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森達也監督の映画で話題の「福田村事件」について調査・執筆した本の著者が語った驚くべきこと

篠田博之月刊『創』編集長
映画『福田村事件』9月1日公開 c「福田村事件」プロジェクト2023

 今年は関東大震災100年とあって、その時に起きた朝鮮人虐殺を含めて関連報道も増えている。また私の編集する月刊『創』(つくる)の執筆者でもある森達也監督の9月1日公開映画『福田村事件』も大きな話題になっている。9月1日からテアトル新宿、ユーロスペースほか全国公開される映画『福田村事件』の公式サイトは下記だ。

https://www.fukudamura1923.jp/

 この映画についてはいろいろな媒体で特集を組んでいる。『映画芸術』最新号の「福田村事件」特集は非常に面白かった。最新の月刊『創』9月号でも森さんと、映画監督の瀬々敬久さんとの、とても深くて面白い対談を掲載している。 

 それがきっかけで「福田村事件」という、これまであまり知られていなかった事件がにわかに知られるようになりつつある。関東大震災を機に朝鮮人に対する虐殺が広がる中で、香川県から行商に来ていた人たちが、朝鮮人とまちがえられ虐殺されるという悲惨な事件だが、彼らは被差別部落の出身でもあった。朝鮮人差別と部落差別という日本の歴史的な差別問題が映画『福田村事件』ではリアルにえぐり出されている。

 実は悲惨なこの事件そのものがタブーとされ、資料もほとんど残されていない。そのなかでただひとつ、入手しやすくて労作なのが『福田村事件』というノンフィクションだ。事件の地元近くの千葉県流山市に住む辻野弥生さんが丹念な調査の末に2013年に出版した。絶版になっていた同書は今年、7月に五月書房新社から大幅な加筆のうえ復刻された。

  帯には森達也さんのコメントも(筆者撮影)
  帯には森達也さんのコメントも(筆者撮影)

 タブーとされ封印されてきたこの事件を丹念な取材で掘り起こしたものだが、この事件についての地元の受け止め方なども含めてお聞きしたいと、著者の辻野さんを訪ねて話を聞いた。以下、そのインタビューを紹介しよう。

7月7日の地元集会は熱気に包まれた

《――この夏、地元で福田村についての集会が開かれたそうですね。

辻野 7月7日に「福田村事件を語る集い」という集会が柏市で開催されました。今年は関東大震災100年ということで関心も高く、会場いっぱいの120人ほどの方が参加しました。補助席もいっぱいで入りきれないほどでした。

「福田村事件」と言われていますが、事件で逮捕されたのは福田村4人と田中村4人で、田中村では「旧田中村・民の会」というのを作って、この福田村事件の調査研究を続けています。一般的に「福田村事件」と言われていますが、田中村の人たちは「正確には福田村田中村事件ですよ」と言われ、私もできるだけ「福田村田中村事件」と書いています。7月の集会はその「旧田中村・民の会」の主催で、私も呼ばれました。

――どういうきっかけでこの事件について調べ始めたのでしょうか。

辻野 私がこの事件に関わるようになったのは1999年でした。「流山市立博物館友の会」という団体が年に1回、地域の歴史を掘り起こし、『東葛流山研究』という研究誌にまとめているのですが、関東大震災の時に流山で一人の朝鮮人が虐殺されたという話を書いておこうとなったのです。書き始めたら、野田市の方が「実はこういう事件があります」と教えてくれたのですね。

 そこから調べ始めたのですが、図書館に行っても市史を見ても、一文字も資料はありませんでした。そこで千葉県立中央図書館に通って、大震災発生の1923年9月1日からずーっとマイクロフィルムで新聞紙面を片っ端から調べました。

資料を前に語る辻野弥生さん(筆者撮影)
資料を前に語る辻野弥生さん(筆者撮影)

 関東大震災の混乱の中で、朝鮮人などが各地で虐殺され、香川県から来た行商の人たちが、言葉の違いから朝鮮人ではないかと疑われ、行商用の鑑札をもっていたにもかかわらず、虐殺されたのがこの事件でした。でも新聞記事にも出てこないからおかしいと思っていたら、1923年10月20日に報道が解禁になったようで、そこから記事が出始めました。それまで報道を統制していたけれど、これだけの事件なのになんの報道もないのは海外から怪しまれるじゃないかという危惧があって、解禁に踏み切ったようです。》

事件現場近くのお寺に位牌と慰霊碑が…

《――現場近くのお寺に位牌や慰霊碑があるそうですね。

辻野 現場にも足を運び、お話をうかがえたのは事件現場近くの圓福寺の住職でした。最初は、取材の趣旨を伝えた瞬間に険しい顔をしてドアを閉めて拒絶されたのですが、「ご迷惑おかけしませんから」と一生懸命食いさがって懇願すると、しぶしぶ招き入れてくれました。その後、何度も通ってお話をうかがいました。犠牲になった方々10名(胎児を含む)の位牌も保管されており、住職さんは「朝晩供養しております」とおっしゃってました。

 事件から80年後の2003年には立派な慰霊碑も敷地内に建てられ、そこに今、いろんな方がお参りにいらっしゃってます。

 解明に大きな力を発揮したのは「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査委員会」の活動でした。被害者の家族が、どうも千葉県の利根川あたりで殺されたらしいということで調べるようになったのです。特に香川県歴史教育者協議会の石井さんという方が、ずっと調査・研究されてきました。

――犠牲となった人たちの出身地である香川県の人たちも事件を解明しようと熱心だったようですね。

辻野 香川県に「福田村事件真相調査会」というのがあるのですが、その会の代表である中嶋忠勇さんにも調査などでお世話になりました。中嶋さんは、私が最初に『福田村事件』を出版した時には、香川からお見えになってお祝いをしてくれました。その挨拶で「利根川をさまよっていた10人の霊が浮かばれました。すごくありがたかったです」とおっしゃっていただき、書いてよかったなと思いました。「10人の霊」というのは、殺害されたのは9人ですが、妊娠中だった女性の胎児を含めた人数です。臨月に近かったという話もあります。》

福田村の悪いイメージを広げると反発する人も

《辻野 私の取材は夫と一緒で、彼は車の運転をしてくれて、書くのは私という二人三脚でした。虐げられた人とか社会的に立場の弱い人をほっとけないような、そういう環境で育ったというのが後押しになったのでしょうね。「こんなの書いて、あなたの身は大丈夫?」といろんな人に言われましたけど、何もありませんでした。

 森達也さんがこの事件をお知りになったのもちょうど私と同じ1999年頃なんですね。森さんは、新聞記事でお知りになったと著書の中で触れていらっしゃった。6年ほど前、流山の「9条の会」が森さんをお呼びしたことがあり、その時に私の著書を差し上げました。》

ーー森さんの映画は地元でどんなふうに受け止められているのでしょうか。

《辻野 森さんの映画化について、野田のある会合で話したら、一人の男性が怒ったんです。「福田村事件」って、村の名前そのものだから。日本中に悪いイメージを植え付ける、なぜ映画になんかするんだと言われました。地元にはそういう人が結構います。私が最初に本を出した時に、野田に住んでいる親しい女性にその話をしたら、「辻野さん、悪いけど読みたくもないわ」と言われました。

 また「野田文学」という、ちょっと知的な人が古くからやってる会があるんですが、そこの人に、本を出す時に、協力をお願いする手紙を送ったところ、すぐ返事が返ってきて、「協力できません」ということでした。協力したら、村の人から裏切ったと思われると考えたのかもしれません。複雑な心境なのでしょうね。あるいは村意識というのが今でも働いているのでしょうか。》

私だって竹槍を持って駆け付けたかもしれない

《辻野 森さんの映画も、村民を悪人に描いているわけではないし、観れば、森さんの描こうとしてることがわかると思うんです。森さんが訴えているのは、時代背景とかいろいろあって、ごく普通の人がああいう残虐なことをしてしまったという点ですよね。

 私だってあの時代に村に生まれていたら、竹槍を持っていったかもしれない。朝鮮人虐殺については、国の責任というか時代背景をきちんと検証しないといけないですね。

 これも本に書きましたが、1982年に韓国のソウルで「関東大震災記念集会」が開かれたのですが、日本人カメラマンの成田徹夫さんという人が他の取材でたまたま行っていて、それに参加したのですね。その時に、被害にあった朝鮮人の方々が、傷を見せたり、ここを突かれたとか発表がいろいろあったのですが、その中の一人が「かっぽうぎを着た主婦から竹槍で突かれた」と報告したといいます。普通の日本人が、男でも女でもみんな猛り狂って朝鮮人を攻撃したのですね。

 今回、関東大震災100年や、森さんの映画などがきっかけになって、私の『福田村事件』も新たに出版することができたのですが、最初の本を読みたくないと言った女性にも送りました。でも訊いてみたら「まだ開けられてない」というのです。映画館に足を運ぶかどうかもわからないですね。

 ただ、私が事件のことを調べた時は、記録が何一つなかったので、当時の市長さんに手紙を書いて、いくらなんでも市史には載せるべきだと申し上げたんです。そしたらすぐお返事が来て、今度は必ず記録いたしますとおっしゃった。そしたら手紙を出して4年後くらいかな、ちゃんと野田市史に刻まれました。柏の市史にはその前から載っていたんです。そういう記録にきちんと載せるというのが第一歩ですよね。》

小池都知事は今年も追悼文を拒否

 以上がインタビューだ。森さんの映画や辻野さんの著書に対して、一部かもしれないが、今でも拒否感を示す地元の人がいるというのは、驚くべき話だ。

 実はこのインタビューを流山のレストランでしている途中で、突然、地元の男性が話しかけてきた。テーブルの上に置いていた辻野さんの著書が目にとまったようで、「ああ、その本、読みましたよ。今度映画も公開されるのでしょう」と言う。今年は関東大震災100年ということで、やはり地元の人の関心は高くなっているようだ。

 辻野さんの話にあったように、彼女の知り合いですら、事件について知りたくもない、福田村のイメージが悪くなるという人もいるという。100年経ってもそういう人がいるということは、現実がいかに深刻であるかを示している。

 朝鮮人虐殺をめぐっても、9月1日に開かれる朝鮮人犠牲者追悼式典には、以前は東京都知事が追悼文を送っていたのに、小池百合子知事はそれをやめてしまい、今年も送る予定はないという。このこと自体、虐殺が残した問題がいまだに過去のものとなっていないことを示しているといえる。

 9月1日公開の森さんの映画『福田村事件』がどういう反響を巻き起こすのか。地元でどんなふうに受け止められるのだろうか。興味深い。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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