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「週休2日」「朝練廃止」で昨秋は都ベスト4。日大二の29歳監督が取り組んでいる改革

上原伸一ノンフィクションライター
古豪としても知られる日大二は昨秋、秋は33年ぶりとなる4強になった(筆者撮影)

学校あっての野球部であることを認識

昨秋、日大二高は東京都大会でベスト4に進出した。秋の都4強は33年ぶりであった。

日大二は、1959年春に甲子園初出場を果たした古豪だ。春・夏合わせて6回の甲子園出場がある。ただ、2009年夏は西東京大会で準優勝するなど、コンスタントにベスト8以上には進出しているものの、甲子園からは1982年夏以来、遠ざかっている。

躍進の裏側には、昨年1月からチームを率いている齊藤寛文監督による「改革」があった。齊藤監督は日大二のOB。3年時は主将を担った。中央大に進むと、1年時から母校のコーチになり、4年時より助監督に。その傍ら、大学では英語と社会の教員免許を取得した。卒業後は母校の職員となり、引き続き助監督を務めていたが、高校時代の恩師でもある田中吉樹前監督からバトンを引き継いだ。現在29歳の青年監督である。

まず着手したのが、全体練習の週休2日制の導入だった。

日本高等学校野球連盟に所属している高校野球部は「日本学生野球憲章」に基づいて活動している。第2章(学校教育の一環としての野球部活動)の第8条(学校教育と野球部の活動との調和)には、‘加盟校は原則として1週間につき最低1日は野球部としての活動を行わない日を設ける’とある。

日大二は「日本学生野球憲章」を踏まえ、週に1日を休養日にしていたが、これを2日にしたのだ。背景には「働き方改革関連法」があったという。

「学校からは、学校がこれに則っているので、野球部も学校の代表として戦う以上、同じ意識を持ってほしい。それが、学校から応援される野球部になることにもつながる、という話がありました」(齊藤監督)

就任2年目の齊藤監督は日大二のOB。大学1年時からコーチとして母校を指導しており、現在29歳と若き監督ながら指導歴は10年以上だ(筆者撮影)
就任2年目の齊藤監督は日大二のOB。大学1年時からコーチとして母校を指導しており、現在29歳と若き監督ながら指導歴は10年以上だ(筆者撮影)

齊藤監督はこれを理解し、学校の野球部であることを前提に活動することを伝えたが、不安にもかられたという。

指導を週に2日も休んで大丈夫か…

本気で甲子園を目指している学校で、平日2日休んでいるところは稀だろう。

そもそも、学校(東京・杉並区)から、東京・立川市にある野球部のグラウンドに移動するのに1時間近くかかる。施設には、両翼98メートル、中堅120メートルのグラウンドのほか、クラブハウスや室内練習場などもあり、練習環境には恵まれているが、練習時間の確保が難しい面もあった。

しかし、学校あっての野球部である。ならば、そのなかで、レベルを高めなければならない。

そこで発想を転換し、練習の質を上げることに注力した。週に4日しか平日練習ができないのであれば、中身を濃くするしかないと。

日大二の練習施設内の室内練習場。学校から約1時間かかるが、クラブハウスもあるなど、恵まれた環境だ(筆者撮影)
日大二の練習施設内の室内練習場。学校から約1時間かかるが、クラブハウスもあるなど、恵まれた環境だ(筆者撮影)

指導の根源としている2つの理念

練習のクオリティを高めるために、朝練習も廃止した。日大二ではグラウンド練習の時間を補うため、毎朝7時から8時20分まで校内で練習をしていた。それを放課後練習が1日減ったにもかかわらず、やめたのだ。

「睡眠時間を確保するためです。朝練習に間に合わせようとすると、特に通学に時間がかかる選手は睡眠が不足します。前日の疲労が心身ともに抜けないので、良好なコンディションで臨めない、授業中に眠くなる選手もいる、というデメリットがあったのです」

朝練習がなくなると、平日の練習時間は(5 日間から4 日間になることで)トータルで10時間以上は減る。齊藤監督はこれを承知の上で、休養に重きを置いて成果につなげるやり方を選択した。

基盤には齊藤監督が指導する上で柱としている、2つのチーム理念があった。1つは「全選手・生徒の心身ともの幸福を探求する」で、もう1つは「日本・世界で貢献できる人材を育成する」だ。齊藤監督は、監督としての判断や選択など、そのすべての根源を、このチーム理念に置いているという。

休養と大きく関わりがあるのが2つ目の理念だ。

「練習に多くの時間を割くのも1つのやり方ですが、選手の立場に立つと、指導者から言われるままに練習をこなす日々には「余白」がありません。プレーを上達させるために考える時間、自分と向き合う時間がないのです。一方で、社会に出たら、言われたことだけをこなしているだけでは認めてもらえません。今後ますます、自分で考えられる、自分で何かを生み出せる、つまり「自主創造」ができる人が求められるでしょう。ですから、考える習慣を身に付けるためにも、休養という余白が必要なんです」

「自主創造」は日本大学の教育理念でもある。

選手たちには「自主創造」ができる人になってほしいので、齊藤監督は「こうしろ」「ああしろ」といった一方的な指導はしていない。何か新たなことに取り組むときも、パソコンのパワーポイントを使って、丁寧に説明する。疑問があれば、受け付ける。野球部の監督と言うよりは、企業の上司のようなスタンスで、チームビルディングを行っている。

「監督が強く言えば、選手は『はい』と従うかもしれませんが、実は理解していない、納得していないケースが少なくありません。大事なのは、表面的な素直さを繕うことではなく、自分で考え、理解して、納得して、アクションに移すことだと思っています」

齊藤監督は「こうしろ」「ああしろ」という指導はしない。選手と会話を重ねることでより良い練習方法を見つけていく(筆者撮影)
齊藤監督は「こうしろ」「ああしろ」という指導はしない。選手と会話を重ねることでより良い練習方法を見つけていく(筆者撮影)

理想を掲げても、勝たなければ評価されない

もっとも、自分で考えられるようになるのが、高校野球の「目標」ではない。競技スポーツである以上、勝つこと、甲子園に出場することが目標であり、社会に出て役立つ武器を身に付けるのは、高校野球の「目的」と、齊藤監督は位置づけている。

齊藤監督の体制になってから、練習時間は短くなったが、密度は濃くなった。自身は中学時代、リトルシニアの全日本代表チームの主将を務め、世界一になった経験も持つ。勝つことでしか見られない景色を知っている。勝ちたい、勝たせたい思いは人一倍強い。

昨年12月の冬休み期間の練習は、投手には2日に1度の200球の投げ込みを、打者には毎日1000スイングを課した。「練習は丸1日ではなく、6時間と限ったので、選手はかなりきつかったと思います」。

その代わりに「家族と過ごす時間も大切にしてほしいので」と、年末年始休みを8連休にした。「高校野球をしている子は野球が最優先になりがちですが、学校生活があっての野球であり、家庭生活があっての学校生活だと思っています」。

こうした齊藤監督の考えは、父母会やOB会の一部から、なかなか理解を得られないところもあったという。「練習量イコール練習時間」の野球で育った人からは、「そんなに短い練習時間で強くなれるのか」「理想論はいいから勝てるチームにしてほしい」といった批判的な声も聞こえてきた。

長く続いていたこれまでのやり方を変えるのは生半可ではない。そして、新しいやり方が認められるのは、結果を出した時。これは世の常だろう。

昨年の「33年ぶりの秋のベスト4」はゴールではないが、一定の成果をおさめたことは、齊藤監督の評価を高めた。新しいやり方を推進する上で、追い風になっているのは間違いない。

しかしながら、実績を作れば、ハードルは高くなる。今年は、昨秋の結果を上回れるかどうかが試金石になる。他校のマークも厳しくなるなか、さらなる力をつけなければならない。

今春から金属製バットの基準が変わるのを踏まえ、木製バットで打ち込む日大二の選手たち(筆者撮影)
今春から金属製バットの基準が変わるのを踏まえ、木製バットで打ち込む日大二の選手たち(筆者撮影)

実績と経験に富んだベテラン指導者がサポート

オフ期(12月、1月、2月の3か月間)は「変化・成長」をテーマに掲げている。特に投手陣の「変化・成長」なくして、チームの進化はないと、齊藤監督は見ている。

「試合は投手で、8割、9割は決まりますからね。野手とは別メニューにしていて、土日練習では投手だけ、早めに帰らせるなど、特別扱いもしています。もちろん、彼らだけ楽をさせているわけではありません。キーマンである自覚を持たせた上で、技術を上げるためにはどうすればいいか、とことん考え、それを実践してほしいからです。練習はグラウンドだけで行うものではないので」

こういう指導ができるのも、普段から「余白」を持たせ、「自主創造」の力を培っているからだろう。長時間拘束するスタイルだと、投手は「早く帰れてラッキー」と、野手は「なぜ、野手だけ」となってしまうかもしれない。

オフ期の練習では投手と野手は別メニュー。試合のカギを握る投手陣は自覚を持ってトレーニングに励んでいる(筆者撮影)
オフ期の練習では投手と野手は別メニュー。試合のカギを握る投手陣は自覚を持ってトレーニングに励んでいる(筆者撮影)

齊藤監督には心強い味方もいる。昨年、助監督に着任した坂東寿彦氏だ。その経歴は華々しい。東海大相模高、東海大で外野手として活躍し、いずれも全国優勝を経験。社会人野球の名門・いすゞ自動車(03年限りで休部)でもプレーを続け、コーチも務めた。

長くアマチュア野球に携わっている40歳上の坂東助監督からは、令和の「Z世代」に対する指導のヒントも得ているという。温故知新の精神で、昭和の野球からも学んでいる。

ほかにも、日大二では齊藤監督の2学年下で、明治学院大でも野球を続けた横川隆之佑コーチと、白井弘泰氏と前川善裕氏の2人の外部コーチがいる。

日大二OBで投手だった白井氏は、卒業後はプリンスホテル(00年解散)に進み、89年の都市対抗優勝に貢献。同年には元ドジャースの野茂英雄氏らとともにアジア選手権・日本代表に選ばれた。前川氏は、スラッガーとして早稲田大、日本鋼管(87年解散)、全日本で名を馳せた。大学時代は日本一1度を含む2度のリーグ優勝に、社会人では76年の都市対抗優勝に寄与した。

29歳の監督にとって、自分よりはるかに年長で、知識、経験ともに豊富な外部指導者の存在も、大きな助けになっている。

古豪復活なるか-。就任2年目の「青年監督」の挑戦は始まったばかりだ。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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