タスティエーラを駆って、新ダービージョッキーとなったD・レーンと日本競馬の縁
初来日前のインタビュー
最初にダミアン・レーンをインタビューしたのは2017年のオーストラリアでの事。某競馬雑誌で紹介したそのインタビューは、次のような形で締めくくった。
(略)日本の競馬に対しては、自身のためにいつかは遠征したいと語る。(中略)いずれ来日することがありそうだ。皆さんもダミアン・レーンの名前は覚えておいた方が良いだろう。
覚えておいた方が良いも何も、現在、彼の名を知らない競馬ファンはいなくなっただろう。第90回の日本ダービー(GⅠ)を制したオーストラリア人騎手は、そんな存在となった。
レーンにとって、これが4回目の日本ダービー挑戦だった。19年には1番人気のサートゥルナーリアの鞍上を任されるも4着。翌20年にはサリオスを駆ってコントレイルの2着。今年はそのサリオスと同じ堀宣行調教師が管理するタスティエーラの手綱を取って、悲願のダービージョッキーとなった。乗り替わりでテン乗りジョッキーが日本ダービーを制すのは実に69年ぶりだったそうだが「そんな事は知らなかった」と、レース後、本人は苦笑して言った。
日本馬との縁
そもそも6年前のオーストラリアで、彼をインタビューする事になった経緯も、彼の日本競馬との縁を少なからず感じたからだった。当時かの地で騎手をしていた川上鉱介氏に取り持ってもらい、話を聞いた。
1994年2月6日生まれで、現在29歳の彼は、父のマイケルが調教師で、母のヴィッキーも元調教師というサラブレッド。「物心がついた時には馬に乗っていたし、10歳では牧場での調教に跨っていました」と語った。
15歳で見習い騎手になると、デビュー2週間目に初勝利。当時は高校生と見習い騎手の二足の草鞋を履いていたが「1年で高校を中退し、騎手一本に絞ると、徐々に乗り数が増え、比例して勝ち星も増えた」と言う。
13年にエドワードマニフォールS(GⅡ)で重賞初制覇を飾ると、翌14年にはクラークチャリティーC(GⅠ)をトラストインナゲストに乗って勝利。初GⅠ制覇もマークした。
「このレースは1位入線後に異議申し立てをされました。結果、それが却下されて正式に1着が決定し、ホッとしたのを覚えています」
ヴィクトリア地区を代表する調教師に見初められた事もあり、順調に成績を伸ばすと、17年の9月には日本から移籍したブレイブスマッシュに騎乗して、準重賞を勝利。同馬は約1カ月後に当時、芝の世界最高賞金レースだったジエヴェレストに出走したが、その鞍上にレーンはいなかった。
「同じ日に別の競馬場で行われていたトゥーラックS(GⅠ)への参戦を決めたからです」
そうやってチョイスしたのもまた、元日本馬のトーセンスターダムだった。そして、結果、レーンはこれを優勝。その後、エミレーツS(GⅠ)でもタッグを組み、同馬を2度目のGⅠ制覇へと導いてみせた。
「日本の競馬も、日本から遠征してきた馬も見ていて、速い時計に対応出来るレベルの高い馬が多いという印象を持っていました。実際に自分が乗ってみて、その印象に誤りがない事が分かったので、いつか日本で乗ってみたいです」
新たなるダービージョッキーの挑戦
そんな願いをかなえ、日本での短期免許を取得すると、その後の枚挙に暇のない活躍は周知の通り。19年にはリスグラシューとのコンビで宝塚記念(GⅠ)と有馬記念(GⅠ)の他、オーストラリア伝統のGⅠレースであるコックスプレート(GⅠ)も優勝。同馬を年度代表馬へといざなってみせた。
さて、新たなるダービージョッキーは、今週末、セリフォス(牡4歳、栗東・中内田充正厩舎)に騎乗して、安田記念(GⅠ)に臨む予定でいる。昨秋にはマイルチャンピオンシップ(GⅠ)を制したコンビが、今度は府中の杜で躍動するか?! 注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)