【JAZZ】追悼・菊地雅章2001年インタビューから「やり残したという気持ちで死にたくない」
2015年7月7日に逝去した菊地雅章さんを追悼する意味で、2001年に行なったインタビュー取材の音源を改めて文字に起こして編集したものをアップします。
ご冥福をお祈りします。
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ーー昨日のライヴ、拝見させていただきました(2001年松戸での菊地雅章トリオ)。
あ、いらしてたの。このトリオ、どんどん良くなってますよ。若いからかなと思うんでけど、日々に成長してくるのがよくわかるんですね。これは楽しいなぁ、と。
ーー『オン・ザ・ムーヴ』(2001年7月リリース)は菊地さんの“初の日本人トリオ”ということで話題になっています。これまでは日本人を避けていたのかと……。
いや、そうじゃなくて(笑)。合奏能力の問題なんですよね。演奏能力と合奏能力の問題で、日本人では僕の考えているようなグルーヴがなかなか出てこない。ようやくこれだったら出てくるんじゃないかというトリオを組めた気がするんで、これから少し、これで進めていこうかなという気になっただけなんですよ。
ーー若手というところにポイントが?
っていうか、日本人の場合、リピートをやってもシラけるっていうのかなぁ。シロくなっちゃうんですよ。結局、タイムの感じ方とか、演奏能力っていうのか、だから、ピアノでスウィングをリードしなければならなくなって、それってけっこうくたびれるんですよ。それが自然体で弾けてスウィングする人とやれば、僕にとってはすごいラクというか、自然なワケでしょ。それがこのトリオだとたぶん、かなりいいところまでいくんじゃないか、と。
ーー演奏能力の基準はなんでしょう?
やっぱりリズムの感じ方じゃないでしょうかね……。
ーーということは、菊地さんのなかにもっているリズムが、それまで日本人がもっているリズムとは違うということですか?
いや、そうじゃなくて……。僕の力によってスウィングしない人をスウィングさせるというのはたいへんな労力、エネルギーを要するわけでしょ? それはずいぶん経験していることなんだけど(笑)。だから、自然体でスウィングできるっていう人を求めたいということだけなんですよ。というのも、僕自身、いままで良いベースと良いドラムとやっているし、だから、だいたいグルーヴするにはなにが必要かというのが、ある程度、自分じゃわかっているつもりだから、それに近いというか、それができそうな人が最近の日本で増えて欲しいし、若い人に増えてきたかな、と。
ーーステージやスタジオで一緒に演奏することで、菊地さんから若手の人たちになにを“伝えよう”としているんですか?
いや……、それはないですね。僕は僕が気持ちよくやれればいいんで。だから、“若手を育てよう”なんて気持ちはあんまりないし(笑)。育つのは相手だからね、俺じゃないんだから(笑)。だから、そういうことはあんまり考えないですよ。演奏するときはイーヴンだし、俺だって手探り、死ぬまで手探り状態だろうしね。
ーー菊地さんご自身の、彼らと同年代のころを想い出したり比べたりすることはありませんか?
忘れましたね、ずいぶん昔だし(笑)。自分がどういうふうにスウィングしようとしてきたかもよく覚えていないしね。まあ、感触の問題でしょう。それはあんまり記憶には残らないものだからね。ただ、いま感じていることでこうじゃなくちゃいけないんじゃないかという、感覚的な、ゴールというのを自分で描いているわけだけど、それに近いところに一緒に行ける人、そういう人と一緒に演奏したい、ということかな。
ーーゴールというのはスタイル、美学みたいなものですか?
自分が自分のなかで聞こえてくる音楽を具現化させることというか……。具現化できないことがハッキリすれば、僕もエネルギーのロス、時間のロスになるからやらないんだけど、それに近いものができそうだなという感触があれば、万難排しても続けたくなっちゃうわけでしょ。そんなことやろうするんだから、儲からないはずなんだよね(笑)。
ーージャズとコマーシャルな音楽は相容れないというか、容れさせてはいけないということですか?
いや、結果的にならお金が入ってくるのはかまわないんだけど、僕の性格からして、なんというかな、音楽をやっているときに、演奏しているときに、自分に合っている感じが得られれば、それを続けていくし、逆に「1千万円やるから」と言われても、できないものはできないからね。そこで向こうの要求に合わせて「これでマトメましょう」ということもやれないことはないんだろうけど、そんなことやってもなんの意味もないだろうし。まあ、お金が入るのは良いことだけど(笑)。でも、僕がこのあと、健康を保ったとして、これからジャズに夢中になってやれるのもせいぜい15年でしょ、体力的なことを考えるとね。20年できたら大したもんじゃないかな。うまくいって15年。なんて言うかなぁ……、やり残したという気持ちでは死にたくない。その前に、できるだけ自分がやりたいことをやり尽くしたい、と。でもね、結局、なにかがうまくいっても、そのあとからまた「だったらこれもやりたい」というのが出てくるんだろうけどね(笑)。無限にそれを繰り返すのが人生なのかな。
“声”が出るのはたぶんテニスと同じ原理
ーーステージを拝見していると、ピアノの前で頭を下げて、なにかを待っているように見えたのですが。
いや、たぶん聴いているんでしょう。待っているんじゃなくて……。
ーーほかの2人の出す音を?
自分の頭のなかになにが聞こえてくるのかを聴いているというのかな。結局はほかの2人のやっているのを聴きながら、なにが聞こえてくるのか……。“聞こえてくる”というのは、それは僕の演奏スタイルっていうことなんだけどね。
ーー演奏中に声を出してますが。
これはね、どうしようもないんですよ。
ーー菊地さんに聞こえる音楽にシンクロしているということですか?
いや、自分の声は自分じゃ聞こえてないんですよ。自分の声が聞こえているときはダメですよね。演奏は良くないとき。冷めちゃっているから自分の声を意識しちゃう。だから、演奏が良いときはぜんぜん声が自分では聞こえてないんですよ。つまり、声を意識していないときは、良い音楽になっているというわけ。
でもね、この声のおかげで、僕はずいぶん仕事を損しているんですよ(笑)。だからね、直せればいいんだろうけど、でもスポーツでも、テニスなんかのウィリアムズ・シスターズなんか、オトコでも若い奴ら、すごい声を出してますよね。あれ、やっぱり一瞬、“気を溜める”わけですよ。そうするとああなるんじゃないかと思う。過去のピアニストを見てても、デュークはそんなに大きな声ではないけど「あー」とか言ってるでしょ。バド・パウエルもそうだし。ハービー・ハンコックも一時はひどかったですよね。あと……。
ーーキース・ジャレットが有名ですよね。
キースはね、ピッチを付けようとしているんじゃないかな。あの人は意識的じゃないかと思うなぁ。彼とは話をしたことがないからわかんないけどね。まあ、とにかく、自分の場合はしょうがないと思っているんですよ。これで仕事に影響したとしてもそれが自分のスタイルなんだからしょうがないと思うしかないよね(笑)。
ーー“呼吸”に関係しているんですか?
もちろん。だから呼吸をね、本当は呼吸を続けられればいいんだけど、結局はパッと頭にひらめいたときに、それを音として出そうとするときに、当然、息を止めて“気を溜める”ようにするわけですよ。そうするとその結果、声が出てしまうわけ。本当はそのあいだも呼吸しているのが理想かもしれないけれど、止めちゃうから声が出る。再現音楽なら呼吸についてもコントロールが可能ですよね。譜面がある曲を練習して、指に覚えさせて、それを呼吸しながら出していくという方法ならね。でも、グールドなんかもけっこう声を出すでしょ。あの人はメロディも歌っちゃうからね(笑)。だから、キースはむしろ、グールドに近いんじゃないかなぁ。俺はどっちかっつーと、ハービーとかバド・バウエルかな。ちょっと違うんじゃないかと感じているんだけど。まあ、人がどういうふうにして声を出しちゃっているのかはわからないからね。もっと悪いのは、自分では聞こえてないということ。でもね、“気を溜める”と首のあたりに力が入るのがわかるんですよね。これって、直せるのかなぁ(笑)。
どっちにしても、カクテル・ミュージックの仕事はできないよねぇ(笑)。ニューヨークに、いまはないけど、ユニヴァーシティ・プレイスのクラブ、最近締まっちゃったんだけど、ブラッドレーとかね。僕が行ってすぐに、当時はデュオしかやってなかったんだけど、それっきり仕事が来ないんですよ。特にそういう場所って、食事を出すからね。オヤジは俺のことを気に入ったみたいだったんだけど、共同経営者がまったく音楽を知らない人だったから。まあ自分でもね、それは理解できますよ。「あ〜」とか声を出すピアニストが目の前にいたら、メシ食うのはねぇ……(笑)。ただ、声を出すことに関して僕は、ムコウの人に言われたことはないんだけどね。逆に、セクシーだと言われたことはあるけど(笑)。ミュージシャンにも「なんとかしたほうがいいよ」って言われたことはない。仕事の場が限られるというのは事実だけど、どっちにしても僕の場合はショービズというかエンタテインメントなピアノじゃないからかまわないんだけど。ただ、収入が減るのは事実(笑)。
ーーギル・エヴァンスも菊地さんも、お互いに“自分の音楽は泣きの音楽だから金にならない”という意味の発言をされていたのを読んだことがありますが、“泣き”と“声”とは関係ありますか?
それは関係ないな(笑)。当然、泣きのメロディを弾くときは、“気を溜める”から声が出ちゃうんだけどね。それに集中してショート・フォーカス状態になるんだよね。だから、息を止めちゃうんだろうね。
ーーピアノという楽器の構造上、呼吸とは関係がないというのが一般論ですが。
いや〜、それは違うでしょ。ピアニストも息をしているんだからね(笑)。
ジャズで重要なのはユーティリティとスピリチュアルのバランス
ーー共演者に求める資質って、どんなものなのでしょう?
エネルギーももちろん必要だけど、いちばん大事なのは、音が生きてるか死んでるかだからね、一緒に演奏するときももちろんね。たとえば、正しい音を弾いて、きちんと弾いたからといっても、まあそういう場合のほうが多いんだけど、音って、死ぬんですよね。ところが逆に、演奏家としてはパーフェクトに近づける。だから僕は、ヴァーチュオーゾの存在というか、ヴァーチュオーゾの否定論者なんです。
たとえば音数をたくさん出せる、速く弾くということもそういうことなんだけど、なんというかな、音楽には結局、ピュアに音楽か、そうじゃなくてもうひとつ、サヴァイヴァルな面があるわけでしょ、音楽家としての。たとえばヴァーチュオーゾになるとかミュージシャン側が力を持つとかね。そういうのは音楽と関係ない、いわゆるサヴァイヴァルの問題で、そっちのほうに重点がいっちゃうと、音楽というのは堕落していくと思うんですよ、やっぱり。堕落していくというか、音楽としての強さというのがなくなっちゃっていくというか……。
僕の尊敬していた作曲家がいて、その人はやっぱり社会におけるアーティストとしての権力みたいなものを指向しちゃって、それが結局、僕が言っているサヴァイヴァルの問題なんだけど、そうすると、音楽のpurityっていうのがだんだん失われていっちゃうから、音楽そのものの訴える力がなくなってくるんですよ。これはもう、過去のいろんなミュージシャンを観ていても歴然とした事実で、たとえばオスカー・ピーターソンにしても、最初の乱暴と思えるようなプレイをしていたころの演奏はすごい良いと思う。カナダにいるころの、ソロでブギを弾き込んでいたりしたころのオスカー・ピーターソンってすごいと思うんですよ。
あと、ゲイリーとも話したことがあるんだけど、演奏能力とか知識とかってユーティリティって呼ぶんですけど、それとスピリチュアルなものとの関係の問題ね。ユーティリティのほうが高くなればなるほど、スピリチュアルも同じように増加させていかないと、音楽としてのバランスが失われちゃうんですよ。速弾きもいいんだけど、結局はユーティリティが高くなればなるほど、同じだけスピリチュアルを伸ばしていかなきゃならない。でも、スピリチュアルを伸ばすというのは、これ、たいへんな作業ですよね。精神的なものだからね。精神的に自分を淘汰していかなきゃ。だったら音は少なくていいから、スピリチュアルを常に保っていたほうが、結果としては僕は良いものが出てくると思うんですよ。
ーーピアノとベースとドラムというスタイルは、菊地さんにとってやりやすいものなんですか?
まあ、ドラムとベースっていうのは、一応グルーヴしていくうえで最低限必要なものだし……。
ーーピアノ・トリオの考え方に、古い/新しいはあるんでしょうか?
古いとか新しいはあるけど、問題は良いか悪いかでしょ。音楽が、ね。ただ、ピアノ・トリオといっても、それひとつで厳然としたジャンルがあるんじゃなくて、ジャズのなかの音楽のなかのひとつのフォームであって、音楽そのものとしてみればほかと大差はないと思うんですけどね。
ーーいわゆるジャズのジャンルのなかでは、ピアノ・トリオというとスタンダードでポピュラーなフォーマットであるし、この『オン・ザ・ムーヴ』収録の曲名だけを見ると一般的なジャズ・ピアノ・トリオの先入観を抱いて手に取る人も多いかもしれないと思うんです。そうしたイメージとこのトリオのあいだの“差”とはなんなのでしょうか?
結局、一般の人が抱くピアノ・トリオのイメージというのは、カクテル・ミュージックかエンタテインメントってことでしょ。僕が考えているのは、音楽に対するスタンスということであって……、ピアノ・トリオというのはピアノを演奏するためのフォーメーションのひとつというだけだからね。だけど確かに、ピアノ・トリオっていうと、みんなそうイメージするんだよねぇ(笑)。だいたいお酒を飲むときに、そのバックに流れているというかね。僕はでもね、バックグラウンドの音楽を演奏するのは……。せっかく生まれてきたんだから、やっぱり自分の人生、大事にしたいしねぇ。他人の酒の伴奏なんかしたくないよ(笑)。
ーーそれは“別の音楽”というより“別の生き方”ということですか?
まあ、生き方も根底にはあるんだろうけど、やっぱりスタイルの違いでいいんじゃないですかね。それほど僕は、肩を怒らせてやっているつもりはないし。ただ、ああいうのは僕にはたえられない。やっていることが耐えられないし……。
ーー飽きちゃう?
というより、飽きる前に嫌になっちゃうね(笑)。それだったら僕、ピアノ弾かないですよ。
ーーピアノのおもしろさが出てこないということですか。
いや、単につまんないんですよ。あれをやれと言われるんなら、僕は音楽をやめちゃう……。
音楽的な構成の発展と絵のインスピレーションの関係
ーー新世紀音楽研究所の活動をされていた菊地さんに、その新世紀になった音楽観をぜひお伺いしたいと思っていました。あの活動の“新世紀”は、21世紀を指していたんですよね?
いや……。結局アレに関して伝えられていることって、けっこう誤っているんですよ(笑)。要するにアレは、高柳というギターがいましたよね。あの人が中心で始めた、あの人が大本尊というのかなぁ。それで、金井英人というベースの人が実行委員で、それと富樫と俺と、この4人で始めたんですよ。あのバンド、なんて言ったっけなぁ、忘れちゃったなぁ。この4人で始めたクァルテットがあるんですよ。すごい奇特なマネージャーがいて、たしか青島幸男とか三保敬太郎、大橋巨泉もそうだったかなぁ、それとかスリー・グレイセズ、ボニー・ジャックス、そういう人を抱えた音楽事務所があったんですよ。ヒロセさんという人なんだけど、すごいおもしろい人で、僕たち4人にも給料を払ってくれて、それで僕たちはただ毎日集まって練習してたんだよね。それが銀巴里というところで、定期コンサートをやる際に、もっとミュージシャンを集めてやっていこうってんで、定期的に、毎週の金曜日だったかな、そこだけ銀巴里を借りて、あ、そうそうジャズ・アカデミー・クァルテットって言ってたんだけどね、それだけじゃというんで、もっとミュージシャン、その当時だからジョージ川口さんのビッグ4とかがスターだった時代だし、なにかそれとは違う自分たちの音楽をやっていこうというね。当時は貞夫ちゃんが帰ってきてないし、いや、まだアメリカへ行ってなかったかな、行ってたかなぁ……。ジャズのメソッドもないし、とにかく自分たちの音楽を探っていこうというんで、同じ志をもったミュージシャンを集めて1日5グループぐらいの編成でやるようにして、僕は日野君を引っ張ってきたのかなぁ、あとカゲヤマって絵描きかな。ベースを弾いていたんだけど、その人がわりと精神的な面で中心人物で、相倉さんもちょうど東大理学部出たばっかりで、司会とかお金の計算をやってもらってね。それと名古屋の内田先生がそのころ、まだ紙のテープだったかな、レコーダーを持ってきて、毎回レコーディングしていたんですけどね。それで、何ヵ月かリハーサルして、編成を変えてやったんだけど、僕はだんだん途中でつまんなくなってきて(笑)。なんというかなぁ、タマとイシが……、玉石混交のような状態になってきたから、僕は抜けちゃったわけですよ。その後で、山下洋輔とかいろんな人が入ってきて、僕も最後のころはコンサートをやるときだけぐらいしか参加してなくてね。そのうちそれもおもしろくなくなっちゃって、やめたというか、そんな状態になっちゃったんですよね。あれはあれで、当時、最初のころはすごく燃えていたんだけど、なんだかねぇ……、やろうとしているとき、あんまり、なんつーかなぁ、そこにそぐわないようなミュージシャンも入ってくるような状態になってきちゃって、それでやめちゃったんだけど……。やめたのかなぁ……。その辺、覚えてないんですよ。ただ、僕が遠ざかっていったのは確かなんでしょうけど。
ーー21世紀になって、音楽が変わったという印象はありますか?
いや〜、僕自身は変わってないでしょうね。年が改まってまたひとつ歳が増えただけ(笑)。自分のなかでは確実に進歩しているという感じは常にありますから。ただ、メシを食っていくのがだんだんタイヘンになってきてはいるけれど(笑)。
ーー今後の活動は?
8月にこのトリオで日本、来年はヨーロッパに行くかもしれないという話がチラッと。あとはテザード・ムーンがあるでしょ。あれはずっとやっていくし。あと、だいたい今年の末か来年の春ぐらいにブギ・バンドをやろうと思っているんですよ。ブギ・バンド、大好きだからね。それから、ソロも。ここんところちょっと、何ヵ月ぐらい中止してたんだけど、また新しい音が聞こえ始めたんで、9月ぐらいにまた西ノ洞でやろうかなと思っているんですけど……。あとは……、ダンス・ミュージックを作ることもあるし、プロ・ツールスのスタジオを作って、ダンス・ミュージック作って、少しポップス書こうと思っているんですよ。それで、いろいろ、ゴスペルのハーモニーとか勉強しているんです。すごく新鮮ですよ。
ーーブルースとは違うんですか?
違いますね。進行がまずすごいフレッシュだし。あと、スラッシュ・トリオもあるしね。ほかに……、あ、そうだ、ストリングス・クァルテットでレコーディングという話もあるんですよ。それは2年ぐらい掛かるんじゃないですかねぇ。それまでレコード会社があるかどうかだよね〜(笑)。そうそう、グレッグ・オズビーとなにかやりたいと思っているんですけどね。
ーーR&Bですか?
いや、そうじゃなくて、話をしてみなくちゃなんだけど、最近よく彼と話をしていて、彼の音楽にすごく興味があるんで。そんなところかな。
ーー音楽以外に趣味や興味のあることはありますか?
いまね、絵、描いてんですよ。パステル。スゴい良いフランスのパステルがあるんですよ。すごいいいんですよ。アクリルも描いてみたりしているんだけど……。オヤジが絵描きだったから、子どものときから絵でも描いてみようかなと思っていてね。アート三昧の人生ですよ(笑)。
ーー音と絵というのは、脳の違うところで生まれてくるものなんですか?
違うんだけど……。僕の場合は、音もヴィジュアルなときってあるんですよね。なにかやっぱり、子どものときから絵をオヤジに仕込まれたせいだからじゃないですかね。だから、音楽も発展させようとしたときに、わりとヴィジュアルなインスピレーションで発展させていくことって多いですよね。音楽的な構成を考える前に、ね。そういう意味で、テザード・ムーンみたいな音楽をやる場合に、絵が非常に役立ってるんじゃないかな。まあ、あと1年ぐらい経ったらオイルも始めようかなぁと。
そうそう、いままでカンディンスキーがあんまりおもしろいと思ったことがなかったんだけど、知り合いからメトロポリタン・ミュージアムのセールで1ドルで売っていたというカレンダーをもらったんですよ。それが後期のヤツで、すごく良いんですよ。あんないいとは思わなかった。このあいだもね、僕、モネの絵ってあんまり感心しなかったんだけど、ホイットニー・ミュージアムで、いや、グッゲンハイムかな、コレクションルームでね、モネのホンモノを見たんですよ。すごいですよね、やっぱり。迫力があって。結局1つ1つ、光が盛り上がっているわけでしょ。アレを見て、あ、絵って、ホンモノ見なきゃわからないんだなぁって思ったね。だから、そのうちカンディンスキーのホンモノを見に行こうと思っているんですよ。あと、マーク・ロスコだったっけな、わりとちょっといま流行のイラストみたいなところもあるような、その色のバランスがすごいんですよね。絵、いいよねぇ(笑)。