J3契約満了で崖っぷち「引退考えた」北朝鮮代表MF李栄直が好条件でKリーグに移籍できた理由
昨シーズン、J3のいわてグルージャ盛岡を契約満了で退団し現役引退も考えていた在日コリアンで北朝鮮代表MF李栄直(リ・ヨンジ)は、いま韓国にいる。今年3月、急きょKリーグ2(2部)のFC安養(アニャン)への移籍が決まり、妻と2歳の娘を日本に置いて単身で渡韓した。
「韓国は日本に比べて練習時間が比較的長くて、そういう意味ではサッカーだけを考えられるので1人でもいい。ただ、日本で一緒に家族で過ごしていた時間を考えると会いたくもなりますよ」
時折、父親の顔をのぞかせるもその表情からは、必要とされているチームにいられることへの満足感と充実感が漂っていた。というのもFC安養は今季13節を終了して、8勝3分2敗で首位を走る。李は開幕直前に加入したにもかかわらず、第4節のソウルイーランド戦でKリーグデビューを果たし、先発で90分フル出場。この時はセンターバックでの起用だったが、第7節の釜山アイパーク戦ではボランチとしてフル出場を果たし、4-3の勝利に貢献。以降は中盤には欠かせない選手として、監督と選手の信頼を勝ち取った。
特に第9節の全南ドラゴンズ戦では、強烈なミドルシュートを決めてKリーグ初ゴールを記録。さらに第15節(5月26日)の全南戦でも今季2ゴール目を決めており、数カ月前までJリーグでは必要とされず、引退まで考えていた選手とは思えない躍動ぶりだ。
攻守をつなぐリンクマンとしての役割
Kリーグで彼のプレーを初めて見たのは、第12節(5月15日)の慶南FC戦。ボランチでの先発出場で、この日は大雨の難しいピッチコンディションの中でもハードワークが光っていた。それにボールを持てば全体の流れを落ち着かせ、時折見せる前線への正確なロングフィードでチャンスを演出。
この日はFC安養の前半21分の先制点が決勝点となったが、前線FWへの正確なロングフィードでアシストしたのは李栄直で、同節のベストイレブンにも選ばれていた。加入して2カ月。今ではチームに欠かせない主力となり、監督からの要求にも応えられるようになった。
李にとっては祖父母の故郷とはいえ初めての“海外リーグ”。日々を楽しんでいる。「言葉もできるし文化も似ていてスッと入りこめています。サッカーに関してもJリーグは組織プレーで崩したりして、細部にこだわる良さがあるし、Kリーグはタテへのスピードや爆発力、思い切りの良さがある。今のチームは組織的にしっかりしているので、やりやすさはあります」。祖父母の故郷でもある韓国に来たのが大成功だったと言わんばかり、「水を得た魚」という言葉がピタリと当てはまると思った。
Jリーグでの11年を韓国は高く評価しリスペクト
「昨季限りでJ3岩手を離れるのが決まってからは、韓国Kリーグクラブでテストを受けたり、1部と2部の数クラブからのオファーがあったりしたけれど、最終的に契約に至らなかった。それで現役を辞めて普通に企業で働こうと決めていたんです」
家族を養っていくためには、仕方のない決断と言えばそれまでだが、新たな歯車が動き出した。
「韓国側のエージェントから最後までFC安養の監督(ユ・ビョンフン)が映像も見てずっと必要としてくれているという話を聞いていました。チームのセンターバックが抜けたので、『もうすぐにでも来てくれ』と」
守備だけでなく、中盤もこなすことができ、身長187センチという体格もKリーグでは見劣りしない。何よりもJリーグでの実績が韓国では高く評価されたという。
「スポーツ朝鮮」は李の移籍が決まったあと「恵まれた体格とセンターバックとボランチをこなせるマルチプレーヤーとしての能力、J1~J3まで260試合以上も出場し、北朝鮮代表としてもAマッチに23試合出場した豊富な経験がKリーグで高く評価された」と報じている。
「Jリーグで11年もプレーしたことをものすごくリスペクトしてくれています。監督もJリーグをよく見ている方で、自分もすんなりチームに溶け込むことができた。選手もスタッフもとにかくリスペクトしてくれているのが分かるんです。Jリーグを経験した韓国選手もいて、『11年もずっとやれるのはどれだけすごいことなのか』をチームメイトがみんなに伝えてくれています(笑)。なので自分も試合で結果を残さないといけないという気持ちになる。すごくいい関係が築けています」
Kリーグで北朝鮮代表の市場価値は高い
33歳の李はチームでは年齢が上から3番目だ。経験豊富なベテラン選手としては当然、結果を求められる。どちらかと言えば“助っ人外国人”に近い立場かもしれない。
それに李の場合は、北朝鮮代表としての肩書きもついてくる。特に「Kリーグで(北)朝鮮代表の市場価値は高い」と言う。
数こそ多くないが、李のようにJリーグからKリーグに渡った在日コリアンの北朝鮮代表選手がいる。安英学(アン・ヨンハ)は水原三星ブルーウィングスと釜山アイパーク、鄭大世(チョン・テセ)は水原三星でプレー。現在、釜山アイパークでプレーしている安柄俊(アン・ビョンジュン)は、2020年と21年にKリーグ2部で2年連続得点王、ベストイレブン、MVPを獲得している。
「自分が代表でやってきたことが、ここでは高く評価されている実感はあります。それは今までKリーグで実績を残してきた安英学さんや鄭大世さんなど代表の先輩たちが、チームに貢献してきましたから。獲得する側も安心感はあると思います」
李は4年前、平壌で無観客で行われたW杯アジア予選でソン・フンミン率いる韓国代表と対戦(0-0)し、その名と顔は韓国サッカーファンの間では知られた存在。さらにさかのぼると、2014年仁川アジア大会のサッカー決勝戦で韓国代表とも戦っている(0-1で北朝鮮は準優勝)。韓国サッカーファンの間で知名度はあるが「初ゴールの時も周囲の反応やSNSでの盛り上がりもやっぱり違います。でも自分は自分。一人のサッカー選手としてやっている」と決して浮かれることはない。
J3→Kリーグ2部移籍で推定年俸は2倍に!?
そうなると気になるのは条件面。Jリーグ時代に比べてもかなり高い年俸をもらっているはずだ。それについて聞くと言葉を濁し「もちろんJリーグよりも待遇はかなりいいですよ」と笑っていたが、最低でもJリーグ時代の「2倍」はもらっていると筆者は予想している。年俸は選手の価値を図る一つのバロメーターでもあるからだ。
必要とされ、期待されているからこそ、ピッチの上では強いインパクトを残す必要があるとも感じている。
「海外に出たらポイントを取ることが大事という話は聞いていました。インパクトも大事だけれど、早めにゴールという結果でポイントを1つ取れたのは良かったかなと思います」
「3月の日本代表戦には招集はかかっていた」
李は3月に国立競技場で行われたW杯アジア2次予選の日本代表と北朝鮮代表の試合をテレビで見ていた。本来ならピッチに立っていてもおかしくない立場で、当然試合は気になっていた。結果は0-1で北朝鮮は敗れ、ホーム平壌での試合は中止になった。
「欧州経験があるチョン・イルグァンやハン・グァンソンも一緒にプレーしたことがありますが、他の若い選手たちを見ると少し綺麗にサッカーをしている印象は受けたので、国を代表して戦うからには、朝鮮の良さでもある貪欲さをもっと出してほしいとは思いました」
自身がピッチにいないもどかしさも多少は感じていただろう。李はまだ代表引退を公言しておらず、今後も呼ばれる可能性がないとは言えない。
「実はこの試合にも招集がかかっていたんです。朝鮮協会は自分の力が必要だとは言い続けてくれていたんです。でもこの時はもう岩手で契約満了となって、所属チームがない状態。コンディションも良くないし、ベストのパフォーマンスを出せないので代表は辞退したんです。コロナ禍前のW杯アジア予選が自分の中では最後だと区切りをつけていましたから」と打ち明けた。実際に北朝鮮サッカー協会の関係者も「代表には李栄直が必要という声が今もある」と話していた。
李は日朝戦を見ながら一つホッとしたことがあったという。
「在日コリアンの文仁柱選手(FC岐阜)が途中交代ながらピッチに立ったのを見て少し肩の荷が下りたというか、代表に在日選手を途切らせてはいけないという思いもありました」
実力的にはまだ主力とは言えないまでも、代表としての一歩を踏み出した後輩の登場を素直に喜んでいた。ただ、本当に李は代表入りを「諦めた」のだろうか。
「Kリーグ1部昇格が目標」
W杯アジア2次予選は6月に2試合を残しており、北朝鮮は中立地のラオスで行われるシリア(6日)とミャンマー(11日)との試合に勝てば、最終予選進出が決まる。
「もちろん代表に呼ばれたら行きたいし、またW杯予選のピッチに立ちたい気持ちがないと言えば嘘になる。それに選手生命の中で、お世話になった人たちに見せられる最後の機会と思うこともあります。ただ、自分がいま韓国でプレーしているので、色々と難しい問題も出てくると思います。そうした機会が本当に来るならば、朝鮮協会とクラブとの話し合いの下、ベストの道を探っていこうと思います」
6月の試合には招集がかかっていないが、北朝鮮が最終予選に進出できたとすれば、李の身の回りの状況にも少しずつ変化が訪れるかもしれない。
もちろんその前に何よりもクラブで結果を残すことが先決だ。「まだKリーグ挑戦は始まったばかりだけれど、1部に昇格できるように貢献していきたい。その後も契約が続くなら、韓国サッカーの全体像を知りたいし、チャンスがあるならタイトルも獲りたい」。
日本を離れ引退寸前だった選手が、再び韓国Kリーグで躍動する――。人生は何が起こるか分からない。欲を言えば、もう一度、北朝鮮代表ユニフォームを着て、ピッチで躍動する姿をこの目で見てみたいと思っている。