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世田谷保育士一斉退職 保育士は無責任だったのか?

今野晴貴NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。
(写真:アフロ)

 先月、東京都世田谷区の企業主導型保育所で保育士が一斉に退職するという事態がおきた。このことは各メディアで大々的に報道され、行政としての対応の是非や企業主導型保育所という仕組み自体の問題としても大きく議論を巻き起こしている。

参考:保育士の一斉退職、企業主導型で相次ぐ 世田谷で休園も(朝日新聞、2018年11月2日)

参考:保育所なのに幼児トイレなし…企業主導型で相次ぐ問題 一体なぜ?(AERA、2018年11月7日)

 報道やSNSなどを見ていると、保育士が一斉退職することについて、「非常識」「子どものことを考えてないのか」というような見方をする人達もいるようだ。

 しかし、私の知る限り、保育士の多くは子どものことが好きで、その成長を見守る仕事をしたいという人たちだ。資格をとるのには何年もかかる上に、低賃金なことはすでにはっきりしている。それでも、この仕事を選んでいるのだ。

 世田谷区の事例でも、退職した保育士たちが子どもや保護者のことを全く考えなかったとは、到底思えない。では、なぜ彼らは一見すると「無責任」な行動をとってしまったのだろうか?

 この園の保育士たちが一斉に退職した理由の一つに、「賃金未払い」があったという。これまでも保育士の入れ替わりが激しかったという話も報道されており、やはり労働環境に大きな問題があったことがうかがえる。

 労働相談を受ける私から見れば、このような事情は全く不思議ではない。保育士は賃金が低いことで知られているが、それ以上に、賃金未払いや休憩が取れないなどの労働基準法違反、パワハラや持ち帰り仕事などによる過酷な労働環境が蔓延している実態があるからだ。

 そこで今回は、保育士が抱える問題を、改めて労働相談現場の「数字」と「実例」を示しながら解説していこう。

 以下に示すのは、保育士の労働相談を受け付けている「介護・保育ユニオン」に寄せられた保育業界の労働相談の統計と実例だ。

 これらを踏まえ、後半では「退職」を回避した保育所の事例と「解決策」を示していきたい。

相談者の半分以上に賃金未払い

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 まず、上に示した労働相談内容の統計を一目見るとわかるように、賃金未払いの問題を抱える事業所が圧倒的に多い。世田谷の保育所と同じ問題を抱える保育所は多数に上ると考えられる。

 賃金未払いという違法状態には様々なケースがあるが、保育士で多いのは、休憩時間が取れないのにその時間分の給料が払われないことや、事務仕事をこなすため園内で残業をしているか、持ち帰って仕事をしているのに残業代が支払われていないといったケースだ。

 休憩時間の問題は、そもそも休憩時間がシフト上用意されておらず子どもの午睡中が休憩時間とされていたり、子どもに食事を食べさせながら一緒にご飯を食べている時間を「あなたもご飯を食べているでしょ」と休憩時間扱いにされたりなどがよくある事例が見られる。

 一方、居残りや持ち帰り残業の問題は、日中の通常の勤務時間は保育に入っているにもかかわらず、子どもの相手をする以外の時間は「残業」として認めない園が多々見られる。

 また、事務作業や行事の準備・遊具の制作などの仕事が終わらないにもかかわらず、「残業はするな」と言われて園の中でやれないため持ち帰ってやらないといけないといった場合も目だつ。

 これらのどれもが違法行為だ。本来は事務仕事や行事の準備・遊具の制作なども、すべて労働時間に当たり、賃金が支払われなければならない。

パワーハラスメント・いじめの横行。精神疾患の疑いのある人も多数

 保育士からは、賃金関連だけでなく、職場のパワーハラスメントに関しての労働相談も多い。

 介護・保育ユニオンによると、パワーハラスメントの加害者の多くは、園長や主任だという。園長自身が経営者でもある場合は、ワンマン経営で絶対的な権力を握っている状態のことが多いようだ。

 一方、雇われ園長や主任がパワーハラスメントをしている場合は、経営者からの無茶な要求がだされている中で、自分自身も過酷な労働環境に置かれている場合が目立つ。

 自分自身もつらい状況にある中で、部下の保育士たちに無理を強いてしてしまうというわけで、問題の根本には劣悪な経営環境が見られる。

 劣悪な経営環境とは、具体的には「最低配置基準ぎりぎりの人員」で職場を回している保育園があまりにも多いということだ。

 人員が絞り込まれている中で、たくさんの行事が企画され、保育士たちが忙殺されるといった構図である。行事の中には、親向けの「アピール」のために行っているようなものも少なくない。

 そのような無理な経営環境の園では、職員同士の関係も悪化しやすい。良く聞くのは、希望休や有給をとろうとすると、上司である保育士から「甘えている」などと言われ、追い込まれるといった事例だ。

 もちろん、パワーハラスメントは人間性の問題にも絡んでくるため、個人の問題を否定はしきれない。しかし、大概の職場では劣悪な労働環境が広がっているため、すべてを個人の問題に解消することはできないだろう。

 保育士の仕事は、ただでさえきつい仕事だ。パワーハラスメントの被害にもあってしまうと、もはや心と体が持たない。そのような中で、精神疾患にかかってしまっているか、もしくはその疑いのある相談も1割から2割に上っている(先ほどの図を参照)。

 これでは、保育士不足はなかなか解消しないだろう。

劣悪な労働環境のせいで辞めるのは保育士の責任ではない

 さて、以上を踏まえ、冒頭で述べたような、保育士が一斉退職することについての「非常識」、「子どものことを考えてないのか」というような見方は果たして正しいのだろうか? 私はそのような指摘は一面的であり、生産的ではないと思う。

 保育士らも労働者であり、自分たちの生活がある。賃金未払いがあることや労働環境に問題があることは、自分自身の生活が持たなくなるだけでなく、まともな保育をできなくなってしまうからだ。

 そうなったときに、保育園をやめてしまう選択をとるのはやむを得ないだろう。これは保育士本人の責任ではない。むしろ、責任感の強い保育士ほど、「このままの状況を続けることは危険だ」と考えることもあり得る。

 職場に違法行為やパワーハラスメントがない適正な環境に保つ責任があるのは、むしろ事業主側だ。そのような「職場環境」が整っていなければ、保育士たちも子どもたちに「責任」をとることができないのである。

 日本の労働法令や諸制度には、その違法状態を是正させうる仕組みが備わっている。違法行為を是正させるために、労働基準監督署に通報することや、ユニオン(労働組合)を使って、直接会社と交渉することも可能である。

 つまり、「辞めずに解決する」こともできるのだ。

「子どものために」も、辞める前に一度専門家へ相談してみよう

 勤めている保育園を辞めようと考えている保育士にぜひ伝えたいのは、「辞める」ことは選択肢の一つに過ぎないということだ。

 在職中に、労働基準監督署や労働組合(ユニオン)を使って職場を改善し、大好きな子どもの成長を見守り続けることのできる可能性があることを強調したい。

 実際に、ユニオンに加入して、団体交渉を通じて園長のパワーハラスメントや不適切な保育、残業代不払いなどを指摘し、それらを改善することに成功したというケースはいくつもある。

 ここで重要なことは、保育し自身の労働環境を改善することは、実はそのまま「保育の質」についての改善にもつながり得るということ。

 休憩が取れないままぶっ続けで働くよりも、交代で休憩が取れるようになる方が、一息つくことで午後からの保育には余裕をもって入れるだろう。また、残業代が適切に支払われれば、自分の生活の水準を上げることもでき、心に余裕ができるだろう。

 ある意味では、法律の権利を使った「職場の改善」こそが、子どもに対するもっとも「責任ある行動」だと言えるかもしれない。

 我慢するのでも、辞めるのでもなく、ぜひ「職場を改善する」ことを考えてみてほしい。

 最後に、実際に改善した事例を紹介しよう。

 

 ある園では、ユニオンで交渉する前は休憩がなく、30分未満の残業時間が切り捨てられるなどの残業代の未払いがあった。また、園長からのパワハラが横行していた。例えば、子どもが病気になって休んだ時に、園長が担任の保育士に対し「あなたがこの園の方針に忠実に従わないからこうなった」と全くいわれのない理由で叱責するなどが行われていたという。

 辞めることを考えていた保育士らであったが、ユニオンの存在を知り、ユニオンに加盟して交渉することを選んだ。その結果、ユニオンで交渉を開始した日以降、園長室に呼び出されて何時間も説教されるなどのパワハラはなくなり、休憩時間がとれるシフトが作成されるようになったという。未払い賃金に関しても、3ケタ近い額を取り返した人もいた。未払い賃金など多くの損害を回収でき、また働き続ける道を得られたのである。

 尚、この事例については以前にも「会社を辞めずに済む方法 保育士を題材に考える」という記事で詳しく掲載している。

 必ずしもすべての職場でこのケースのようにうまくいくとは限らないが、職場の改善は、世田谷の事件のような事態を防ぐ最善の方法だということはできるだろう。

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NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

NPO法人「POSSE」代表。年間5000件以上の労働・生活相談に関わり、労働・福祉政策について研究・提言している。近著に『賃労働の系譜学 フォーディズムからデジタル封建制へ』(青土社)。その他に『ストライキ2.0』(集英社新書)、『ブラック企業』(文春新書)、『ブラックバイト』(岩波新書)、『生活保護』(ちくま新書)など多数。流行語大賞トップ10(「ブラック企業」)、大佛次郎論壇賞、日本労働社会学会奨励賞などを受賞。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門社会調査士。

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