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【札幌市中央区】「寿珈琲」北海道に根付いたネルドリップコーヒーショップの店主が考える新しい伝統。

ゆべーる地域クリエイター(札幌市)

プロローグ 最近の珈琲(コーヒー)の動向?

先日ガイドの仕事で鎌倉のバスツアーを担当した時です。参加者にご主人がロンドンっ子、奥様がデンマーク出身というカップルがいました。

私は奥様に、北欧のコーヒー文化は随分豊かなのですよね?と聞いてみると、奥様はコーヒーについて熱く語り出します。

そうなのよ、北欧、特におとなりのノルウェーは素晴らしいコーヒーが多いのよ。そして私たちデンマークでも彼らと同様にペーパーか金網のハンドドリップで丁寧に淹れるの。金網なら一度に香り高いコーヒーを多く淹れることができるわ。それに比べて今住んでいるロンドンには苦くて強いエスプレッソばかりで。。。

それを聞いていたご主人が言います、おいおい勘弁してくれよ。確かにロンドンで飲むコーヒーってそう美味しいとも思えないけど、最近は少しづつ北欧スタイルのコーヒーも飲めるようになってきたよ。

そんな会話がありました。やはり北欧のコーヒーは一目置かれているのですね。

そういえば私の亡き大おじさん(赤井川村の村長でした)が1970年代に視察でストックホルムに行った時、彼の地の人はビールジョッキのように大きなカップに浅煎りのコーヒーをたっぷり入れて飲んでいて、それが美味しかった、と語っていたのを思い出しました。

最近はそうした北欧スタイルのコーヒーが徐々にヨーロッパに広まってきているようです。

私はツアーの最後にその奥様に再度聞いてみました。僕の故郷の札幌には、ペーパーでもなく金網でもなく、コットンなどの生地、つまりフランネルを使ってドリップコーヒーを淹れる方法があるのですが?というと、わあ面白そうね飲んでみたい!そんな回答が返って来ました。

日本のネルドリップ

抽出する人によって味が変わるのも、ネルドリップの面白さ。
抽出する人によって味が変わるのも、ネルドリップの面白さ。

日本におけるいわゆるネルドリップ(ネルはフランネルの略)は戦後に東京で始まったとされています。発明そのものは昔のフランスらしいですが、それが実際に日本でスタイルを変え発展していきました。

ただ、日本ではその時に深煎りで焙煎した豆を使う伝統がセットで根付き、それが1980年代の後半以降に一気に広まったのを覚えています。

そのネル+深煎り文化の名店のひとつ、原宿の「アンセーニュダングル」で修行した人が札幌にて同じ名前でスタートしたお店が、古久根ビルに1980年代に開業し、私も札幌に戻って来た1996年あたりには数回お邪魔していました。

(ちなみに東京の本家アンセーニュには相当回数行っています。)

やがてネルドリップは津軽海峡を渡る。

メニューは比較的こまめに変わるので、詳しくは店頭で。
メニューは比較的こまめに変わるので、詳しくは店頭で。

そのお店の系列が1980年代後半からどんどん北海道で発達し、今や有名な「宮越屋珈琲」として知られる存在になったのです。

現在、私は札幌と東京の半々で生活するようになったからこそわかるのですが、やはり北海道は寒いです笑 この寒さは当然味覚にも影響します。加えて元々喫煙率の高い土地柄ですから、北海道の人の味覚は気候に打ち勝つパンチのある味覚としての深煎りコーヒーが根付き、それに伴ってネルドリップも普及し、現在では東京よりも北海道の方が割合としてはこの方式を採用するお店が多いのではないか?と思います。

しかしそれ以前に自分のブログでも書いたのですが、こうした「ネル+深煎り」のスタイルをきちんと使いこなせるアルチザンがいたからこそ、このスタイルが北海道で定着したのではないかと思っています。

ネルドリップの意匠を継ぐ札幌の名門コーヒーショップ、「寿珈琲」。

まるで日本茶とお茶請けのようなアンサンブル。
まるで日本茶とお茶請けのようなアンサンブル。

東京では「アンセーニュダングル」はまだありますが、かつて一世を風靡した新宿の「ジョルジュサンク」もなく、「ヴォルールドフルール(花泥棒)」の渋谷の旗艦店もなく、カフェラミルの数も減り、渋谷のはずれにあった名店「レジュドゥー」もなくなりました。時代はエスプレッソやマシーンやブルーボトル以来のペーパードリップに変わって来たなあという感じですが、一方、札幌ではまだまだ一定数のネルドリップのお店があります。

そんな札幌のコーヒースタイルに貢献し、それを札幌に根付かせることを可能にした宮越屋珈琲の初期の伝説的なアルチザンというかマイスターである柴田寿治さんが、2007年に当時はまだ創成川イーストあるいは創成イーストという名前が定着していなかった時に、新しくできたこだわりのコーヒーショップの開業と共に責任者となり、翌年にはお店はその意匠を引き継いで現在の「寿珈琲」になりました。

以来、このお店はこだわりのインテリアや、日本のお茶請けとでもいうべき選び抜かれたシンプルなお菓子を用意して、文化としての喫煙を許容するいわば本当の意味での喫茶店(つまり喫煙可能なコーヒーショップ)でありながら、ネルドリップを使いこなす名店としてもう15年もやって来たということになります。

夏にはこんな店頭に。ひさしに旧店名を残しているのも、柴田さんのおおらかさのなせる技。
夏にはこんな店頭に。ひさしに旧店名を残しているのも、柴田さんのおおらかさのなせる技。

店内の壁は、一世紀を超えるだろう歴史を持つ古い建築物の壁であった札幌軟石が活かされ、カウンター後ろのレンガ壁も漆喰のリメイクこそしていますがやはり古い歴史のあるもの。

これが19世紀末のものと思われる札幌軟石の壁
これが19世紀末のものと思われる札幌軟石の壁

小樽や札幌にかつて無数にあった歴史的建造物の遺構が、このお店と奥の店にまたがるように今の建物の壁の奥に眠っていたのを再利用しています。

そんな歴史のある空間の中で、これまた歴史が長くなって来た札幌の味とも言えるネルドリップのコーヒーを飲むのも、なんとも乙なもの。喫煙に関しては色々なら意見もあるでしょうが、それを時代の味と感じられる人が楽しんでくれるのも良いのではないでしょうか?

ネルドリップの伝統を引き継ぐ体現者が感じる、新しいスタンダード。

柴田寿治さん
柴田寿治さん

そして柴田さんのスタイルは、ネルドリップのアルチザンとしてのテクニックを極めながら、時代の空気を感じて、少し浅めのローストを取り入れたり、シングルオリジン(状態の良い豆を単一品種で使う)に対応したり、独自の展開をしているのです。つまり、ネルと深煎りというのは日本でセットで見なされていますが、本来は全く別の次元の話であり、柴田さんはネルドリップの可能性を典型的な深煎り「のみ」に留める必要はないと考えています。現在寿珈琲では、ナチュラルとビター、2種類のレギュラーメニューを全く焙煎程度の違うスタイルで出して、少し浅目な中深煎りと深煎りのどちらもネルで楽しめるようにしています。

またこの写真のようにネルドルップとペーパードリップの中間的個性を持つ「リネンドリップ」を試行したりなど、ドリップのスタイルについても絶えず新しい試みをしています。

個人的には最近北海道で流行りのオーストラリアスタイルのフラットホワイトなどよりも(結局コーヒーにミルクを入れる事を好まなくなりましたので)それこそ北欧スタイルの浅煎りのフルーツのような香りのするコーヒーにハマっています。(東京では「Fuglen」「Coffee Wrights」「Onibus」「Lucent」など。もちろん浅いだけでそんなに美味しくないコーヒーショップも多いです。)

そんな私が現在札幌で飲んでいて一番美味しいと思えるのが、現在の寿珈琲の、ネルドリップという北海道に根付いた方式で、かつ豆の個性をリスペクトするローストを深くしすぎない北欧スタイルにも広がりつつある、いわばリフレッシュされた伝統というスタンスのコーヒーなのです。(もちろん伝統的な深煎りコーヒーも楽しめます。)

この間エチオピアのイルガチェフを飲みましたが、フルーツや紅茶のような香りが、ネルを使う事によって尖る事なく、まるで銀盤カメラのように焦点がふんわりした暖かさを感じることができて、私は大好きです。

個人的には豆に圧力をかけて抽出するエスプレッソ(元々はその名の通り、早く淹れる方法として開発された)やサイフォン、カフェティエール・ピストン(戦前から原型がフランスにあった方法で現在はそこから派生したフレンチプレスの名前で知られている)よりもドリップの方がコーヒーの風味の良いところを引き出す事ができると考えています。

それもそのはず、エスプレッソやピストンは効率的にコーヒーを淹れるために考案されたものですから。パリではピストンが流行る前はドリップ(ドベロワ式ポットによる金網式の抽出)がメインでしたが、スタッフで両手でそれぞれコーヒーを淹れなくてはならないなど大変なものでした。ただ当時の抽出技術や豆のことを考えると(その復刻版を飲んでみると)お世辞にも美味しいとはいえませんでしたね。そのほかにターキッシュスタイルもありましたが、いずれにしてもエスプレッソなどは当時のカフェの莫大なコーヒー需要に応えるためのスピード優先の方法として発明されたのです。

そのドリップの中でも、特にネルドリップは抽出には時間がかかりますから大量消費には向きません。またテクニックも相当に必要なので、私は最終的には東京でも少なくなったのではないかと見ています。少なくてもなかなか若いアルチザンが育たなかったのでしょう。しかしネルは焦点が広く、もし淹れる側のテクニックがあるとコントロールしやすいので良いなあと思います。(同じドリップでもペーパーは豆の個性をストレートに感じるには良いと思います。)

その本質は「和テイスト」にあり。

まるで棒茶のような、穏やかな佇まい。
まるで棒茶のような、穏やかな佇まい。

私は最近焙じ茶の中でも金沢の棒茶、つまり茶葉ではなく、茎を主に使った焙じ茶が大好きで自宅で飲んでいますが、ネルドリップで淹れたそれほど深くないコーヒーの美味しさって、この棒茶の、ダークなフルーツのような味やミネラルフレーバーが立ちつつまろやかな味わいにそっくり。

つまり良質な浅煎りや中深煎りのネルドリップで淹れたコーヒーって、北前船の交易で鍛えられた北海道にふさわしい味覚の発展系、究極の和のテイストのコーヒーになるんじゃないかなんて想像してしまいます。

故にお茶請け?としてのケーキもリッチすぎるものではなく、胡桃や小麦の香りを楽しめるエンガーディナーや、シンプルなチーズケーキ、オランダ菓子などが良いですね。

「RICCI」のいちじく入りバスクチーズケーキ
「RICCI」のいちじく入りバスクチーズケーキ

「Konomu Coffee」のリンツァートルテ
「Konomu Coffee」のリンツァートルテ

「Konomu Coffee」のエンガーディナー
「Konomu Coffee」のエンガーディナー

最近のカフェに多い乳脂肪の高すぎる生クリームやフルーツが多すぎるケーキやデザートは、いわば乳脂肪分や糖分のおいしさですが、そうではなく純粋な小麦やナッツの美味しさと旨味に耳を傾けることができるのもネルドリップの穏やかな風味があればこそ。

「DROPJE」のオランダ菓子も捨てがたい。
「DROPJE」のオランダ菓子も捨てがたい。

水だし珈琲も秀逸ながら、まるで冷たくした煎茶のように落ち着いた味わいを感じます。

というわけで、この札幌の歴史の中で、またお店の歴史を形成しつつあるコーヒーショップ「寿珈琲」で起こっている出来事は、現在形の和テイストとしてのコーヒーへの探求ではないかな、と密かに思っています。もし、日本独自、特に北海道に根付いたネルドリップが深煎りにこだわらない姿勢を見せると、本来浅煎りが大好きなヨーロッパのコーヒーフリーク達が(ツアーで出会ったデンマークの奥様のように)日本の美味しいコーヒースタイルとして認知するかもしれません。もちろん深煎りもあり。ネルの可能性を多彩に追求することが、日本のコーヒーショップが魅力的な存在になるだろうし、かつて北海道のネル+深煎りを牽引した柴田さんが、さらに深煎りのみに囚われない実験を繰り返しているのはすごいな、と思います。

インバウンドの好きものたちが集まるのも、ここに日本文化のある種のヴァリエーションを発見するからではないでしょうか? ネルドリップは立派な日本文化になりつつあるのかもしれませんね。

■寿珈琲■

住所:札幌市中央区南2条東1 Ms2条横丁

電話番号:011-303-1450

営業時間、詳細は 公式Instagram にて確認ください。 

筆者ゆべーるが以前書いた、札幌に深煎りコーヒーが根付いたと思われる理由については、こちら。

地域クリエイター(札幌市)

通訳案内士(全国&札幌)、そしてライターや日本遺産炭鉄港、日本遺産候補小樽、サッポロコンシェルジュのガイドとして、いつも札幌市内の出来事やおすすめ情報を探しに歩いてます。最近、少し鉄気味。交通ネタや都市インフラに興味が行きつつあります。サイダー(シードル)大好き。ホルン(フランス式ピストン)とテナーホーン吹き。

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