原作の魅力を封じられた実写映画『弱虫ペダル』"ならでは"の勝負の仕方
実写映画版『弱虫ペダル』が2020年8月14日に公開された。
原作は渡辺航が「週刊少年チャンピオン」に連載する高校生の自転車競技を描いたマンガであり、コミックスの累計部数は2500万部以上。
筆者は実写映画化と聞いたとき「おもしろくなるのかなあ」と危惧していたが――杞憂だった。原作とはまた違う部分で勝負したエンタメとして十二分に成立していた。
■原作『弱虫ペダル』の魅力は重層的な関係性にある
どこを危惧していたのか。実写化自体を、ではない。
現実の人間が演じるという意味では、舞台化は2012年から行われて大人気のシリーズとなり、2017年にはテレビドラマ化されている。
赤髪の鳴子、長髪緑髪で極端に車体を左右に倒しながら走行する巻島、肺を膨らませて全身を巨大化する田所、暴走したエヴァ初号機のような奇怪な動きをする御堂筋等々、『弱ペダ』には誇張されたキャラクター造形がされているが、舞台や実写ドラマ版ではこの難しいデフォルメをなんとか人間でも表現してきた(見慣れるまでは違和感があっても、物語が進行するうちに気にならなくさせる俳優たちの説得力があった)。
だから今回もその点に関してはそれほど気にしていたわけではない。
何が引っかかったかと言えば、尺だ。
映画は2時間前後しかない。
しかし、『弱虫ペダル』のおもしろさはキャラクター同士の関係性を重ねに重ねたうえで戦わせで生まれるドラマにある。
高校に入学してから自転車競技を始める小野田くん以外の登場人物のほとんどは中学時代から選手として活動しており、今泉と御堂筋をはじめ、ライバル同士には過去からの因縁がある。
総北高校3年田所と2年手嶋・青八木など、同じチーム内での先輩後輩の絆や想いのリレーもあれば、1年の小野田・今泉・鳴子という同学年同士の友情と対抗意識が入り交じった感情の交感もある。
それらを描いていくには、絶対的に尺が必要だ。
原作の週刊連載マンガはもちろん、TVアニメ(とそれを前提とした劇場用アニメ)、TVドラマ、シリーズ化された舞台であれば、時間をかけて関係性を描いていくことができる。
それが描けてさえいれば、マンガやアニメでは表現しやすいがリアルの人間では表現しづらい各キャラ固有の必殺技めいた走り、常人離れした身体的特徴を活かした走りが多少再現度が低くても(原作とは異なる表現になっていても)、そこまで気にはならなかった。
ところがたった2時間の映画では、どう考えても、重層的な人間関係や過去からの因縁などは描ききれない。
時間制限によって、原作の魅力の少なくない部分は封じられてしまう。
それでちゃんとおもしろくなるのだろうか? という点が気になっていた。
■リアルに山道で自転車を高速で回すことで生まれる説得力
実写版『弱虫ペダル』は原作のストーリーからどこを切り取ったのか。
小野田くんの高校入学、今泉・鳴子との出会いから始まり、ウェルカムレース、強化合宿、インターハイ県予選大会までを描く(原作では予選大会のあとに強化合宿、インターハイと続くが、映画版では強化合宿のあとに――原作では1年生が出場していないが映画版では小野田、今泉、鳴子が出場する――予選大会が描かれる)。
ただし総北2年生の存在や、箱根学園をはじめとする競合チームとの因縁は消されている(そもそも県予選までなので箱学も京都伏見も出てこない)。
実写映画版は小野田・今泉・鳴子という1年生3人の物語であり、それぞれが己の弱点をチームメイトを得ることによって克服する、という話になっている。
「俺が俺が」の鳴子がチームのために身を捧げ、勝負どころに弱かった今泉が小野田という仲間を得ることでここぞというところで踏ん張れるようになり、友達がいなくてひとりだった小野田がチームメイトを得ることで身体を限界まで燃やし尽くす。
この作品ではレースで戦う相手との因縁がないが、このように敵を抽象化する、平板化するのは普通は悪手である。というより、人格を持ち、理屈を持ち、因縁がある相手との戦いの方が盛り上がる。ただし、背景を掘り下げて描けば描くほど尺が取られる。
だから実写映画版ではあえてバッサリ県予選大会で戦う相手については「強い」「みんなで総北の優勝をジャマしてくる」以上の情報はほとんど描かず、小野田・今泉・鳴子が「己の肉体、精神の限界と戦う」という印象を強めている。そしてそれを助けてくれるのが(同級生の)仲間である、という構図になっている。
「己との戦い」というと抽象的だが、俳優が自転車をこぐことを通じて圧倒的な説得力をもって受肉(具体化)している。
映画を観ていて真っ先に感じるのは
「小野田くんめっちゃケイデンス回してる! すげえ!」
「本当に山道登るのつらそう……」
「先頭でチームを引っぱるやつの空気抵抗がすごいってこういうことか。たしかに空気と戦ってるわ」
という、現実世界で人間が生身の肉体を酷使して撮影しないと得られない躍動だ。
(ドラマ版はCGなどの特殊効果や背景の合成を駆使していたが、映画版ではそういうものはおそらくほとんど使っていないため、ドラマ版以上に実写映像ならではの身に迫ってくるものがあった)
小野田くんは原作から走ることに喜びをみいだしていたが、今回の映画版は、たしかにあんなに全力で走りきれたら、とんでもなく充実感があるだろうな、と思わせてくれるくらいにペダルを回しに回しまくっていた。
連載マンガやTVアニメなどと比べて尺が短いなか、自転車競技ものの実写映画としてこんな勝負の仕方があったのか、と思わされた。
これまでの様々なメディア展開作品とはまた違った魅力を持つ『弱虫ペダル』だった。