【ビールの歴史】自家製造から職人製造へと変わっていった!近世の人々はどのようなビールを飲んでいたの?
ビールが家庭の台所を離れ、修道院や市場へと旅立ったのは、まさに中世ヨーロッパの賑わいそのものでした。
14世紀から15世紀にかけて、家族が日常の営みとして醸したビールは、次第に職人たちの手に託され、大量消費を支える商品へと姿を変えたのです。
特に修道院では、祈りの傍らで香ばしい液体が樽いっぱいに醸され、それは町のパブへと流れていきました。
物語の転機となるのが、13世紀に北ドイツで導入されたホップの存在です。
これによりビールの保存性と風味が劇的に改善され、醸造業は新たな高みに達したのです。
ハンブルクでは15世紀、一人当たり年間300リットルの消費量が、17世紀には驚異の700リットルにまで増加したというから、彼らがビールをどれほど愛していたかが想像できます。
やがてホップの波はオランダへ、そしてイギリスへと広がります。
15世紀のイギリスでは、ホップを使わない伝統的な飲み物を「エール」、ホップを加えた新しい飲み物を「ビール」と呼び分けました。
しかし、新しいものが必ずしも歓迎されるわけではありません。
ロンドンのブルワーズ・カンパニーは、「エールにはホップを入れるべからず」とのお触れを出しました。
しかし16世紀に入ると、すべてのエールとビールがホップされ、区別は曖昧になっていったのです。
1516年、バイエルン公ヴィルヘルム4世が定めた「ラインハイツゲボット(純度法)」は、この時代のビール物語をさらに引き締めます。
水、大麦、ホップだけを使うというこの規定は、ビールの品質と信頼の証として今日まで語り継がれているのです。
酵母がその存在を認められたのは、19世紀にルイ・パスツールがその重要性を発見してからのこと。
そして冷涼な洞窟で偶然生まれた底部発酵ビール。
16世紀のこの発見は、上面発酵ビールを主役の座から引きずり下ろし、新たな王者として君臨することとなります。その名も「ピルスナー」や「ラガー」。
こうして、ビールは伝統と革新の泡の中で常に新たな姿を探求し続けるのです。
ビールの旅はまだ終わりません。
それは我々の食卓で、これからも語られるべき物語を醸し続けるでしょう。