【富士宮市】歩きながら歴史発見!水戸黄門と助さんも歩いた?!西山本門寺周辺を散策
毎月楽しみにしている広報ふじのみやの『歩く博物館』。
4月号では西山本門寺の参道が紹介されていましたので、お花見もかねて西山地区を歩いてみることにしました。
この辺りは大規模な土地開発がなかったため、国指定大鹿窪遺跡をはじめ至る所に遺跡が残っていたり、発掘物が見つかったりしています。西山本門寺付近でも旧石器時代の小森遺跡が立地しています。
芝川スポーツ公園には広い駐車場があるので、こちらに車を止める事ができます。
最近新しい遊具が完成し、大人も楽しめる遊具もできました。
芝川スポーツ広場横を流れる芝川沿いの桜並木も、週末には満開になりそうです。
芝川に架かる橋を渡らずに、B&G海洋センターの横を北上していきます。
道沿いに教育委員会の『歩く博物館』の看板があったので立ち止まってみました。
小森の道祖神
看板にはこう記載されていました。
村野境目にあり悪霊や疫病を防ぐ神の道祖神は、この先の西山本門寺付近が神聖な場所と示すかのようでした。
先へ進むと左側の山奥へ続く1本の細い道がありました。
こちらも木々が繁る山の前に教育委員会の『歩く博物館』の看板が見えたので、寄ってみる事に…
小森八幡宮
看板にはこう記載がありました。森の中に続く道の真ん中には、小森八幡宮と思われる建物が見えます。
郷土史資料館で見た『ハナ』は、細く割った竹に色とりどりの折り紙で飾り付けたような形でしたが、社殿の中にはお花紙で作られた『ハナ』が飾られていました。
子どもの頃お花紙を使って花を作り、お祭りで町内を練り歩く御神輿を飾ったことを思い出しました。
小森八幡宮の『ハナ』も、神様へ感謝の気持ちを伝えるお飾りも意味でしょうか。
ところで気になったのが、看板にあった西山本門寺20世日実という記載。
西山本門寺20世は徳川光圀(水戸黄門)の子日圓上人で、徳川光圀の寄進を受けて伽藍を整えたと言われ、徳川光圀と助さんが西山本門寺を訪れ1か月ほど滞在していたという逸話を聞いたことがあります。
徳川光圀は江戸時代前期の常陸水戸藩の第2代藩主です。宝永は江戸中期の年号ですので、30世日実上人の直筆の棟札というのが正しそうです。
棟札とは神社などを建設した印の札のことで、宝暦10(1760)年に、小森八幡宮が西山本門寺の加護を受け建立されたのでしょう。
境内からは参道を歩きます。参道の脇には坊があった形跡を残す石楼や建ち、ご神木と呼んでも何らおかしくない立派な古木々が茂っています。
境内からは参道を歩きます。参道の脇には坊があった形跡を残す石楼や建ちいて、深呼吸をすると体の中の悪いものが清いものに入れ替わってくれるような気持ちになりました。れるような気持ちになりました。
4月3日時点では3分咲き程度だった黒門の前の大きな桜の木もそろそろ見頃を迎えていそうです。
歴史に思いを馳せるお花見も乙ですよ。
芝川スポーツ広場
場所:富士宮市西山858(西山本門寺黒門向かい)
西山本門寺
場所:富士宮市西山671