「アフリカ料理どうぞ」 能登の被災地で外国人たちが炊き出しボランティアに励んだ複雑で切実な事情
能登半島地震の被災地である石川県穴水町で6日、アフリカや南米、中央アジア出身の外国人たち10人が炊き出しのボランティアに励んだ。
「ボランティアしたい」仮放免者の思いから
留学や就労目的、あるいは難民認定を求めて日本にやって来たが、在留資格を失い名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)に収容された経験のある人たちだ。
現在は一時的に施設の外で生活できる「仮放免」の身分となっている。ただし、仮放免者は働くことも、入管の許可なく県外に出ることもできない。
そうした仮放免者らを、愛知県津島市の眞野明美さんが支援している。眞野さんは3年前、名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんを自宅兼シェアハウスで受け入れるつもりだった。ウィシュマさんは仮放免が認められないまま入管施設内で衰弱して亡くなり、希望は叶えられなかったが、眞野さんは今も自宅にウィシュマさんの遺影を飾りながら、行き場のない仮放免者を数人受け入れている。
そのうちの一人であるウガンダ人のウィリアムスさんが能登半島地震後、「能登にボランティアに行きたい。仮放免者は働けないけれどボランティアはできる。他の仲間も誘える」と提案した。
しかし、今回は日本人でもボランティアの「自粛」が呼び掛けられ、現地の警備の厳しさや警戒心の強さも伝わってきた。眞野さんは時機が来るのを待つことにした。
名古屋入管の許可得て愛知から石川へ
4月に入り、GW中に被災地でボランティア向けの炊き出し、つまり「ボランティアのボランティア」を募集していることが分かった。これならウィリアムスさんたちにもできるかもしれない。眞野さんは現地の受け入れ状況を確認した上で、名古屋入管にウィリアムスさんたちの移動を認めるよう求めた。普段は情報提供などを巡って対立することも多い入管だが、今回はあっさり許可が出た。
「正直ダメかもと思ったけれど、1月からボランティアの件は予告はしていたし、活動の内容からも入管の判断としてはスムーズでした」と眞野さんは明かす。
次の問題はお金だった。現地では調理器具は貸してもらえるが、食材はすべて持ち込み。昼・夜の150人分の食材を調達し、10人乗りのマイクロバスで愛知県から石川県までを往復するための費用は、募金で集めることにした。
アフリカや南米、中央アジア出身者も
バスにはウィリアムスさんを含めたウガンダ人6人、コンゴ人1人、ブラジル人1人、ウズベキスタン人1人、そして眞野さんの計10人が乗り込んだ。それぞれ料理の腕や運転の腕に自信があるという。
一行は5日昼に愛知県津島市を出発。夕方に石川県穴水町に到着し、受け入れ窓口で「ピカリン」の愛称がある東哲也さんと合流した。東さんは震災後、地元で支援団体を立ち上げたり、石川県のボランティアベースキャンプの管理人を務めたりしている。
炊き出し会場は町の中心商店街の一角にある呉服店前の広場。ここでGW中はさまざまな団体や個人が毎日交代でボランティア向けの炊き出しをしてきた。この日は数人の日本人ボランティアも料理や配食を手伝ってくれることになった。
早朝から準備も昼ギリギリにカレー完成
準備は6日午前6時頃から始めたが、いざやってみると料理したいものと食材や調理道具などがそろわない。屋外での調理のため、消防法の規制でガスコンロなどの火気器具も使える数に限りがあるという。慌てて食材を買い足したり、道具や器具を使い回したりしているうちに、どんどん時間が経ってしまう。
天候も前日までの好天から一転し、曇り空で時折小雨や突風に見舞われた。配食スタート予定の午前11時半に向けて「もうちょっと急ごうか」「そっちは後回しにしよう」などの声が飛び交う中、なんとか時間ギリギリにウガンダカレーが出来上がった。
若いボランティアも興味津々で会話が弾む
食事をとりに来たのは主に穴水町社会福祉協議会の災害ボランティアセンターを通して活動しているボランティア。食事は原則自己調達のため、昼に菓子パンをかじって午後の活動に出ていくような姿があり、継続的にボランティアに来てもらうためには「ボランティアのための炊き出し」も必要だと東さんたちが考えたという。
時間になると、実際に食べ盛りの若いボランティアがヘルメットやビブス姿で続々とやってきた。
「今日はアフリカ料理なんですよ」と丼を渡されると「へえー、すごい!」「何が入ってるんですか?」と興味津々になって会話も弾む。「おいしい」「思ったより辛くない」などと味わいながら、おかわりをするボランティアもいた。
「サムサ」や「プロフ」などの料理が次々に
こうした反応を見ながら、料理の手も進む。
ウガンダ人女性のジェメオさんが作ったのは、ひき肉などを丸めた具を小麦粉の皮に包んで油で揚げる「サムサ」という料理。揚げ餃子のようにカリッとした皮と、内側のもっちりした具とのバランスが絶妙な一品だった。
ウズベキスタン人のアシュロフさんは母国の炊き込みご飯「プロフ」作りを担当した。本来は羊の肉を使うところを鶏肉で代用し、玉ねぎの炒め具合や味付けにこだわった。
その分、時間がかかってしまったので最初の頃に来たボランティアには提供できなかったが、スタッフや地元の人にはたっぷり食べてもらっていた。
交流楽しむも被災地の現状「悲しかった」
連休最終日で天候も悪い予報だったので、訪れたボランティアは見込みより少なかったようだ。夜に作る予定だった分もすべて作り切り、午後1時過ぎにはボランティア向けの炊き出しが終了した。
コンゴ民主共和国出身のアデバさんは「楽しかった。ボランティアには来たかったけれど、なかなか遠くに行けなかったから」と笑顔を見せた。
アデバさんは内戦の混乱が続く母国から逃れて日本にたどり着いたが、1度目の難民申請が認められず、2度目の申請の結果待ちだ。
昨年成立した改正入管難民法が来月10日に施行されると、難民申請が3回以上になると強制送還の対象となってしまう。アデバさんはさまざまな状況下で難民が発生するアフリカの事情をよく知ってほしいと訴える。
そうした中で能登の被災地を訪れた外国人たち。穴水町は輪島市や珠洲市に比べると復旧が進んでいる地域だが、まだ倒壊したままの家屋やひび割れした道路があちこちに残る。
「初めて見た。すごい悲しかった。こんなことがあったら、日本に住んでるウガンダ人として助けてあげたい」。ウィリアムスさんはそうした思いをあらためて胸に刻んだ様子で、被災地を後にした。