平安京さんぽシリーズ⑮発展する京都の玄関口「八条通」を歩く(前編)
現在の八条通は平安京の八条大路にあたり、東は須原通の東側から西は桂川左岸の右京区西京極西向河原町までとなります。平安末期には平清盛の西八条第など平家一門の邸宅が大路に接して建ち並んでいました。
現在は途中JR東海道線によって中断されています。新幹線の開通で、通り沿いに京都駅八条口ができ、京都の新しいターミナルとなりました。
まずは京都駅八条口から西へと向かいます。油小路通に出て少し南へ向かうと、広大な伏見稲荷大社の御旅所があり、東寺の鎮守社としての歴史を今に伝えています。
そのほぼ西隣に位置する西福寺は、天長5(828)年に弘法大師によって創建された浄土宗の寺院で、弘法大師作と伝わる安産石薬師如来が伝わりますが、当初は弘法大師が設立した日本最初の私立学校「綜芸種智院」があり、現在は石碑のみが残されています。
八条通に戻って大宮通を越えると東寺の北総門が左手に出てきますが、この門を潜って北大門までの道は、櫛笥小路(くしげこうじ)といって、かつての平安時代の「小路」の12mの幅が現存する唯一の場所となります。東寺の紹介は、九条通の記事に譲るとして先に進みましょう。
次の八条壬生の交差点右手には、六孫王神社の入口が見えてきます。清和天皇の第六皇子の子で、天皇の孫にあたる源経基は「六孫王」と呼ばれ、その嫡子で、清和源氏軍団を形成した源満仲によって創建されました。
本殿後方に現在も残る石の基壇は、経基の廟であると伝わるため「清和源氏発祥の宮」とも呼ばれています。
かつての邸宅には牡丹の花が多く植えられていた故事から、牡丹の花が神紋となっています。社殿前の池は龍神池とよばれ、傍らにある井戸には、子の満仲が誕生した際に、琵琶湖の竹生島から勧請した弁財天が祀られています。
春は隠れた桜の名所となるので、ぜひその季節にも足を運んでみてください。
神社から先はJR東海道線の高架によって八条通は分断されるため、ここで一旦北へ向かい、JR東海道新幹線とJR東海道線の高架を潜り、梅小路公園を横切って西へ向かいましょう。
梅小路公園は、市街地の中心にありながら人が緑と花で憩える空間として、また災害時には市民が避難できる場所として、平成7(1995)年から開園している面積約12.5ヘクタールの都市公園です。
公園内には「芝生広場」、「河原遊び場」、フリーマーケットなどのイベントが行われる「七条入口広場」、フィールドアスレチックのある「ふれあい広場」などがあり、その他に有料施設として、日本庭園「朱雀の庭」や自然がいっぱいの「いのちの森」もあります。昔懐かしい「チンチン電車」が土日祝には運行します。
また、2012年3月に、京都市では初の本格的な水族館「京都水族館」がオープンし、さらに2016年4月29日より、京都鉄道博物館が開館したことで、近年は多くの人が集まる京都でも屈指の人気スポットとなりました。
そんな賑わいに隠れるかのように、公園の南部が平安末期には平清盛の西八条第であったことを示す案内板が設置されています。
当時は清盛や一門の屋敷が広大に広がっており、都の西の入口を守る存在でもあったようです。しかし平家一門の都落ちの際に炎上し、屋敷群は跡形もなく姿を消しました。かつての賑わいと今の賑わい、時代を越えて不思議なつながりを感じます。
以上、八条通の前半を見てきましたが、後半はさらに知られざるエリアへ続いています。この後の後半お楽しみに。