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平成の終わりとともに冬の「ゆうばりファンタスティック映画祭」も終了…来年からはなぜ夏開催に?

壬生智裕映画ライター
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 3月7日から10日にかけて北海道夕張市で行われた「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」が盛況のうちに幕を下ろした。2006年に財政破綻したことが大きなニュースとなった夕張市で、今でも毎年のように映画祭が行われていることに驚く人もいるかもしれない。同映画祭のエグゼクティブプロデューサーを務める深津修一氏が「金ない人ないモノがない」と自虐的に語るほどに、綱渡りの運営を余儀なくされている同映画祭だが、「世界一楽しい映画祭」の名のもとに映画ファンに愛され続け、今年で29回(2007年に市民有志で行われた「応援映画祭」は除く)。来年はいよいよ30回という節目の年となる。

 毎年のように「今年はちゃんと開催できるのか?」と心配され続けている「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」(以下「ゆうばり映画祭」)だが、今年は特に多くの変化が訪れた。「映画祭は夕張市再生の象徴」と語り、映画祭名誉大会長として映画祭を支えてきた鈴木直道夕張市元市長が北海道知事選に出馬。新夕張駅と夕張駅をつなぐJR石勝線夕張支線が3月31日で廃線。これまで東京のプロが手伝ってきた運営を、北海道のスタッフを中心とした運営チームに再編成。上映会場を減らし、コンパクトなスタイルに舵をきった上映プログラム。そして冬に開催するのは今年で最後…などなど数え上げればきりがない。

■なぜ「ゆうばり映画祭」が愛されるのか

映画祭に急きょ参加した斎藤工
映画祭に急きょ参加した斎藤工

 そもそも「ゆうばり映画祭とは?」という人もいるかもしれない。「ゆうばり映画祭」は、1990年(平成2年)、竹下内閣のもとで行われた「ふるさと創生事業」の交付金をもとに、映画人と映画ファンが集う日本初のリゾート型映画祭として北海道夕張市で始まった。「ファンタスティック映画祭」と銘打っているが、上映作品は、ハリウッド大作から邦画、インディーズ作品まで幅広く、いい意味で”節操がないラインナップ”が魅力だ。

 デビュー作『レザボア・ドッグス』で同映画祭を訪れたクエンティン・タランティーノ監督が「夕張の雪は世界一美しい。神が雪を降らせている場所だ」と感激し、後の『キル・ビル』で栗山千明演じる制服姿の用心棒に「ゴーゴー夕張」と名付けたということは今や語り草となっている。デニス・ホッパー、勝新太郎、アンナ・カリーナ、チャウ・シンチーら数多くの著名な映画人が続々と夕張を訪れた。日本人が思う以上に、ゆうばり映画祭の名前は海外にも広がっている。近年は財政破綻の影響で、規模は年々縮小傾向になり、ゲストも以前のような派手さは薄れてきている。だがそれでも今年も古川雄輝、松本まりか、斎藤工、安井謙太郎、渡辺いっけいといった豪華ゲスト陣が来場し、各会場を大いににぎわせた。

ニューウェーブアワード女優部門を受賞した松本まりか
ニューウェーブアワード女優部門を受賞した松本まりか

 毎年1万数千人を越える観客が映画祭を訪れ、「また来たい」と笑顔で帰っていく人が多い。本映画祭が人気を集める理由のひとつとして、観客と映像作家、俳優陣たちの距離の近さがある。バス、電車、宿泊施設なども数えるほどしかない夕張では、周辺地域に繰り出すことなく、必然的に雪深い夕張にとどまることを余儀なくされる。しかも夕張には飲食店が数少ないため、映画ファン、クリエーター、俳優など有名無名を問わず、全員が「映画を愛する者たち」という共通項のもとに、その数少ない飲食店に集結することとなる。閉ざされた空間に集まった映画好きたちは互いに酒を酌み交わし、その日映画祭で観た映画について語り合う。そこで意気投合した映画人たちがタッグを組んで、新作が生まれるというケースも少なくない。映画祭というのは「映画を上映する場」であることはもちろんだが、それだけでなく「人と人とをつなげる場」でもある。そしてそれこそが映画祭の大きな役割のひとつである。

■冬開催は今回限り。来年からは夏開催に。

夕張の街には映画の看板が
夕張の街には映画の看板が

 そんな冬の風物詩となる「ゆうばり映画祭」だが、冬に開催されるのは「今年で最後」とアナウンスされている。来年からは夏に開催されることになる。いったい来年からはどのような運営スタイルとなるのか。その点についてエグゼクティブプロデューサーの深津修一氏は「財政的には本当に厳しい。累積赤字も相当ある。市の財政破綻と同じくらいの危機感がある。このままだと映画祭はなくなってしまうだろう」とキッパリ言い切る。

 「インフラも劣化し続けてきている中、このままのスタイルでもあと1回か2回はやることは出来るだろう。だがこの先を見据えると何か手立てが必要となる」と前置きした深津氏は、「エグゼクティブプロデューサーに就任してから3、4年ほどたったが、映画祭をめぐる現状はなかなか改善されていない。スタッフが固定化しないことも問題だ。映画祭に夢をもってやってきてくれたスタッフもいたが、現実の厳しさに負けてしまって辞めてしまう。だからそういった悪い流れを一回断ち切って、体制を立て直したいと思う。その変革のひとつが夏開催ということだ」。もともと夏開催にしようという案はこれまでも何度も提案されてきたというが、白銀の雪景色の中で30年近く行われてきた「ゆうばり映画祭」を変えていいのか、というノスタルジーにも似た思いや、助成金などの問題などのもろもろの事情が重なり、今までその決断を鈍らせてきた。「だが背に腹は代えられない」――。

 運営の面でも、夏開催に変えることで光熱費が削減される。レンタカーなどを使用した移動も容易となる。そして会場も、キャンプ場に野外スクリーンを設置するなど、より野外フェス感の強いイベントになるという。なんといっても、夕張の夏は名物となる「夕張メロン」が一番おいしい季節である。「冬のお客さまにはメロンを食べていただけなかったが、夏ならメロン食べ放題も体験してもらえる」(深津氏)とメリットは多い。

■コアな映画ファンだけでなく、一般の映画ファンも取り込む

かつて炭鉱の街として栄えた時には、夕張にも映画館が多数営業していたという
かつて炭鉱の街として栄えた時には、夕張にも映画館が多数営業していたという

 そして夏開催にすることで、周辺に住む道内の映画好きを取り込むことも期待されている。「我々の軸足となっているのは、メジャー作品を数多く上映する“招待作品”。若手クリエーターが参加するコンペ、そしてファンタ映画好きのためのコアな作品。もちろんコアな作品は変わらず上映し続けますし、若手クリエーターを発掘するコンペも変わらず開催します」ということで、これまでの路線は変えずに、だがその上でライト層にも訴求したいとしている。

 その中でもメジャー作品が中心となる招待作品を観るような映画好きは50代、60代といった人たちが多いそうで、「そういう人たちからは『なんで冬にやるの? 車を運転するのが大変だ』と反対意見をいただくことが多かった。でも夏なら道内でも車を運転しやすいし、駐車場だって冬よりも多く確保できる。今以上に道内のお客さまにも来てもらえると思う。そして上映会場ももっと増やしたいと思っている。もちろんスポンサーの交渉や、会場の下見などやらなければいけないことはたくさんあるので、最終的にどのような形になるのか分からないが、なんとか形にしたい」と語る深津氏は、「看板を下ろすのは簡単だが、再び上げるのは本当に難しい。ありがたいことに多くの方にゆうばり映画祭を愛していただけている。だが今のままでは映画祭はなくなってしまう、ということは言っておかなければなりません。だからいろいろな方に、いろいろな形で協力依頼をしたいと思います。特にお金の面で多くの方に協力をお願いしたいと思っています」と呼びかける。

■夕張に若い人を呼び込む

 本映画祭では、学生ボランティアが多数協力している。「近隣の大学と連携していて。大勢の学生さんたちに手伝っていただいている。もちろん彼らに仕事を教えないといけないし、人数が多くなればなるほど、宿泊費、食費なども馬鹿にならない。だったらプロにお願いして、少ない人数で運営した方がかえって安くつくというところはある。それでもボランティアにこだわるのは、夕張に若い子たちが少ないから。ボランティアで夕張に来た子たちの中でひとりでも夕張に興味を持ってくれれば。そうでないと若い人がどんどんいなくなる。だからこそあえて面倒なことをやっているんです」(深津氏)。

 1990年、平成2年に開始したゆうばり映画祭だが、くしくも平成最後の年に冬開催を終える。平成を駆け抜けた「世界で一番楽しい映画祭」が今後、どのような形で発展していくのか。その動向に注目したい。

映画ライター

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。年間数百本以上のイベント、インタビュー取材などを担当。特に国内映画祭、映画館などに力を入れていた。2018年には、プロデューサーとして参加したドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(長谷川亮監督)が第71回カンヌ国際映画祭をはじめ、国内外の映画祭で上映された。近年の仕事として、「第44回ぴあフィルムフェスティバル2022カタログ」『君は放課後インソムニア』『ハピネス』のパンフレットなど。

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