【ビールの歴史】中国では一旦廃れてしまった!アジア・太平洋の人々はどのようなビールを飲んでいたの?
米という穀物は、ただ炊いて食べるだけではありません。
その一粒一粒には、液体となって人を酔わせる潜在能力が秘められています。
中国の先史時代、麦芽を用いたアルコール飲料も試みられたものの、やがてその座を米に明け渡すことになります。
理由は至極単純、米がより効率的であったからです。
米を使った酒造りでは、特別に培養したカビ、つまり「麹(こうじ)」が重要な役割を果たしました。
このカビは、米のデンプンを糖に変える魔法の微生物です。
結果としてできた甘美な液体は「米酒(ミイチウ)」や「日本酒」と呼ばれ、現代でも親しまれているのです。
一方で、麦芽を使ったアルコール飲料は保存性に難があり、唐王朝が終わる頃には中国の歴史から姿を消してしまいました。
一方、太平洋の島々や南アメリカでは、全く異なる方法で発酵飲料が生み出されました。
唾液に含まれる酵素で穀物や根菜を糖化し、発酵させるという大胆な手法です。
作り方を聞くだけで少々面食らうが、この方法は地域ごとの資源を活用した工夫の賜物といえます。
唾液という「秘伝のタレ」が、世界中の様々な部族で独自の飲み物を生み出したのです。
中国北部で見られた「キビ」を用いた発酵技術は、あるいは漢民族の移民が持ち込んだものかもしれないものの、詳細は謎のままです。
一方で、近代においてアジア初の醸造所が1855年にインドのヒマラヤ山脈に設立されたことは記録に残されています。
この地で始まったビール文化が、後にアジア全域へと広がっていく契機となりました。
米や麦芽、唾液やカビが織りなすこのアルコール史は、人類の創意工夫と嗜好の歴史そのものです。
そして、その物語は、いまなお私たちがグラスを傾けるたびに続いています。