Yahoo!ニュース

ぜんぶ役所が決めていいの? 秘密保護法案と生活保護法改正法案の共通点

大西連認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい 理事長

一昨日(11月26日)、「秘密保護法案」が衆議院で可決され、参議院での審議が始まりました。この「秘密保護法案」とは、政府がオープンにしたくない外交や安全保障などの情報を「特定秘密」に指定し、それを漏らした公務員らの罰則規定を強める法案だそうです。

ここまで聞くと、まあ必要な法律じゃない?と思う人が多いかもしれません。数日前まで僕もそんな感じでした。

しかし、友人で作家の星野智幸さんのブログを読んで、何かすごく大きなことが起こっているな、と。

いろいろ調べてみたら怪しい条文もちらほら。

今国会では「生活保護法改正法案」をはじめ、この国の「在り方」に大きな影響を与える法案が、与党による強行採決にて可決されようとしています。

これらの法案には共通のキーワードがあります。制度や法律の「運用の基準/ルール」を誰が決めるのかということです。

それは、安倍総理でしょうか、国会でしょうか、私たちでしょうか・・・いえ、残念ながら、実際は役所です。

三段オチみたいになりましたが、以下にその理由を説明します。

少し立ち止まって考えてみたいと思います。

「秘密保護法案」は何でまずいの?

「秘密保護法案」の問題点については日弁連のHPに分かりやすくまとめられています。

ちなみに条文全文はこちらで見ることができます。 

法案自体の解説は他のさまざまな論者の方がおこなっていると思うので、僕からは一点。

「運用の基準」は法律が通ってから決める

「秘密保護法」の18条を見ると、

第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。

2 政府は、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を聴かなければならない。

と書かれています。

これは、ざっくり言うと、

  • 何が「秘密」かなどの「運用の基準」をこれから決める。
  • 「運用の基準」を決める時は、学者や専門家などの意見を聴く。

という意味です。

現在、この「秘密」の範囲や、その「運用の基準」についてが一つの争点となっています。

しかし、その肝心な「運用の基準」の具体的な内容はまだ決まっていません。

国会で「運用の基準」を決めればいいのに

法案の内容に懸念を感じている人は、その「運用の基準」が気になっています。しかし、国会の場では、その具体的な「運用の基準」を決めないまま、法律だけを通してしまう。

これって、制度(法案)の根幹である「運用の基準」を、国会(立法機関)で議論し決定するのではなく、政府(行政機関)が決めていくということです。もちろん、行政機関の長は大臣をはじめ与党の国会議員の人たちが大半です。しかし結果的に、実際の細かい内容をつめていくのは官僚たちです。

私たちは選挙で官僚を選んでいるわけではないのですが、制度の根幹の「運用の基準」は実質、彼らが作成することになります。そして、この法律にはそういった「運用」に関してのチェック機能や体制については記載されていません。

国会(立法)の機能って政府及び官僚機構(行政)の行きすぎを防ぐ役割もあると、昔どこかで習った気がするのですが、今は変わってしまったのではないかと思うくらい、雑な法案だと思います。

専門外なので適当な言い方かもしれませんが、「秘密保護法案」の審議過程で明らかになった、「運用の基準」などを先送りにして可決していく、という方法は、唯一の立法機関である国会の骨抜きであり、政府や官僚機構など行政機関の肥大化を招く気がします。

ちょっとまずくないですか。

学者や専門家の話は「聴く」だけ?

また、条文をみると18条の2項(上述)に、「運用の基準」を作るにあたって、学者や専門家の意見を聴く、としています。

しかし、そこで出た意見を反映させなければならないとは書いていません。聴いて終わりということも可能ですし、そもそも誰に意見を聴くかは政府が決めることができます。

もちろん、今後どういった議論の仕方で「運用の基準」を作っていくのかはわかりません。

でも、野党の推薦する識者をメンバーに入れたりとか、法案に反対している人を加えて議論するとか、そういうことはあまりしなそうな気もします。

もし、学者や専門家の話を「聴く」だけだったら、何ともお手盛り感が満載になってしまいますよね。

「秘密保護法案」と「生活保護法改正法案」の共通点

このように「秘密保護法案」は、このまま行くと、国会では「運用の基準」について決めないまま可決。

その後、官僚が具体的な内容を作成し、学者や専門家の話を聴いて、政府として導入していくことになりそうです。

こういった「あとは運用で」っていう法律の作り方は、もしかしたら最近のトレンドなのかもしれません。(もともとこういうものなのかもしれませんが)

すでに参院で可決し、来週にも衆院で審議が始まる「生活保護法改正法案」でも同じようなことが起きています。

以前、「生活保護法改正法案を成立させてはいけない理由」に書きましたが、こちらでも「申請手続きの変更」「扶養義務の強化」などの項目では、それぞれ条文に「別途厚生労働省令で定める」などの文言が出てきます。

これは「運用のルールはあとで定めます」という意味です。そして、そのルールを作るのは厚労省です。

国会答弁などでは、「どういった厚生労働省令になるのか」という野党議員の質問に対しては、「これから検討」「あやまった運用がないように指導等おこなっていく」という説明に終始していました。

実際に、窓口の現場など、制度の運用の場面では、そういった「基準」や「ガイドライン」を何らかの形で決めていかないと対応ができません。

しかし、その「運用の基準」や「ガイドライン」等は、官僚や政府が一方的に決めるのではなく、国会での議論のなかで深めたり、当事者や賛成・反対双方の専門家など、多様なメンバーが参加する委員会を開いたりと、より「見える」形で議論がおこなわれていくような場を用意する必要があります。

議席数は無条件の信任ではないはずだけど。。

貧困問題に取り組んでいると、ホームレス排除の現場に出くわしたり、生活保護の「水際作戦」を目の当たりにしたりと、正直、国や自治体などの行政機関を、無条件に信頼することができなくなってしまいます。

どのような形で制度の「運用の基準」を作っていくのか、また実際にそれにのっとってきちんと「運用」していくのか。誰がそれをチェックしていくのか、実際にチェックされているのか。

そういったことが余りにも不透明なままでは、むしろ「リスク」のほうが大きくなってしまうのは当然です。

今のままでは、実際の運用は、一部の議員と官僚まかせの、無責任な法律になってしまいかねません。

運用まかせの不透明な法律はやめよう

僕はこの問題について今まであまりフォローしていないし、法律の専門家でもありません。

ここで書いたことは、もしかしたら的外れな部分もあるかもしれません。

しかし、このまま「秘密保護法」が成立すると、「運用の基準」は、政府&官僚まかせの都合のいいものにされてしまう可能性があります。また、国会が「議論の場」でなく「承認の場」になっていることも問題です。僕はこの法案自体にも、決め方自体にも反対です。

このまま進めてしまっていいのでしょうか。

立ち止まって、もう一度考える必要があります。

認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい 理事長

1987年東京生まれ。認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長。新宿での炊き出し・夜回りなどのホームレス支援活動から始まり、主に生活困窮された方への相談支援に携わっています。また、生活保護や社会保障削減などの問題について、現場からの声を発信したり、政策提言しています。主著に『すぐそばにある貧困」』(2015年ポプラ社)。

大西連の最近の記事