至近距離から見た井上公造。発明品、そして、残したもの
2012年8月16日午後2時。
大阪・リーガロイヤルホテルのロビーラウンジ。
井上公造さんと待ち合わせをしました。
当時の僕はデイリースポーツの芸能担当記者で、同年8月1日に結婚し、8月3日に編集局から広告局への異動を打診されていました。
ロビーラウンジで約1時間話し、会社員の身から今の仕事に転身することを決めました。
共通の知人だったある社長さんが僕の異動をきっかけに絵を描いてくださり、転職への話が一気に進みました。
そこからは井上さんの事務所に所属する形で芸能記者として書き物を続けながら、テレビやラジオ、イベントに出演する生活を約9年半過ごしてきました。
落語家のように明確に師弟という概念があるわけではありませんが、敬意と照れ隠しを練り合わせ、ラジオなどでは井上さんのことを師匠と呼び、自分のことを弟子と言ってきました。
そして、今月で井上さんは全てのレギュラー番組を卒業します。
改めて、今の事務所に入った時に井上さんから教わったことをまとめたメモを見てみました。
「テレビでの僕らは“パス”役。いかにして、メインの人がシュートしやすいパスを出すか。番組出演時の立ち位置はそこに特化すべし」
「関係ない話には関係ある話をまぶす。共通項を見出して、スタジオにいる人の話を絡めていくなどして、その場の熱が上がる方向を考える。そして、踏み込む時は思いっきりいく。ドラマでの“中途半端なビンタ”はしらける。それをやってはいけない」
「一番あってはならないのは、トークの流れを断ち切ること。不倫ネタで『他にも不倫をしている人もいますもんね』なんて相槌をうった以上は、それは誰かを言わないといけない。もし『え?誰?』みたいになったら、メインの人にだけこっそり耳打ちするなどしてでも流れを止めないようにする」
これらはごく一部ですが、井上さんが29歳でサンケイスポーツの記者から転身し、試行錯誤の中で身につけてきたことを本当にそのまま全部教えてくれていた。10年近くこの仕事をやってきたからこそ、今はそれがよく分かります。
そして、ボクサーにもいろいろなタイプがいるように芸能記者にもいろいろなタイプがいます。
取材先との付き合いなどはせず情報をもとにスクープという果実を取っては次に行く“焼き畑式農業”タイプ。
関係者との付き合いもしっかりした上で土地を耕し肥沃にして作物を収穫する“定住型農業”タイプ。
もちろん、これ以外にもいろいろなタイプもありますし、どちらが良い悪いということでもないのだとは思いますが、僕は自分の人間性と合致し、より作物がたくさん取れる方法として“定住型農業”タイプを選んできました。
そして、井上さんのところに入りました。
「自分とは全く違う、スーパー焼き畑方式だったりしたら大変そうだな」
そんなことを思っていましたが、それは逆の意味で裏切られました。
タイプで言うと、井上さんも同じ定住型農業でした。ただ、同じ流派だからこそ驚きました。その手間と正確性が格段に違う。
そこまで深く土を耕すのか。そこまで考えて肥料を配合しているのか。そこまで厳密に肥料のエリアを管理しているのか。そこまで休みなく畑を手入れするのか。
同じ農法だからこそ分かる、気が遠くなるほどの手間。そこに衝撃を受けました。
そもそも芸能マスコミというのはいろいろな言葉を向けられる領域でもあります。
ただ、全ての職業を通じて、あの農法と同じだけの手間を36年間続けられる人が世の中にどれくらいいるのか。そこは純粋に思う部分でもあります。
そして「芸能人に突撃する」というかつての芸能マスコミのスタイルから「芸能人との共生」という発明品を生み出したのが井上さんだとも言われます。
「僕らは芸能人の“寄生虫”」
よくこの言葉を井上さんは口にしますが、これは真意でもあり、少しは謙遜もあり、でも、やっぱりちょうどフィットする真意である。そんな言葉として井上さんは使っていると感じてきました。
そのエッセンスを間近で見てきた。
そして僕自身の要素も足した上で、僕が芸能記者として目指すべき領域は“触媒”だと思っています。
闇営業騒動の渦中にあった相方への思いと再生への道筋を田村淳さんに聞く。
税金の問題から仕事復帰する時の思いを徳井義実さんに聞く。
新型コロナ禍でバッシングを受けていた石田純一さんに思いを聞く。
松竹芸能を退所しSNSなどで逆風が吹いていた木下隆行さんに思いを聞く。
これまでもそういった原稿を主にYahoo!拙連載で書いてきました。
SNSの時代、いくらでも自分で発信できます。でも、そこに聞き手が入り、自分で絞り出した以上の思いを文字にする。
同じお好み焼きでも家で作るものとお店で食べるものでは味が違う。その差を作るのが触媒としての僕の役割だと思っています。
どこまでいっても、この文章は身内が身内のことを書いているにすぎません。
分かってもらえる話ではない。
そもそも、分かってもらうような話でもない。
でも、綴っておく。
そして綴るなら、自分が綴る。
そんな思いで楔として綴りました。
それ以上でもそれ以下でもない47歳。