憧れの聖地・花園は3分間。U18合同チーム東西対抗戦、西軍のCTB伊藤武蔵。
平成31年1月7日、全国高校ラグビー大会ファイナルの前座試合として、今年もU18合同チーム東西対抗戦、通称「もうひとつの花園」が行われた。
通称「もうひとつの花園」とは、部員数が15人に満たない少人数校から選抜された高校ラガーによる対抗戦。
戦いの舞台は高校ラグビーの聖地、東大阪市花園ラグビー場。
少人数校の高校ラガーに、聖地・花園に立つ機会を――。そんな志のもとに2008年度から始まり、11回目を迎えた。
午後12時15分、日本全国から結集した東西25名ずつの高校ラガーの夢舞台が、キックオフを迎えた。
すると前半3分だった。
青いジャージーの西軍選手がピッチにうずくまった。西軍の12番だ。
愛媛・東予高校3年のCTB(センター)伊藤武蔵だった。伊藤は担架でピッチ外へ運ばれていった。
愛媛からやってきて3分で負傷交代は悔しいだろう。記録は前半4分の負傷交代だ。
伊藤はそれからピッチサイドで試合を眺めた。伊藤が所属した西軍は、26-12で3年ぶりに東軍に勝利。
試合後、負傷交代した伊藤に話を聞いた。彼はロッカールーム前の通路で、ひとり治療を待っていた。
中学時代はバスケットボール部。
ラグビーに転向したきっかけは、U18合同チーム東西対抗戦「もうひとつの花園」の話を耳にしたからだった。
「親戚のおじさんが東予高校ラグビー部のOBでした。そのおじさんが、西日本の代表で(U18合同チーム東西対抗に)出たことがあって。その話を聞いて、自分も『出たいな』と思いました」
「もうひとつの花園」に憧れ、ラグビーを始めたのだという。
そして高校3年時、見事に西軍代表の座を掴んだ。しかし昨年9月、左膝にケガを負ってしまう。
「前十字靱帯損傷です。花園予選のシードを決める試合で、合同チームのセンターで出ていました」
1月7日の大舞台まで約4か月。診察した医師は言った。
「『出ないほうがいい』と言われました。でも僕は『出たいです』と」
この試合のためにラグビーへ転向したから、想いは強かった。
伊藤は2か月間休養したのち、本番1か月前から軽い運動を開始。
同期部員は引退しているため、下級生にまじり練習を重ねた。
試合回避が賢明な判断だっただろう。
結果として、前半3分で左膝をふたたび負傷したのだ。
ラグビーが人生を変えてくれたのだという。中学時代は荒れていた。
「ラグビーを始めて、人生が……変わりました。中学のときは、悪かったというか。そんなんはもう止めようと、部活に専念するようになりました。いろんな人から『変わったね』と言われます」
なぜ変わることができたのか。
当人はその理由をはっきり自覚している。
「U18(チーム合同東西対抗戦)の西日本に行く、という目標があったからです」
そして2019年1月7日、ラグビーW杯2019日本大会へ向けて改修された新生・花園ラグビー場の第1グラウンドに、伊藤は立った。
観客席には愛媛からフェリーでやってきた両親がいた。
「高校生のトップがやる舞台に立って、緊張しました。こんなところに立てたんだなあ……と思いました」
ラグビーがくれたものについて、伊藤は「目標を持って、目標に達するように努力することです」と答えた。
3分間だったが、花園の芝は踏みしめた。1月7日、伊藤は目標に到達した。
試合回避が賢明だった。回避すべきだったのだろうと思う。
しかし同時に、一度きりの花園出場に懸けた彼の挑戦に、かけがえのない尊さを感じてしまう。
伊藤に今後の進路について尋ねた。
「手術したあと、自衛隊を受けようと思っています。自衛隊でラグビーがある場所に行けたら、そこでラグビーをやりたいです」
今後もラグビーを続けたいという。救われた思いがした。