WBOスーパーライト級タイトルマッチ
試合終了から判定が告げられるまでに、思いのほか時間が掛かった。 6,206人を集めたアリーナに、「まだか…」というムードが漂う。
数分後にリングアナウンサーが、「117-111」という結果を述べると、驚きの声が響く。ただ、その後、2名のジャッジが115-113と採点していたことが分かると、場内のざわめきは収まった。
WBOスーパーライト級チャンピオンのテオフィモ・ロペスにジャメイン・オルティスが挑んだ一戦は、前半、挑戦者のディフェンスが光った。時にスイッチしながら、自分の距離を保つ。足が速く、チャンピオンの攻撃を捌く。
目が良く、フットワークでロペスを空転させ、背後を取るシーンが何度も見られた。第4ラウンド、業を煮やしたチャンピオンは敢えてコーナーを背負い、「打ってこい!」とアピール。そのシーンに、ミケロブ・ウルトラ・アリーナ(旧マンダレイ・イベント・センター)は沸いた。
足を使ってリングをコントロールしながら、カウンターを狙う策だったオルティスだが、攻めなければ勝利には結びつかない。7ランドあたりから王者の右をもらい、劣勢となっていく。左目の上をカットしたことも、原因となったか。
フットワークを駆使し、相手のパンチをもらわないーー。それのみでは勝てない事は、過去に同じ会場でオスカー・デラホーヤが示していた。
1999年9月18日、超満員となった同じ会場で、WBCウエルター級王者だったゴールデンボーイと、IBF同級チャンピオンだったフェリックス・トリニダードとの統一戦が行われた。両者ともに全勝街道を走っており『Fight of the Millennium』と名付けられたメガ・ファイトが実現。しかし、世紀の一戦、千年に一度の戦い、という派手なキャッチコピーに相応しいほどの試合にはならなかった。
9回までにポイントを稼いだと確信したデラホーヤは、最後の3ラウンドを流し、僅差の判定で敗れる。同じ年の無敗王者ながら、ファイトマネーがデラホーヤの半分と水を空けられたトリニダードは、最後まで獲物を追い、この試合に勝利することで、正真正銘のスーパースターとなる。
世界中が注目した一戦に、トリニダードは「Paz Para Vieques(ヴィエケス島に平和を)!!」と書かれたプラカードを側近に持たせてリングに登場した。
アメリカ合衆国自由連合州という微妙な立場に置かれるプエルトリカンは、まぎれもないマイノリティーである。当時、米海軍によるコソボ空爆演習が、プエルトリコの離島、ヴィエケス島で繰り返されていた。劣化ウラン弾を用い、島民の生活を脅かしていた。爆弾に当たって命を落とした人も出た。
トリニダードは他の著名プエルトリカンと共に、『ニューヨークタイムズ』に意見広告を掲載するなど、積極的な動きを見せた。
「故郷を守るチャンピオンの意地が、ゴールデンボーイを下した。そこが実力伯仲の両者の差を生んだ」。1999年9月、私は記者席で取材ノートにそんなメモを記した。
マサチューセッツ州ウースター生まれのオルティスはアメリカンだが、プエルトリコにルーツを持っている。ロペス戦でもセコンドがプエルトリコ国旗を掲げてリングインした。そのシーンは、どこかトリニダードを彷彿とさせたものの、大一番に挑む覚悟が違った。
防衛を果たしたロペスは、試合後のインタビューで涙を見せた。安堵の表情で、次のように話した。
「ファンのためにベストを尽くした。打ち合いたかったがオルティスは乗って来なかった。栄光を手にしている俺とは、誰も戦いたがらない。キャッチウエイトでテレンス・クロフォードとやりたい。俺はここにいる。いつでもOKだ。自分は25歳と若く、美しく、2度の統一チャンピオンとなった男だ」
リングを降りるオルティスにはブーイングが浴びせられた。彼は敗北から、何を学んだか。