのは初稿が来てからです。初稿の前に細かく要望を言ってしまうと、言ったとおりのものが来てしまうこともありますし。言ったことと全然違うものが来てそれが面白いことが一番いいんですよ。木俣さんも同じことを体験していると思うのですが、書いたものに何か言われて奮い立つってことがありますよね。
ーーありますね。修正を頼まれてそのままにはしないで、より面白くなる方法を考えることは。ちょっと話が逸れますが、今回、エンドクレジットを見ていたら根本ノンジさんが参加されていたことに気づきました。最近、月9「監察医朝顔」(フジテレビ系)などを書いている方です。
河野:「野ブタ。」では「助っ人」という肩書です。助っ人でいいよねって、ノンジ君にちゃんと許可もらってます(笑)。今では大活躍です。「すいか」をやる前から僕は何本か連ドラを作っていて、その頃、シナリオ登竜門という新人作家コンクールがまだ日本テレビにあったんです。フジテレビのヤングシナリオ大賞みたいなものですね。そこで、ノンジ君が佳作か何か獲ったんですよ。それをきっかけに、「ナースマン」というTOKIOの松岡昌宏さんが主演のドラマのプロットライターとして参加してもらいました。登竜門で選考に残った5人ぐらい集めて。ペラ1枚くらいのアイデアを出してもらうのですが、できたものを「つまんない」と何度突っ返してもめげずに何度も書き直して持ってきていたのがノンジ君でした。ガッツがあるんですよね。それにそういうことを繰り返していくと体力もつくもので。「すいか」の後、ドラマを異動になって2年間情報番組をやるようになった時、「ノンジ、仕事ないでしょ、ドラマじゃないけど手伝ってよ」と、彼をその番組の放送作家にしたりして。ずっと助けてもらってます。仕事上の精神安定剤みたいな感じでした。その後、松山ケンイチ君主演の「セクシーボイスアンドロボ」で1本書いてもらって、それが彼のデビューです。
ーー野ブタでどの辺りを手伝っていたのですか。
河野:僕の相手をしてくれていただけ、何も手伝ってないです(笑)。台本の遅れを取り戻そうと先の話を1人でもんもんと考えていると煮詰まるからノンジ君に、他にどんなことがあると思う? などと相談しつつ愚痴ったり。だから「助っ人」なんです。最近会ってないけど、心の友です(笑)。
ーー「野ブタ。」の再放送の編集は、河野さんご自分でやっているそうですが。
河野:木皿さんの脚本はフリがあってオチがちゃんとあって、すべてつながっているので、うかつにカットできないのですが、今回の再放送では、大体いつも4分ぐらい切らないとなりません。とりわけ1話は90分あったものを60分にしないといけなくて、だったら自分でやったほうがいいと思って。素材も何も残ってないから、いまある映像を切って編集するしかなくて、家でDVD見ながら、こことここを切ってこうつなげようとメモにして、編集所に行って編集マンと2人で編集しています。
非日常のなかの日常を描きたい
ーー忌野清志郎さんを出演させたきっかけやエピソードは何かありますか。
河野:「すいか」をやった時、当たり前ながら、キャスティングはドラマを決定付けると思ったわけです。役者の醸し出すもので、一気にドラマの質が変容するなあと。それを教えてもらったドラマでした。それまでは、テレビに出ている売れっ子や芸人さんを出せばなんとかなる、みたいな安直な考えも頭の片隅にあって。でもそうじゃない、全くそうじゃない。そんなドラマは今でも多いと思いますが、僕は嫌いです。最初の話に戻ってしまいますが、「野ブタ。」をやるとき、木皿さんに全話、脚本を書いてほしいこと、青春ものをやりたいという思いのほかに、もうひとつ、ほんとに自分の好きな人、ほんとにかっこいい人、と仕事をしたいという目標がありました。それで忌野清志郎さんにオファーしました。物語の中にああいう得体の知れない人がいるだけで独特の世界を作ることができると思ったんです。ゴーヨク堂という書店は、1話の台本の初稿を見た時から、得体の知れない空間で、全ての価値観をあそこでがらりと変えなきゃいけない。そこの店主は、ありきたりの価値観に左右されないような世界をつくり上げられる人がいいから、普通の役者じゃない人にしたくて、清志郎さんにお願いしたらやってくれることになり。ところが、木皿さんはゴーヨク堂を1話だけのつもりで書いていたんです。せっかく清志郎さんに出てもらえることになったのだから、絶対レギュラーと思い、ゴーヨク堂を無理やり毎回書いてもらいました(笑)。その結果、1回だけ出てこない回を除き毎回登場しています。
ーーなぜそんなに清志郎さんが好きなんですかっていうのも愚問ですけども。
河野:ロックスターが一番好きだからです。そして生まれ変わるならロックスターになりたいと今でも思ってます(笑)。ロックスターと言えば清志郎さんです。その音楽はもちろん、原発や戦争、それに対峙する姿勢や生き方、化粧やファッションまで、全てかっこいい。話はそれますが、THE BLUE HEARTS、今はクロマニヨンズの甲本ヒロトとマーシーが僕の神様です。「ど根性ガエル」の主題歌をクロマニヨンズにお願いできたこと、それが叶ったことは、何よりも僕の自慢だし、宝物です。
ーー清志郎さんが出てくれた決め手はなんだったかお話されましたか。
河野:何で出てくれたのか、わからないです。不思議です。当たって砕けろって大事ですね。
ーー本屋さんの場面があることで、ドラマの質は確かに変わりますよね。
河野:変わります。ファンタジー感が出てくるっていうか。例えば。1話の美男美女以外立ち入り禁止というエピソード、あのファンタジックさは清志郎さんだから醸せる訳で、普通なら単に嘘くさいシーンになってしまうと思うんです。清志郎さんの存在自体がファンタジー。そして、ファンタジーイコール非日常じゃないですか。「野ブタ。」は高校生の日常を描くなかに、非日常がふいにあることが魅力だと思います。
ーー最近のドラマは、ファンタジーならファンタジー、ふつうの日常ならふつうの日常と切り分けているものが多いですが、日常にファンタジーが入っていてもいいですよね。
河野:日本は半径5メートルの世界の物語ばかりと言われがちですが、ほんとにそういう傾向が強いように思います。
ーーコロナ禍もあって、これからますますそうなって行くのでしょうか。
河野:個人的にはそういうものにはもう飽き飽きしています。「日常」という言葉は「新しい日常」という言葉が出てきてから余計に物語ではもういいかな、もう聞きたくない見たくないという気になっています。いま、リモートを使った番組が増えて、誰かの日常がのぞき放題じゃないですか。ユーチューバーやネット動画も含め、他人の日常で溢れていて。そういう他人の日常は、食傷気味で、自分の日常だけでもう十分で。物語をつくるのならば徹底的に非日常性を描きたいと思っています。コロナみたいな非日常が突然襲ってくる世界だからこそ、それを凌駕する物語が欲しいというのがいまの気分ではあります。非日常の中にちゃんと日常を描きたいですね。
青春と世界をもう一度描きたい
ーー河野さんはいま、映画部所属ということで、今後は映画を作っていかれるのでしょうか。
河野:「ブラック校則」は、映画と合わせて深夜ドラマとHuluの配信ドラマを作りましたが、基本的には映画ですね。
ーー「ブラック校則」の話に戻ると、制服の背中に言葉を書き込むのが「野ブタ。」のオマージュのようで。あと、壁の落書き。今、登場人物の心の声を、SNSの描き込みの表現をCGで出すことが多いなかで、壁も制服もあくまでアナログでいくところが良かったです。
河野:あれは、脚本家の此元和津也さんのアイデアです。「セトウツミ」という漫画を書いた漫画家さんですごい才能の人です。甲本ヒロトを神様と思ってるのも一緒です(笑)。もう絵を描きたくなくて脚本を書きたいんですって。そんな此元さんに、バンクシーの絵を例にあげ、本物かどうかもわからない絵ひとつで、世界が右往左往することが、バンクシーの発するメッセージも含めて面白いから学園ドラマでバンクシーみたいなものが現れて物語が動いてくみたいな感じやってみたいです、と言ったら壁の落書きが生まれてきました。現代にはスマホがあるからどうしても、学生の意見を出すとなるとスマホ表現が必要になりますが、ブラックな校則の学校なので、スマホ禁止で都合よかったです(笑)。
ーー最初に、15年経っても変わらず河野作品は瑞々しいと言いましたが、時代が変わってもなくならない普遍性のあるものを描き続けているのでしょうね。
河野:「野ブタ。」の場合はいじめられっ子をプロデュースして変えることで社会に対抗しますが、15年後の「ブラック校則」では校則問題に立ち向かい、学校を変えようとするので、少しだけスケールが大きくなってるかも、学校や大人と戦ってますから(笑)。時代と共に変わったことと言えば、「ブラック校則」ではそういうシーンはないですが、その数年前、岡田惠和さんの脚本、銀杏BOYZの峯田和伸さん主演で「奇跡の人」(NHK)というドラマをやったんです。
ーー河野さんが制作会社アックスオンに出向されていた頃ですね。
河野:そうです。「ど根性ガエル」https://news.yahoo.co.jp/byline/kimatafuyu/20150717-00047591/を作った後でした。日本テレビでは企画が通らなかったので、だけど、どうしても作りたくてアックスオンに出向させてもらってNHKで作らせてもらって。そこで決闘シーンを描いたんです。それまでそういう場面を作ってみたことがなくて、岡田さんもそういうことを描かないタイプですが、山内圭哉さんにヒール役になってもらいました。ハンディキャップをもった娘を置いて家を出てしまう役で、峯田さんが彼と喧嘩するんです。なぜそういう場面をあえて入れたかというと、肉体的な喧嘩などをはじめとしたアクションは、ある種のドラマの根源みたいなところがありますよね。俳優の肉体性みたいなものが爆発する青春もの、ちゃんとやってみたいなあと思ったのです。自分でやったことないから。殴り合いの喧嘩。行為自体はいいものではないけれど、フィクションに、喧嘩という「非日常」を入れることは大事なんですよね。岡田さんは障害を持った子供を捨てる男親なんてなるべく出したくない、話を違うところに手を突っ込まざる得なくなるから、と言っていたのを、拝み倒して書いてもらったんです。で、結果的に岡田さん、毎回描いてくれました。最高の形で。
ーーまたいろいろ青春ものを続けてやってほしいです。
河野: 8月に公開する映画、吉沢亮さんと杉咲花さんが主演の「青くて痛くて脆い」も青春ものです。原作がキミスイ(「君の膵臓を食べたい」)の住野よるさんで、大学生の青春サスペンスです。これも世界を変えようとする話ですよ。その次に企画している映画も青春ものです(笑)。
ーーでは最後に、「野ブタ。」の再放送をご覧になる方にメッセージをお願いします。
河野:「未満警察 ミッドナイトランナー」。毎回予告を見てますけれど、とても面白そうです。中島健人君、平野紫耀君、の二人のコンビは2020年の今!って感じがするし、とても楽しみです。が、その前に!「野ブタ。」も忘れずに見てください。
ーーコロナ後の世界はどうなると思いますか。
河野:以前に戻ってほしいこともありますが、戻らなくていいものも多いなと思います。「コロナは今僕らの文明をレントゲンにかけている」と海外の作家の言葉があります。ほんとその通りで、元どうりになって欲しくないものをちゃんと記憶していたいです。例えば、リモートワークは僕には快適でこれはこのままであってほしい。会社に行きたくないです(笑)。学校だって無理に行かなくていい。でもライブには早く行きたい。そうやっていろいろな価値観が変わるからこそ、変わってほしくないものは自分の中に大事にしたいと思います。先日、村上春樹のラジオを聞いていたら、コロナの後、村上春樹さんはどんなものを書きますかという質問に「わかりません」と答えていました。でも絶対何かしら書くとも言っていました。村上春樹いわく、作家には2通りあって、対象物とそのままストレートに格闘して行くタイプと、身体を通していつの時か、すっと出てくるタイプがあるとしたら、自分は後者なので、いつになるかわからないけれど、このことは何か作品に出てくるはずだという言い方をしていました。
ーー河野さんも同じですか。
河野:わからないです。作家じゃないですし(笑)。プロデューサーという立場でどんな話を考えて作っていきたいと思うのか、全くわかりません。焦らずゆっくりやろうかなと思っています。これまでもそうだったように。
ただ、世界は大変なことになってしまったけれど、15年後に「野ブタ。」が放送されたことは本当にうれしかったです。Twitteで見てくれた方のコメントを読んで、なるほど!と思うことも多くて。「青春」と「世界」の物語をもう一度だけでいいから作ってみたい、
もう少しだけがんばろう、と思っています。
profile
河野英裕 1968年生まれ。プロデューサー。91年、日本テレビ入社。03年に木皿泉が脚本を書いたオリジナルドラマ「すいか」を制作、以後、「野ブタ。をプロデュース」(05)、「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」(06)、「セクシーアンドボイスロボ」(07)、「銭ゲバ」(09)、「Q 10」(10)、「妖怪人間ベム」(11)、「泣くな、はらちゃん」(13)、「弱くても勝てます」(14)、「ど根性ガエル」(15年)、「奇跡の人」(16年)、「フランケンシュタインの恋」(17年)、映画「ブラック校則」(19年)などがある。映画「青くて痛くて脆い」が8月公開予定。
取材を終えて
「野ブタ。をプロデュース」の第一話の冒頭が好きだ。電車が並行して走っていてそれが交差する。2005年の東京の風景と少年。そこには真実しか映っていない。脚本は回を追うごとに間に合わなくなって、次に何が起こるかわからないまま、俳優たちは手元にある場面の台本に集中するだけだったとか。まるで明日のことはわからない実人生のようで、そんな現場に放り込まれた俳優たちの鼓動が画面越しに伝わってきて、
視聴者までドキドキしていたのかもしれない。そういう状況でも若いながらもなんとかできる能力のある俳優ばかりだったのだろう。だからこそ、いまも彼らは第一線で活躍している(堀北真希は結婚して潔く引退してしまったが)。
亀梨和也と山下智久の演技の質がまったく違っていたのがとても良かった。他者に心を開かず表面的に気のいいヤツを演じているがでもその棘が隠しきれない修二役の亀梨と、世の中のルールなんか気にしないで自由に漂っている彰役の山下。違うやり方で常識に対抗していて、補完し合っていた。
自分を、世界を、変えたいと抗う少年少女のドラマ「野ブタ。をプロデュース」はそのときにしかできない奇跡のドラマだと思ったが、昨年「ブラック校則」という映画(と付随するドラマ)を見たら同じような鮮烈な感覚を覚え、スタッフクレジットを見たら「野ブタ。」と同じ河野プロデューサーでびっくりした。15年も経過してもピュアな芯を守り続けられるって凄いと感じた。そしたら今年「野ブタ。」の再放送がはじまったので、これはもう、いまの河野さんが何を考えているか聞いてみたいと思ったのだ。時代が変わり、ドラマや映画の制作事情も変わるなか、ずっと自分の信じるものを守って戦い続けている人がいることは救いである。コロナでさらに変化が起こっているが、これからの物語はどうなっていくか。河野さんの作るものも見続けていきたい。
「野ブタ。をプロデュース 特別編」
脚本:木皿泉
出演:亀梨和也、山下智久、堀北真希、戸田恵梨香ほか
第9話 6月13日(土)
第10話 6月20日(土)
夜10:00-10:54、日本テレビ系にて放送