【ビールの歴史】水代わりに飲んでいる人もいた!中世の人々はどのようなビールを飲んでいたの?
「ビール」と聞けば、現代の我々にとっては涼やかな泡とほの甘い香りを思い浮かべるでしょう。
しかし、中世ヨーロッパではこの飲み物が巻き起こしたドラマがいかに壮絶であったか、皆様ご存じでしょうか。
少しばかり、この泡立つ物語に耳を傾けていただきたいです。
中世ヨーロッパ、特に北部や東部では、ビールは日常の飲み物として市民権を得ていました。
寒冷な気候ではブドウ栽培が難しく、ワインの代わりに穀物から生まれるビールが選ばれたのです。
家庭の醸造は多くの家庭で女性の手によって行われ、彼女たちは「ビール醸造の女王」として家族の胃袋を支えていました。
しかし一方で、南部の温暖な地域ではワインが圧倒的な主役であり、ビールは下層階級の飲み物とされる場面も多かったのです。
さらに、ビールが水よりも一般的に飲まれたという説は、歴史家たちの間で論争の的です。
町や村は川や井戸といった淡水源の近くに築かれ、水が手軽に利用できたのだから、ビールが常に優勢だったとは言い難いでしょう。
しかし、アルコールの力で微生物を排除し、安全な飲み物となったビールは、少なくとも安心感を提供する存在でした。
さて、ビールは飲む者すべてに愛されていたわけではありません。
1256年、シエナの医師アルドブランディーノは、「ビールは頭と胃を痛めつけ、口臭を放ち、歯を傷める」と手厳しく非難しました。
さらには「胃を悪い煙で満たす」という妙に詩的な表現まで使い、その悪評を煽ったのです。
しかしながら彼もビールの功績を完全に否定するわけではなく、「肉を白く滑らかにする」といった美容効果を認める姿勢も見せています。
中世においてさえ、人々は美と健康の狭間で揺れ動いていたのです。
そんなビール界に転機をもたらしたのが「ホップ」です。
それまでビールにはグルイットと呼ばれるハーブの混合物が使われていたものの、保存性の欠如が問題でした。
9世紀頃からホップが注目され、13世紀にはボヘミア地方でホップビールの製造が本格化。
腐りにくく、輸送に耐えるこの新しいビールは瞬く間に広がり、中世の国際貿易の一翼を担ったのです。
しかし、ホップビールの登場は歓迎一色ではありませんでした。
イングランドでは、伝統的なエールの支持者たちが「ホップは自然な飲み物ではない」と声高に非難したのです。
彼らの間では、エールは「5日以内に飲むべし」とする厳格な掟があり、ホップを使った長期保存の技術を不自然と見なしました。
一方で、ホップビールを擁護する者たちはその利便性と新たな味わいを訴え、ビール文化の新時代を切り開いたのです。
こうして、中世のビールはその泡とともに人々の心をかき乱し、時には笑顔を生み、時には対立を引き起こしました。
ビールは単なる飲み物に留まらず、歴史の一幕を華やかに彩る存在であったのです。
さあ、現代の我々もビールを片手に、その泡立つ歴史に乾杯と洒落込もうではないでしょうか。