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「昭和おじさんの栄光」をアップデートせよ【八代充史×倉重公太朗】第1回

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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今回のゲストは、慶応義塾大学の商学部教授、八代充史先生です。現在の労働政策研究・研修機構機構(JILPT)勤務を経て、慶應義塾大学商学部助教授、2003年同教授。現代の日本企業の人的資源管理を実証的に研究しています。『新しい人事労務管理(第6版)』『人的資源管理論:理論と制度(第3版)』など、著書多数。長年人的資源管理を研究してこられた八代充史先生に、昭和の時代から令和の時代へ、変わる日本の雇用慣行について伺いしました。

<ポイント>

・昭和的な働き方は、令和になって、どのように変化しているのか

・ジョブ型企業に行く人は交渉能力が重要

・社員に優しくしすぎるとモラル・ハザードが起きる

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■JILPTで研究者として働く

倉重:今日は慶應義塾大学の八代先生にお越しいただいています。私も慶應出身ですから、先生のお名前は前々から存じています。大変恐縮なのですが、自己紹介いただけますか?

八代:私はいわゆる内部進学者で、中学から慶應に進みました。出身は経済学部で、人事などを社会学的に研究している「産業社会学」というゼミを出ました。学部ではあまり勉強しなかったので、「社会に出る前にもう少し勉強しておいたほうがいい」と思い、佐野陽子先生のいる同大学院商学研究科に入りました。「博士課程を出てから、そのまま研究しなさい」と先生にも言われたのですけれども、正直大学で学問を究める自信がありませんでした。当時は大学の学問というのは、「難しい本を読んで、理屈をこねること」だと誤解をしていたのです(苦笑)。

倉重:アカデミックという感じですか。

八代:私はあまりそのようなものは得意ではなく、フィールドワークがしたいと思いました。先生に相談して、紹介されたのが今のJILPTです。当時は雇用促進事業団雇用職業総合研究所という名称で、雇用と職業を研究している研究機関でした。

倉重:シンプルですね。

八代:その後に日本労働協会という労使関係を研究している研究所と合併して、日本労働研究機構、今のJILPTの前身のJILができたのです。そこに雇用職研時代から入れて10年くらいおりました。当時の研究機関としては、今よりはかなり恵まれた予算や時間があったと思います。大学の教員だと、教育にかなり時間を取られますけれども、そういったobligation(義務)はありませんでした。

倉重:研究に専念されていたのですね。

八代:その代わり、労働省の行政研究所でしたので、お役所との調整などがありました。

倉重:「このような報告書をつくれ」と言われていたのですか。

八代:「要望研究」という名称だったと思います。ただ、例えば行政での微妙な問題、当時であれば派遣労働者の研究については「アンタッチャブル」だったかな。。。

私自身は、当時からホワイトカラーの雇用に関心がありました。昨日もある研究会に出ていたら、人材ビジネスの会長さんが、ホワイトカラー雇用の余剰問題について熱く語られていましたが、そのようなことに関心がありましたので、特に息苦しさを感じることはありませんでした。

倉重:最初から研究者になろうと思っていたのですか?

八代:学部生の時も、今の学生さんがするように、商社やメーカー、銀行などに行く普通の就活にはあまり興味がありませんでした。ゼミの先輩にOB会で会うと「会社に来ないか」と誘われることもありました。しかし、とても自分がそのような世界で通用するとは思わなかったのです。私はシンクタンク志望でした。三菱総研や野村総研などは、今でも代表的なシンクタンクです。ただ、そのようなところは、なかなか学部生は採ってくれません。

倉重:それで院に進学されたのでしょうか。

八代:大学院に行けば、少しはそのような世界で雇ってもらえるかもしれないという期待がありました。当時は、雇用職業総合研究所のことは知らなくて、大学院に行くことがリサーチの仕事をする上では必須だと思っていたのです。当たり前のことを「世間の厳しさ」と感じてしまうくらいに世の中を知らなかったのですが、そのような形で大学院に進学しました。

倉重:JILPTで勤務されて、いつごろ転機があったのですか。

八代:JILPTに10年くらいいて30半ばくらいになってきたころ、「そろそろ別のことを」と考えるようになりました。もちろんサラリーマンの様に昇進に行き詰ったから転職した訳ではないですが、組織の性格が曲がり角を迎えていたのは事実です。当時のJILPTには1年間留学できる制度があったので、私は1年間イギリスに行かせてもらいました。帰ってくると、1年間イギリスで自由な生活を送ったせいもあり、以前とは違うものを感じるようになったのです。

倉重:留学して帰ってくると、モノの見方が変わってしまいますからね。

八代:そうです。静かなところで生活すると、電車の音がしても「うるさい」と感じてしまいます。同じようなことが、組織の人間関係でもありました。

倉重:留学あるあるです。留学に行くと大体辞めてしまったりします。

八代:帰国して1年経ったところで慶應大学が公募をしていたので、ダメ元でアプライしたら合格しました。「研究所で1年間海外に行かせてもらったのに」と随分言われながらも、慶應に移りました。

倉重:雇用関係の研究は、ずっと続けよう思っていたのですか?

八代:そうです。例えばJILPTでも大学でもそうですが、組織に所属していれば、雇用やマネジメントの問題は、自分が別にマネジメントをしなくても、される側として直面します。硬い言葉を使うと演繹(えんえき)ではなくて帰納というのでしょうか。

倉重:まさにフィールドや体験などですね。

八代:自分が経験したことを一般化していくという、今につながるような研究をしたいと、学部の4年生ぐらいからずっと思っていました。昔の慶應の経済学は、理論経済学のようなものが強かったものですから、私も人並みに関心は持ちましたが。

倉重:私も慶應の経済学部だったので、何となく聞いたことがあります。

八代:一般均衡理論など難しいものを研究しようとも思いましたが、どう考えても自分に合わないことが分かりましたので、産業社会学のゼミを選びました。どちらかというと経済学部の中ではアウェーだったかもしれません。でも、その先生のゼミに入って良かったと思います。現在閣僚の任にある方、国会議員の御夫君であられる方も在籍されていました。

倉重:豪華メンバーですね。

八代:日本の歴史に残る経営者のご親戚など経営者や政治家の縁戚が多いゼミでした。

倉重:では、昭和的な日本型雇用慣行の時代から、もうずっと研究をされてきたのですね。

八代:それがまだ染み付いているので、「メンバーシップ型も捨てたものではないのではないか」ということが自分の肌感覚として残っているのかもしれません。

倉重:そこなのです。まさにこの昭和的な働き方、読者のために言いますと年功序列や終身雇用のようなものが、この平成から令和になって、どのように変化しているのでしょうか。先生の目からご覧になられてどうなのかということを、聞いてみたいのです。

八代:昭和のおじさんのメンタリティーのようなものを、私も何となく引きずっています。私の知り合いでも、昔の仲間と会うと、今でも円陣を組んで尾崎紀世彦の歌を歌っているそうです。

倉重:「若き血」を歌ったり(笑)。

八代:そのような働く人のメンタリティーというか、世代効果はもちろんあると思います。雇用制度には、人の入り口と出口があります。その中で人をどのように活用して、会社が成果を引き出し、その見返りに報酬を与えるのかという世界だと思います。昨日もある研究会で人材ビジネスの経営者が、「終身雇用は崩壊した」というようなことをおっしゃっていましたが、私は新規学卒採用があって、定年制があるという意味での雇用制度というのは、基本的には変わっていないと思います。

 ただ問題は、その中で余剰人員が生じていることです。余剰人員の問題は、雇用がある程度安定的というか固定的だと、いつの時代にもあることです。雇用の余剰人員が50代ぐらいに存在しているという話は、今に限ったことではありません。団塊の世代がいた時には、団塊の世代問題というので、「日本の雇用はかなり深刻なのではないか」、或いは定年年齢が60歳に延長されると「定年延長すると高齢層に余剰が生じるのではないか」と言われていました。

 ある意味で、長期雇用や終身雇用言われている中高年の余剰問題は、鏡の表裏の様なものだと思います。

倉重:働かないおじさんですね?

八代:よく言われている「働かないおじさんをどうするのか」という問題も、日本的雇用が常に内在する問題だと思います。それをどうやって調整するのかということです。例えば解雇の問題をどうするか。倉重さんのご本(※「雇用改革のファンファーレ」)にもあったように、「金銭解決をして、もう少し解雇のやり方を変えたほうがいいのではないか」というような話が、常に出てくると思います。

 余剰人員というのは、会社にとって当然重荷だと思います。その人が悪いのではなくて、その会社ではフィットしないというだけだから、企業を超えて人が移動する仕組みをつくることが、産業構造の変化への対応や、適材適所につながるはずです。会社の中ではくすぶっている人が、もっと別のところで活躍できる場所が出てくれば、それに越したことはありません。人の移動を円滑にすることは、もちろん重要だと思います。

 ただ、それを解雇という形で行うのはあまり賛成できません。雇う側と雇われる側は対等な関係ではないからです。雇う側と雇われる側は対等な関係だから、「いつでも辞めさせられる社会」と「いつでも辞められる社会」が基本だという考え方が、一時は流行したと思います。しかし雇う側と雇われる側は決して対等ではありません。雇う側が権力もお金も持っています。絶対に雇う側のほうが強いので、雇う側を規制して、雇われる側を労働組合や労働基準法で守るというのは、理にかなっていると思います。

倉重:そのために法律がありますからね。余剰人員の解雇というと「俺たちは要らないのか!」と反発を受けることもありますが、人格的な否定をしている訳ではないのです。しかし、日本の場合、仕事が全人格的に結びつく傾向がありますね。なので、解雇については凄くアレルギー反応のようなものがあると思います。

八代:ですから、解雇しやすくするよりは、辞められる自由といいますか、本人のほうが転職、移動できることが重要です。それから、企業が主体的に何かをする場合でも、解雇ではない方法を考える。例えばコロナ禍をきっかけに、家電量販店に航空会社の社員が出向しているというケースがありました。このような日本企業の出向転籍や、人材コンソーシアムのようなものを使って、解雇という形を経ないで人を移動させていく方法が考えられます。

解雇には、第1に企業と従業員とが対等な関係ではないということ、第2に解雇をすることによって失業が増大することという2つの問題があります。そのような解雇を経ないで、個人が主体的に移動をしやすくする仕組み、あるいは企業間で人材を融通し合う仕組みをつくることによって、解雇を経ない形で労働移動を円滑にしていくほうがいいのではないでしょうか。

倉重:出向を活用した失業無き労働移動ですね。この点少し補足させていただきたいです。コロナ禍において他の企業への出向がなし崩し的に認められつつあるのですが、法律的に見ますと労働者供給として職安法違反の可能性が常にあると言わざるを得ません。

八代:職安法違反ですか。

倉重:もちろん昔からグループ会社への出向は認められていましたけれども、何の資本関係もないところに、人員調整で出向させることは、突然駄目だと言われる可能性があります。もちろん、現在のコロナ禍で摘発するようなことはしないと思いますが、いつまで合法的に行えるのかも不明です。そのため、なんとなくの空気感でやるのではなく、本当はきちんと法整備しておく必要があると思います。

いずれにせよ、解雇という手段によるかどうかは別として、今までの日本型雇用より、もう少し流動性を持つような雇用社会になっていくべきというお考えですか。

八代:そうです。新規学卒採用で企業が人を育てていくという仕組み自体は、そんなに悪いものではないと思います。別に大学の教員だから言うわけではないのですが、学校から職業への円滑な移動が行われることになります。それから失業率を低くすることにも貢献していると思います。

倉重:新卒一括採用は若年失業率にすごく貢献していますよね。

八代:そうです。ヨーロッパで若者の失業率が高いのは、新規学卒採用という慣行がないからです。高齢者雇用が延長されると、そのしわ寄せが若い人にいってしまうことになります。

倉重:イタリアやスペインの若年失業率は深刻ですものね。

八代:昔、フランスでその問題を解決するために「解雇しやすくすれば、人を雇いやすくなるのではないか」という考えで政策が採られたことがありました。理屈としては分かりますが、あまりうまくいかなかったようです。私は労働法の専門ではないのですが、雇用拡大の為に解雇しやすくするというのは本末転倒ではないかと思いました。

 日本の場合は、企業が仕事の経験がない新規学卒者を一人前にしないといけないので、育成にお金をかけざるを得ません。お金をかけた従業員は大事されます。大事にした結果が、中高年の余剰人員に表れているのかもしれませんが、人を大事にするということは、悪いことではないと思います。

 問題は、どんな場合でもそうですが、上司が部下に優し過ぎたり、会社が従業員に優し過ぎたりすると、優しくしてもらった人は、必ずモラル・ハザードという形で恩をあだで返すということです。寝転がって何もしなくなってしまうというのが問題です。

倉重:良い問題提起をありがとうございます。

(つづく)

対談協力:八 代 充 史(やしろ・あつし)

慶應義塾大学商学部教授。博士(商学)。

1982年3月慶應義塾大学経済学部卒業。

1987年3月慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。

1987年5月~1996年3月まで日本労働研究機構(旧・雇用職業総合研究所)に勤務。

1996年4月~慶應義塾大学商学部助教授。

2003年4月~現職。

主要著書

『大企業ホワイトカラーのキャリア-異動と昇進の実証分析』日本労働研究機構、1995年。

『管理職層の人的資源管理―労働市場論的アプローチ』有斐閣、2002年

『ライブ講義 はじめての人事管理(第2版)』(共著)、泉文堂、2015年。

『日本的雇用制度はどこへ向かうのか―金融・自動車業界の資本国籍を越えた人材獲得競争』中央経済社、2017年。

『人的資源管理論―理論と制度(第3版)』中央経済社、2019年。

その他、

管理職層の人的資源管理―労働市場論的アプローチ』により2004年度慶應義塾賞受賞、、日本生産性本部経営アカデミー人事革新コースコーディネーター。東京労働大学講座運営委員。日本労使関係研究協会常任理事。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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