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東京・立川エリアを中心に多様な事業を展開 プロパーへの事業承継がうまくいった秘訣とは

千葉哲幸フードサービスジャーナリスト
左が創業者で代表取締役会長の和田氏、右が代表取締役社長の手塚氏(筆者撮影)

東京・立川は、東京の西の拠点都市である。かつては米軍基地があったが跡地開発が整い、髙島屋と伊勢丹が競い合うように商業を活発化し、多摩都市モノレールによって人口が増えて、大学も設置されて若者が多く、日夜活気に満ちている。

このエリアをメインとする株式会社AZism(エーゼットイズム)は、1986年4月に創業。以来39年を経て、エンターテイメント事業、フィットネス事業、飲食事業と主要3事業を展開し、売上高約73億円(2024年3月期)、60店舗、グループ従業員1076人を擁する企業(2024年12月末)に成長している。

「新しい時代のビジネス到来」の空気を読み取る

AZismの創業者は和田敏典氏(59歳)。2024年10月に同社プロパーに事業承継を行い代表取締役会長に就任した。ここで新しく代表取締役社長に就任したのは手塚章文氏(38歳)である。くしくも新社長は、1986年生まれで会社の歴史と同じ年数を重ねている。

和田氏は事業家の一族の中で育った。高校時代はパンク・ロックに浸り、卒業後は家電量販店に就職した。同社では売り場づくりを担当者に自由に任せてくれていたことから、和田氏は「売れる売り場づくり」に余念がなかったという。これらが原体験となって、その後の和田氏の事業展開の元となる「時代の空気の読み取る方」が培われていったようだ。

和田氏が独立起業したのは21歳のときで、父の兄から「これからビデオショップが繁盛する」と勧められ、父と一緒にビデオショップを西八王子に構えた。父は開業した半年後に事業から離れて、和田氏が代表となる。

その後、ビデオショップの業界は初期投資3億円、5億円といった形で大規模化していき、和田氏は「ここは自分が商売を手掛ける世界ではない」と思うようになった。

そのとき、自分より年下の世代がファミコンに夢中になっている様子を目の当りにする。ニュースでは「ドラクエの販売初日に800人が並ぶ」と報道している。街の駄菓子屋ではファミコンの下取りと販売が行なわれるようになり、「これからはゲームのリサイクルが商売になる」と考え、1989年5月立川にファミコンショップを構えた。

ここから同社では、ビデオレンタル、ファミコンショップ、トレーディングカード、輸入雑貨、漫画喫茶と広げ、これらをエンターテイメント事業として充実させていく。

事業拡大の路線で、2005年12月にカーブスジャパンと契約してから、フィットネス事業を手掛けて事業の基盤が整っていく。

JR立川駅北口の商業施設の中に設けたデュエルスペース(トレカ対戦場)。60坪ほどのスペースを無料で開放している(筆者撮影)
JR立川駅北口の商業施設の中に設けたデュエルスペース(トレカ対戦場)。60坪ほどのスペースを無料で開放している(筆者撮影)

優秀な人材に事業を任せ、自分は新しい事業を育てていく

2009年4月に初めての飲食事業である「ラーメン店」を出店した。この背景について、和田氏はこう語る。

「エンターテイメント事業が伸びているときに、社長である私より明らかに優秀で、その商才を伸ばすために勉強熱心な人材がいた。私はあるセミナーで『ノミの法則』ということを学んで、その人材にエンターテイメント事業を任せた方が会社のためになると思って、ここから離れることを決意した」と。

この「ノミの法則」とは、ノミは自分の体の100倍の高さにジャンプする能力を持っている。しかし、ノミをコップの中に閉じ込めると、天井になったコップの底に頭をぶつけているうちに、そこにぶつからないような習性が身について、そのコップからノミを出しても、以前のようなジャンプをしなくなる、ということだ。このセミナーでは「『ノミの法則』は日本の企業にありがちな、あしき環境」と述べられていた。

そこで、エンターテイメント事業をその優秀な人材に任せた社長の和田氏は「これから、自分はどうするか」と考えた。

ここで初めて飲食事業である「焼肉店」を個人事業として手掛けたが、職人がインフルエンザにかかり1週間店を休業することになった。そのため「飲食業は魅力的だが、職人を必要とする飲食業は自分が手掛けるビジネスではない」と考えるようになった。

その後、加盟店をたくさん集めてスープをPBでつくって各店に配送し、スープを店舗内で炊く必要をなくして、スープのクオリティを安定させる仕組みを持つラーメンチェーンに参画した。それが、前述したラーメン店の「横浜家系ラーメン昭島大和家」である。

このラーメンチェーン本部から派遣された人材が、賄いで「二郎系」を披露するようになり、この食味がラーメン店の展開に厚みを持たせると確信した和田氏は、AZism独自に「二郎系インスパイア」のラーメン店「田田(だだ)」の展開も始めた。

「田田(だだ)」は二郎系インスパイアのラーメン店として有名になり女性客にも人気の店に育っている(筆者撮影)
「田田(だだ)」は二郎系インスパイアのラーメン店として有名になり女性客にも人気の店に育っている(筆者撮影)

また、和田氏によると「店名を『大和家』としたのは、いつか海外で『日本発のラーメン店』という形で展開したいと考えていた」ということで2013年7月台湾に進出、現在台湾で3店舗を展開している。

ラーメン店の展開が軌道に乗るようになって、「居酒屋をやってみたい」という人材が現れた。そこで、それぞれ加盟店となり2013年11月「串カツ田中」立川店、2015年8月「ダンダダン酒場」立川店をオープン、以来これらを多店化。さらに飲食店のブランドを広げて「飲食事業部門」を充実させている。

社内から「居酒屋をやりたい」という人物が現れ「串カツ田中」や「ダンダダン酒場」の展開を始めるようになった(筆者撮影)
社内から「居酒屋をやりたい」という人物が現れ「串カツ田中」や「ダンダダン酒場」の展開を始めるようになった(筆者撮影)

実績をつくることに挑戦し、従業員の全員を引き上げる存在

和田氏は、これまでの事業展開の在り方についてこのように語る。

「私は、いつも3つの軸で業態を積み上げている。エンターテイメント事業、フィットネス事業、飲食事業もすべて同じ。それは『その時代の空気』『専門性がある』『お客様の顔が見える』ということ。これによって、お客様、従業員ともにコミュケーションが深まっていった。これがビジネスを広げてきたポイントです」

和田氏のこのような事業の進め方は、同社の社風を形づくっていった。筆者は今回の記事を書くために、JR立川駅周辺にあるAZismのエンターテイメント事業と飲食事業の店舗を訪ねたが、お客や従業員に同じ空気を感じた。「ここで過ごすのが楽しい」「ここで働くことが楽しい」ということだ。

エーゼットグループの企業理念は「お客さま、従業員、家族の幸せのため、日々努力し、社会貢献を目指す、人間集団。」である。これらが浸透していることを、ここで働く人たちがみな感じ取っていることだろう。

さて同社では、前述したとおり2024年10月和田氏が代表取締役会長に、手塚氏が代表取締役社長に就任した。

手塚氏は、大学4年生のときに同社のファミコンショップでアルバイトを行い、そのまま新卒で入社した。ここから漫画喫茶での勤務となり、ブームが去った後の業種でありながら着実に業績を上げていった。漫画喫茶にはダーツがあり、これに熱心に取り組んでダーツのプロになった。プロを辞めてから「元プロがすすめる」ということを冠にしてダーツグッズを販売し、既存の商品の売上を10倍に伸ばし、「漫画喫茶ではダーツグッズ販売日本一」と言われる程の実績をつくったことがある。

また、エンターテイメント事業に加えて飲食事業も担当するようになった。「ダンダダン酒場」「串カツ田中」ともども加盟店として本部主催のインナーキャンペーンに参加し、それぞれ1位を受賞したこともある。手塚氏はこう語る。

「飲食事業の店舗はそれぞれAZismの中では少ない店舗数ですが、チェーン全体と考えると百数十店舗の中の一部です。競争するチャンスがなかった環境だったので、ライバルが多いことにわくわくしました。優勝すると大いに盛り上がります」

このように語る手塚氏には企業理念がしっかりと浸透して、日々実践している。

和田氏は、創業以来こつこつと事業を育ててきて「100年続く企業」を模索してきた。これが、同社のさまざまな部門で実績をつくり従業員全体を引き上げるプロパーの手塚氏を見出して、手塚氏に事業承継を行った。これらのストーリーに改めて企業理念の重要性を感じた。

フードサービスジャーナリスト

柴田書店『月刊食堂』、商業界『飲食店経営』とライバル誌それぞれの編集長を歴任。外食記者歴三十数年。フードサービス業の取材・執筆、講演、書籍編集などを行う。

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