地域の国際交流 老人ホームや図書館にある「言語喫茶」とは ノルウェーから
「ランゲージカフェ」、ノルウェー語で「スプローク・カフェ」という「言語喫茶」が、全国各地で広まっている。
通常は利用料金はかからず、地域に住むノルウェー人がボランティアとして参加し、言葉を学びたい外国人とおしゃべりをして交流する。
10年前、私はオスロ大学のノルウェー語クラスに通っていたので、言語喫茶の存在は知らなかった。
お金を払って通う語学学校とは違う。
- 「お金を払う授業形式は敷居が高すぎる」
- 「友達が作りたい」
- 「文法を詳しく教えることは苦手だけれど、気軽におしゃべりするだけならいいよ」
- 「退職して時間があるので、地域貢献のために、何かしたい」
- 「移民や難民が、地域に溶け込めるように、手助けしたい」
そういう人々が集まる。
あまりにも数が多いため、全国規模でどれほどの言語喫茶があるのか調べることは不可能だ。首都オスロだけでも、言語喫茶は毎日どこかで開かれている。
第二の規模の街、世界遺産ブリッゲンでも知られるベルゲンの公立図書館を、土曜日の昼間に訪れた。
そこでは、スペイン語、英語などを学びたいノルウェー人と、ノルウェー語を学びたい外国人が交流する。
日本の図書館はシーンとしていて静かだが、ノルウェーでは図書館は地域の人々のにぎやかな交流の場となっている。
私はフランスに留学していたことがあったので、フランス語とノルウェー語のテーブルにお邪魔して、一緒にゲームをした。
ノルウェー人のファニー・ファスメールさん 「言語喫茶には毎週来ていて、2か月通い続けています。忘れていたフランス語を思い出せるから便利。発音の勉強にもなる」。
「ここにはもう1年も通っています。ノルウェー語は難しい」と話すのは、フランス語を話すリトアニア人のパウイロニスさん。
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首都オスロへ移動しよう。
サーゲネ地区では、カフェが日曜日にスペースを貸し出して、言語喫茶が行われていた。
市民援助団体でボランティアとして働く大学生たちが、ノルウェー語の会話相手となり、外国人が訪れる。
この日は、定番のおやつであるソーセージをコーヒーと一緒に味わいながら、おしゃべりしていた。
「ノルウェーの人は英語が得意だけど、現地の人とは現地の言葉で話すことが大事」とベトナム人のファンさん。
「言語喫茶は、まるでセラピーのような効果がある。ノルウェー社会はちょっと閉じている部分もあるから、こういう機会があると、知り合いを作りやすい」とリバノン出身のエブラヘイムさん。
「毎日」言語喫茶を渡り歩く人も
ボスニア出身のボヤナさんは、「毎日」オスロのどこかの言語喫茶を訪問しているというので、私は驚いた。
しかも、ノルウェーに来てまだ4週間らしいが、簡単な日常会話をノルウェー語ですでにできている。言語喫茶をおおいに利用しているようだ。
「飲食費は、私たち団体が市民からの寄付を得て、負担しています。ノルウェー語で話したいという人は多いのですが、無料ボランティアをしてもいいというノルウェー人が少ないのが、課題ですね」とオスロ大学で社会学を専攻するマーリンさんは話す。
この言語喫茶は以前は難民のためにオープンしたが、今は難民ではない移民もくる。日本人も来るそうだ。
おしゃべりの最中、近所に住んでいるおじいちゃんがふらりと立ち寄り、「おぉ、ノルウェー語を勉強しているのかい。感心だ」とほほ笑んだ。
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オスロにあるブーレル地区。
老人ホームに住む高齢者たちが、1階のホールに集まっていた。地下には、地域主催のボランティアセンターがあり、その一室が言語喫茶となっていた。
年金生活をしているノルウェー人女性たちが、移民女性と交流する。
なぜ、このカフェでは参加者を「女性」と限定しているのだろう?
「特定の宗教では、男性たちは妻がほかの男性と交流することを嫌がります。家庭の中で専業主婦としていがちな彼女たちが、言語を学びやすくするためです」。
「女性限定と聞くと、男性たちは安心するので。ノルウェーでは望ましい形ではないけれど、しかたがない」とスタッフは話す。
難民は自治体による特別な制度でノルウェー語を学ぶため、ここに来るのは移民が多いそうだ。
「夫は、子どもを幼稚園にいれたがらなくて」という相談に乗ったり、ノルウェーではなぜ税金を払うのか、なぜ憲法記念日は大事な日なのかを話し合う。
言語だけではなく、社会のルールを学ぶ。
インド出身のルパリさんは、「ここに来ると、言葉を正しく直してもらえるので、助かります」と語った。
母親が勉強に集中しやすいように、ノルウェー人の若いスタッフが廊下で彼女たちの子どもの面倒を見ていた。まるで、託児所のようだった。
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いくつかの言語喫茶を訪れていて驚いたことがある。図書館や老人ホーム、カフェなど、地域の人々が普段いる場所で言語喫茶が行われていたことだ。
高齢者がいる場所に、ノルウェー語の勉強に熱心な移民がいる。
それが当たり前の光景として浸透していることに、私はなんだか、ほんわかと心が温まる思いを抱いたのだった。
Photo&Text: Asaki Abumi