F1には今こそファンタジーが必要!お金の話はもう飽きた。
「実力だけではF1ドライバーにはなれない」
は?そんなこと、何を今さら?と感じるレースファンが一気に増えた。世界最高峰のモータースポーツ「F1世界選手権」を戦う20数人のレーシングドライバーになるためには、実力や成績、チャンピオンの称号だけでは足らず、豊富な資金力または国や大企業の多大なるバックアップが必要であることは今やレースファンの常識である。
ただ、普段からF1の状況を追いかけていない人からすると、全く理解できない話になる。状況を説明されても「だったらなぜF1を目指すの?」という疑問しか頭に浮かばず、「そういう世界なんだ・・・」と理解するまでには相当な時間を要する。また、説明をされても、理解しようとする前に興味のベクトルは別の方向に向いてしまうものだ。F1を取り巻く状況は実に複雑怪奇である。
2014年、そういった状況を目の当たりにし、嘆くレースファンがかなり増えたと感じる。かつてはレース関連の雑誌をくまなくチェックし、F1と裏側のマネーに関する書籍を読む一部のレースファンにしか知られていなかった「本当のF1」の状況が、ネットやSNSの普及で今やワンクリックで手に入る時代になってしまい、F1のファンタジーは崩壊してしまったといえる。
象徴的だった小林可夢偉のシート喪失
国内のレースファンがF1を取り巻く難しい状況を実感したのは、2012年。当時ザウバーに乗っていた小林可夢偉のF1シート喪失だった。2012年の日本GP(鈴鹿)で日本人として3度目の3位表彰台を獲得して起死回生の一撃を打ったにも関わらず、小林は「ザウバー」のシートを喪失。ビッグスポンサーとバックアップをもつ新人ドライバーにその座を奪われてしまった。
鈴鹿でベストリザルトの3位という素晴らしい成績を残し、過去の日本人F1ドライバーの中では最も優勝の可能性が高い逸材と言われた小林可夢偉ですらシートを維持できない状況に、日本のF1ファンはひどく落胆した。
2013年はF1活動を休止し、WEC(世界耐久選手権)のGTクラスで「フェラーリ」と共に戦った小林可夢偉は2014年に「ケータハム」のシートを獲得。しかし、シーズン途中にチームは売却。レース後半戦は他のドライバーにチームがシートを明け渡し、新体制のチームは挙げ句の果てには資金難から2戦を欠場するという悲惨な状況に陥った。状況が変わるたびに伝えられる「ケータハム」の内情にファンはさらに落胆し、シーズンが進むにつれて、ビッグスポンサーのバックアップを持つドライバーが次々にシートを獲得していき、2015年のF1に日本人ドライバーが居なくなる可能性を多くのF1ファンは早い段階から意識し、受け入れる心の準備をしていたように感じる。
マクラーレン・ホンダに日本人ドライバーの名前は無かった
2015年からホンダがパワーユニットを供給する「マクラーレン・ホンダ」のラインナップがようやく発表された。レギュラードライバーにフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの世界王者コンビ。そして、リザーブドライバー(控え選手)に今季のレギュラーだったケビン・マグヌッセンが起用されることになり、そこに日本人ドライバーの名前はなかった。
もちろん、ドライバーラインナップ決定に関してはホンダの推薦で決まるものではない。そして、過去の例を見ても、ホンダはF1復帰のタイミングで日本人を起用することは無かった。一部では唯一の日本人F1レギュラードライバーである小林可夢偉を推すような論調やインタビューも見られたが、日本のF1ファンがその流れを盛り上げようとする雰囲気はあまり無く、正式にラインナップが発表された今も冷静に日本人ドライバーが居ない現実を受け止めている。実際にはその発表が行われた日、小林可夢偉はトヨタエンジンを搭載するスーパーフォーミュラのテストで2日連続のトップタイムをマークし、この話題の方が関心を集めているようにも感じられた。
佐藤琢磨の時はどうだっただろう。2004年のアメリカGPで3位表彰台を獲得した佐藤琢磨だったが、翌2005年はランキング23位(入賞は8位が1回のみ)。チームメイトのジェンソン・バトンはランキング9位と、明らかな差がついたにも関わらず、あの時代はまだ佐藤琢磨が何とか翌年もF1で走れると多くのファンが希望を持っていたことを思い出す。結局、翌2006年はホンダが急ごしらえの鈴木亜久里のF1チーム「スーパーアグリ」にエンジンを供給することになり、そこに佐藤琢磨が乗るという超ウルトラC的な継続参戦が実現した。
今やそんな超ウルトラCな状況は生まれようが無いとファンは分かっているし、誰も論じようとはしない。とても冷めた雰囲気が漂っている。しかし、言い換えれば、国内のF1ファンは知識面でも相当に成熟したのではないか。
F1はビッグビジネスの舞台
日本人ドライバーがF1で自動車メーカーや国内のビッグスポンサーのサポートなしに翌年のシートを維持することはとても難しい。そんな現実を多くのファンが知るに至り、国内レースの「SUPER GT」などに興味のベクトルがシフトしたファンも多い。国内の「SUPER GT」や「スーパーフォーミュラ」のようなトップクラスの4輪レースにはピュアな戦いがあり、ファンサービス面でも充実度が年々増しているため、魅力的に映るのだ。
ただ、F1は金だけがモノをいう、魅力のないレースに変わり果ててしまったのか?というと決してそうではない。というのも、F1未経験の若手が、実力と実績だけでシートを獲得できるほどF1は簡単な世界でないのは何も今に始まった話ではないからだ。
1970年代後半のF1を描き、今年話題となった映画『RUSH〜プライドと友情〜』ではニキ・ラウダとジェームス・ハントがF1シートを掴むまでのシーンが描かれている。後のワールドチャンピオン、ニキ・ラウダですら持参金を持ち込んでF1に乗ることになったし、ジェームス・ハントは大富豪のヘスケス卿のバックアップがあって、チームと共にF1にステップアップでき、まずはそこからそれぞれワールドチャンピオンへの道のりを掴んで行った。
F1に関する知識なしに、この映画を見た人はおそらくピンとこなかったことだろうが、その時代からF1での常識はほとんど変わっていない。ただ単に持参金の額が数千万円単位から今は数十億円単位に変わっただけなのだ。それほどまでにF1はビッグビジネスになったと理解しよう。
しかしながら、これほどまでにF1のビジネス面にまつわるお金の話がインターネットで報じられるのは、F1の将来にとってあまり良いことではない。元々、モータースポーツはお金のかかる世界なのだが、「持参金20億円でシート獲得」など具体的な金額が示されると興ざめしてしまうのが庶民の心理だ。
人気が高まる国内レースにおいては、ドライバーの年俸や持参金ドライバーの持ち込み額が語られることは今やほとんどなく、オブラートに包まれるどころか完全に封印され、情報統制が徹底している。つまりはファンタジーがある。そう考えると、情報多寡のSNS時代にF1のボス、バーニー・エクレストンがインターネットを忌み嫌う発言をするのも納得できる。F1には今こそ、金の話を抜きにしたファンタジーが必要だ。