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男性は性犯罪者予備軍と決めつけか キッズラインの男性シッター対応が間違いの理由

原田隆之筑波大学教授
(写真:アフロ)

「キッズライン」の発表

 保育所の不足や女性の社会進出,核家族化の進行などの流れの中,ベビーシッターの需要が急増しています。そのニーズに応えるために誕生したのが,ベビーシッターのマッチングアプリ「キッズライン」です。これは,ベビーシッターとして登録した人と,子どもを預けたい親とのマッチングをサポートするアプリであり,手軽なうえに比較的低価格で利用できることから人気を博しています。

 ところが,「キッズライン」にベビーシッター登録していた男性ベビーシッターが,預かっていた子どもの下半身を触るという事件があり,アプリ運営会社側は,対応を迫られていました。そして,6月4日に今後の対応方針が発表されました。そこでは「男性ベビーシッターの登録受付を一時停止する」ということが含まれていました。その理由は「専門家から性犯罪が男性により発生する傾向が高いことを指摘された」とされています。

性犯罪の現状

 この事件が事実ならば,強制わいせつ事犯となるでしょう。そして,心理学的にいうと子どもに対して性的関心を抱くことは,性の逸脱と考えられ,「小児性愛(ペドフィリア)」と呼ばれる精神障害の1つでもあります。

 強制わいせつは,警察白書によれば年間5,000件ほど発生しており,性犯罪の中でも数が多い犯罪です。このような卑劣な犯罪は絶対に許されるべきではなく,断固とした対処が必要です。また,処罰に加えて適切な治療をしなければ,再犯のおそれも否定できません。私自身,精神科病院で性犯罪者の「治療」に長年携わっていますが,小児性愛者は数自体はさほど多くはありません。しかし,無防備な子どもを狙う悪質さや,子どもの将来に大きなダメージを及ぼす可能性があることなどから,重大な犯罪であることは間違いありません。

 男女比を見ると,どの犯罪であっても男性が圧倒的に多いのは事実です。特に性犯罪になるとそれが際立ちます。女性もゼロではありませんがきわめて少数です。その理由は,性的衝動や攻撃性など,性犯罪の要因となるものは男性ホルモン(テストステロン)の働きと密接な関係があるからです。テストステロンの血中濃度の高い男性は,性的に活発で攻撃性も高いことがわかっています。

職業と性別

 このような事実がある一方で,ベビーシッターという職業(あるいはサービス)から,男性を締め出すことは適切でしょうか。そしてそれは問題の解決になるのでしょうか。もちろん,運営者側は事態を重く受け止め,二度と同様の事件を起こしてはならないとの強い使命感のもとに,熟慮に熟慮を重ねて,専門家の意見も聞いて判断されたのだと思います。とはいえ,いろいろな疑問が頭に浮かぶことも事実です。

 まず,すべての職業において,性的差別や区別を撤廃していこうという世間の流れがあります。特に,家事や育児などの家庭サービスは,これまで女性の仕事とされ,女性にばかり不当に押し付けられてきたという反省があります。それを改善する動きはまだ遅々として進んでいませんが,それでも男性側の意識も徐々に変わりつつあります。今回の措置は,そうした動きに逆行するように思えます。

 逆に,家事サービスに関心をもつ男性に対しては「男のくせに」という古い価値観がいまだについてまわり,その参入を邪魔したり,揶揄したりするような価値観もまだ残っています。

 私は仕事柄よく飛行機に乗るのですが,海外の航空会社と比べて日本の航空会社は,女性CAばかりということに,このような古い価値観の根強さを感じます。飛行機では,酔客が大暴れしたり迷惑行為に及んだりすることが度々報じられますし,重い荷物を座席上の荷物棚に入れようとする女性や高齢者が難儀するのを見かけることもあります。こうしたときに,男性CAさんがいると安心できますし,もちろん通常の機内サービスも女性しかできないわけではないし,女性だけがするべきものでもありません。

 このような目に見えない性役割,もっと言えば性差別のようなものを考えたとき,今回の対策はとても残念に思えてなりません。

エビデンスはどうか

 次にエビデンスという観点から分析してみましょう。先に上げたデータでは,性犯罪に至るのは圧倒的に男性ということでした。では,この「事実」を「男性シッターは登録させない」という今回の決定に結び付けるのは,データに基づいた決定として正しいでしょうか。一見正しいように思えますが,私は大いに首をひねります。「専門家」が助言をしたというのも疑わしいレベルです。

 犯罪心理学の分野では,リスクアセスメントということが近年のホットな潮流になっています。それは科学的データを駆使して,犯罪のリスクを予測しようとするものです。私自身,かつて性犯罪者の再犯リスクアセスメント・ツールを開発したことがありますが,それを使えば80%近い確率で犯罪の予測ができます。これは10項目の要素を考察して予測するものであり,世界的に見ても相当に高い予測の精度を誇っていますが,それでも20%は外れます。

 今回は,性別というたった1つの要因だけを取り上げて,性犯罪の予測を試みたものだと考えることができます。つまり,「男性は女性よりも性犯罪のリスクが高く危険だ。したがって,ベビーシッターにするべきではない」というわけです。

 ここで,少し簡単な計算をしてみましょう。現在日本には,約5,000万人の成人男性がいます。そして昨年,性犯罪(強制性交,強制わいせつ)で検挙された成人男性は,約6,000人です(もちろん,明るみに出ていない数もたくさんあると思いますが,ここではそれは除外して考えます)。とすると世の中の男性のうち,4,999万4,000人は性犯罪とは無関係なのです。実に,男性の99.99%に性犯罪のリスクはありません。

 コロナ感染症のニュースの際に,PCR検査の精度がよく話題に上ります。PCR検査は感度が低いうえに,発生率の小さい病気の診断をするときには,多数の「偽陰性」が出ることが最大の問題だとされています。性犯罪でも「リスクアセスメント」をするときに,その発生率を考慮に入れることが大切です。この際,感度がきわめて高い(100%)と仮定しても,性犯罪の発生率自体が低いので,「男性=リスクが高い」と判定した場合の予測的中率は,0.12%しかなく,大量の「偽陽性」が出ます。簡単に言うと,まったく当たらないということです。

 つまり,今回の一見「専門的」に見える判断は,不正確も甚だしく,いたずらに男性への偏見を煽るものだと言われても仕方ないでしょう。世の中の男性の99.9%が性犯罪者ではないのに,男性を最初から性犯罪者予備軍と決めつけたような対処をするのは,非科学的で性差別以外の何ものでもありません。

 したがって,私が専門家の端くれとして意見を述べるとすると,こうなります。

確かに男性のほうが性犯罪は多い。しかし,性犯罪の生起率自体がきわめて小さいため,性別だけを基にした予測は非常に雑で非科学的である。予測の99.9%は外れ,きわめて多くの偽陽性が出るため,性別だけで線引きをするべきではない。性別だけで言えば,一般の男女の性犯罪リスクは同程度に非常に小さい。

 

何が間違いだったか

 「キッズライン」は,将来性犯罪者データベースのようなものができるまで,この措置はやむを得ないとしています。しかし,仮にそのようなデータベースができたとしても,民間業者がアクセスできることはまずないでしょう。つまり,これはまた机上の空論にすぎません。

 子どもを性犯罪から守りたいという気持ちは誰も同じです。そのための対処をきちんと講じてほしいという気持ちも同じです。そのための「キッズライン」の取り組みには大いに期待したいと思います。

 しかし,「専門家」の助言を得て取られたという今回の措置は,エビデンスも世間の潮流も無視した暴挙であると言わざるを得ません。科学的方法を軽視し,性別だけで判断するという「お手軽な」方法を選んだことがそもそもの間違いなのです。

 

筑波大学教授

筑波大学教授,東京大学客員教授。博士(保健学)。専門は, 臨床心理学,犯罪心理学,精神保健学。法務省,国連薬物・犯罪事務所(UNODC)勤務を経て,現職。エビデンスに基づく依存症の臨床と理解,犯罪や社会問題の分析と治療がテーマです。疑似科学や根拠のない言説を排して,犯罪,依存症,社会問題などさまざまな社会的「事件」に対する科学的な理解を目指します。主な著書に「あなたもきっと依存症」(文春新書)「子どもを虐待から守る科学」(金剛出版)「痴漢外来:性犯罪と闘う科学」「サイコパスの真実」「入門 犯罪心理学」(いずれもちくま新書),「心理職のためのエビデンス・ベイスト・プラクティス入門」(金剛出版)。

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