【富田林市】配慮で段々式の児童公園に古墳を移築。メゾンドールウイングヒルズにあった小金平古墳をご紹介
富田林にはたくさんの古墳がありますが、その多くはその場所で保存されて公園として整備されるか、開発計画の関係で埋め戻されるパターンがほとんどです。
しかし、その両者の折衷案というべき非常に珍しい例が富田林にあります。開発計画のためにすぐ近くに古墳の遺跡を移築したという、美山台の小金平(こがねひら)古墳です。
地図で確認しましょう。小金平古墳は、甲田西児童遊園の中に移築されていますが、かつてはその場所から東に60メートルの斜面にあったとのこと。
地図でおおよそ60メートル東がどのあたりか確認してみると、おおよその位置がわかりました。メゾンドールウイングヒルズという集合住宅の敷地内で、宅地造成をするために移築されているのが地図でもわかります。
甲田西児童遊園の前に到着しました。この児童公園の中に、移築された小金平古墳があります。そしてその奥には、メゾンドールウイングヒルズの建物も見えます。
この先は急な坂です。坂の上から山々の絶景が見られますね。
公園内に入ってみました。移築した古墳はどこにあるのでしょう?
ところが公園内に来ると、遊具はありますが肝心の古墳がありません。いったいどういうことでしょうか?
その理由は、甲田西児童遊園が平たい場所にあるのではなく、棚田のように園内に高低差があるからです。
このように階段で降りた先も甲田西児童遊園になっているのです。
階段を降りたところです。ここには何もありませんが、さらに下に降りる階段があります。
階段を降りようとすると、下に古墳らしきものが見えました。
下に降りてきました。これが移築された小金平古墳です。
説明版があります。引用しましょう。
面白いのはすぐ近くにあって、以前ご紹介した樟木谷古墳(くすのきだにこふん)が4世紀後半(西暦350~400年)だったのに対して、小金平古墳は7世紀半ば(約650年)と250年から300年の開きがあるということです。
わかりやすい例えにすると、仮に小金平古墳が西暦2000年に作られたとすれば樟木谷古墳が1700年から1750年の間に作られたとなり、それで考えると、江戸幕府の8代将軍吉宗の時代になるので、同じ古墳でも随分と造られた時代が違うのがわかります。
いずれにしても、古墳が宅地開発者の協力で移築・復元され、市民の身近に触れることができる文化財として整備されたのは、大阪府下でも非常に少ない事例なんだそうです。
ちょうど、左側に集合住宅が見えますが、かつてはあのあたりにあった古墳をここに移築したんですね。公園も斜面を段々畑のように土地を造成して作られているので、西側に行くとここでも絶景が見られます。
このあたりに埋葬されたのは、画像のように遠くの美しい山(大和葛城山、金剛山)が見えるようにと考えられたのでしょうね。
ということで、移築された小金平古墳を紹介しました。移築したとはいえ、原型が残されているのは非常に貴重なものだと、古墳を見ながら感じました。
小金平古墳(甲田西児童遊園)
住所:大阪府富田林市美山台7
アクセス:アクセス:南海金剛駅からバス 小金台2丁目バス停より徒歩5分
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