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ローマが動揺、選手倒れてセリエAの試合中止 再開はいつ、どのようにされる?

中村大晃カルチョ・ライター
2024年4月14日、セリエAウディネーゼ戦でのローマDFエンディカ(写真:ロイター/アフロ)

まずは、無事だったことを喜びたい。

4月14日に行われたセリエA第32節、ウディネーゼ対ローマの一戦で、ローマDFエヴァン・エンディカが試合中に体調の異変を訴えて倒れた。試合は中断後に途中中止となっている。

幸いにも、エンディカは命に別状ない様子。クラブがSNSに笑顔の選手の写真を投稿した。

中断・中止となった試合はどのように再開されるのか。イタリアのメディアが伝えたセリエAのルールなどをまとめる。

■ローマに何があったのか?

エンディカは後半71分、何度か胸をおさえてから座り込んだ。ボールから離れ、周囲に選手はおらず、接触がないところでの出来事だった。ただ、試合中の何回かの衝撃が影響した可能性も伝えられている。

10秒ほどプレーは続いたが、異変に気づいた主審やローマのダニエレ・デ・ロッシ監督らはすぐにスタッフの介入を要求。『Corriere dello Sport』紙によると、ドクターから心音を聞くために静かにするよう要請があり、ウーディネのスタジアムがこれに応えたという。

その後、観客から拍手が送られるなか、エンディカは運ばれながら退場。その際、親指を立てている。だが、動揺したローマ陣営は試合の中断を要請。デ・ロッシ監督が状態を確認するためにロッカールームに下がる。その後、両陣営と主審らが話し合い、83分に試合中止が決定した。

エンディカはスタジアムで心電図などの検査を受けてから病院に搬送され、複数の検査を受けた。チームは病院に駆けつけ、デ・ロッシ監督や主将ロレンツォ・ペッレグリーニらはエンディカと話すこともできたという。

『Corriere dello Sport』紙によれば、ローマの選手たちはペッレグリーニを筆頭に、「エンディカと一緒でなければ帰らない」と訴えていたようだ。必要なら病院の外で一晩中でも待つ覚悟を伝えたとのこと。だが、幸いにも命に別状がないと確認され、チームは夜にローマへと帰った。

■過去を想起、宿敵から激励も

繰り返すが、まずはエンディカに命の危険がないことが喜ばれる。イタリアサッカーは、この日と同じ4月14日に悲劇を経験した。12年前の2012年、試合中に倒れたリヴォルノのピエルマリオ・モロジーニが他界している。

試合中ではなかったが、2018年3月4日にフィオレンティーナのダヴィデ・アストーリが遠征先のホテルで急死したのも記憶に新しいだろう。アストーリが亡くなったのは、ウーディネでのウディネーゼ戦の前だった。

それだけに、エンディカが倒れたことも大きな心配を呼び、各方面から激励のメッセージが寄せられた。そこには、地元のライバルであるラツィオも含まれる。

■再開日程はELの結果待ち?

一方で、中止された試合はどうなるのだろうか。『La Gazzetta dello Sport』紙によると、1-1のスコアのまま、中断時点からの再開となる。

このとき、ピッチに立つのは中断時と同じ22人である必要はない。ただ、すでに出場して交代済みの選手、もともと出場停止だった選手を起用することはできない。レッドカードを出された選手も出場不可だが、今回は当てはまらない。なお、交代については、この日の試合で消化した分がカウントされ、再開時には残り分だけが許可される。

いつ試合が再開されるかは不明だ。セリエAのルールでは、可能なら24時間以内となっているが、『Sky Sport』などによれば、実現不可と見られている。4月18日(木)にミランとのヨーロッパリーグ(EL)準々決勝セカンドレグを控えるローマ陣営は、すでにウーディネから地元へ戻った。

さらに、ローマは4月22日(月)にセリエA第33節でボローニャと、27日(土)に第34節でナポリと対戦。この2試合の間に未消化分をこなすのも難しいだろう。

また、ローマがELでベスト4に勝ち進んだ場合、準決勝ファーストレグは5月2日(木)、セカンドレグは同9日(木)の開催。ファイナル進出なら決勝は5月22日(水)だ。これらの日程も埋まってしまう。

そのため、5月13日(月)からの平日開催が現実的かもしれない。ただ、ローマがELでベスト8敗退となれば、日程の空きは増える。だがもちろん、ローマ陣営はエンディカのためにもそうならないことを目指すだろう。ミランとのファーストレグは敵地で1-0と勝利している。

いずれにしても、再開日程は18日のEL準々決勝の結果が待たれることになりそうだ。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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