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「かな獅司」でなく「うれ獅司」に 大相撲初のウクライナ出身力士・獅司、苦労とその天真爛漫な素顔に迫る

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
にこやかにインタビューに応えていただいた獅司(撮影:倉増崇史)

初のウクライナ出身力士である雷部屋の獅司。2020年3月場所で初土俵を踏み、新十両として臨んだ先の名古屋場所は9勝6敗の好成績で終えた。2018年に来日してからさまざまな苦労があったが、持ち前の明るさと聡明さでその壁を乗り越えてきたという。師匠の雷親方(元小結・垣添)が「部屋のみんなは家族」と話す通り、家族の一員として、そして現在はその部屋頭として活躍が期待されている獅司に、いまなお侵攻が続く故郷のことやこれまでの土俵人生について話を聞いた。

ウクライナから入門するまで

獅司大、本名・ソコロフスキー・セルギイは、ウクライナ・ザポリージャ州メリトポリ出身。昨年から続くロシアからの侵攻により、メリトポリはロシアの占拠下におかれ、いまなお大きな混乱が続く地域だ。獅司は家族と頻繁に連絡を取っていると言い、自身の晴れ姿を見せるため、遠く離れた日本で奮闘しながら故郷を思う。

そんな獅司に聞くと、メリトポリは海のある町で、ロシアにも近く、有名な食べ物はボルシチ。「ウクライナ語とロシア語、どっちも喋るけど、ロシア語のほうが上手です。ウクライナ語は、ちょっとあんまり」と言う。聞いてみないとわからないものである。

小さい頃から体が大きかった獅司。10歳の頃にはすでに体重が120キロあったというから驚きだ。スポーツ大好き少年で、「8歳からレスリングを始めたっす。その前は学校でサッカー、バスケットボール、バレーボール。スポーツなんでもしました」と語る。

相撲と出会ったのは15歳のとき。体重が100キロ以上あるとレスリングの大会に出られないため、相撲の大会に出ることになった。ただ、土俵があるわけではないので、普段はレスリングの練習をし、大会にだけ出ることに。すると、ヨーロッパのジュニアチャンピオンになり、その後の世界大会では3位に入賞する活躍を見せた。

「世界大会3位になって、日本においでってスカウトされた。最初は時津風部屋に行って稽古しました」

外国出身力士は部屋に一人までと決まっており、すでに外国出身力士がいた時津風部屋に入門することはできなかったため、当時の入間川親方(元関脇・栃司)にお願いして、入間川部屋に入ることになった。獅司はその経緯を「ラッキーです」と振り返り、ニコニコ笑う。

天真爛漫な明るさが魅力(撮影:倉増崇史)
天真爛漫な明るさが魅力(撮影:倉増崇史)

多くの壁を乗り越え 「獅司ジョーク」もお手のもの

しかし、苦労はここからだった。外国出身力士たちは、日本の生活や風習に慣れるためにと、初土俵の前に半年~1年ほどの試用期間が設けられている。早朝から稽古し、掃除や洗濯、買い出しなど、部屋の雑用をこなす。日本語も英語もわからない獅司は、言葉の壁とホームシックに苛まれた。

「最初の1~2年、ずっと泣いてたっす。日本語わかんない。あと寂しい」

どんぶり飯を大量に食べることも、カルチャーショックの一つだった。ウクライナでの主食はパン。白米はおかずの一種なのだそう。

しかし、聡明さが彼を救う。一人でちゃんこの買い出しに行ったこともあったが、店員に「これお願いします」と指をさしながら伝え「ちゃんとOKでした」と得意げにウインク。日本語に関しては「みんなが喋っているの聞いた。勉強は一回しかしてないっす」と話し、日々の生活で徐々に耳を鍛えていった。

ようやく前相撲(番付に四股名が載っていない者が行う相撲)を取ったのは、新型コロナウイルスが猛威を振るい出した2020年3月場所。翌5月場所は中止になるなど角界にも激震が走ったが、獅司はそんな状況にも負けず、大きなケガもなく番付を上げてきた。そして、試用期間を含めて5年で新十両に昇進。

「ずっと幕下10枚目くらい。遅いです。でも、新十両は“うれ獅司”です」

いまではこうして、自らの言葉で周囲を笑わせることができるまでになった。言葉の上達はもちろん、元来の明るさもあってのことだ。ちなみにこの「獅司ジョーク」は、「うれ獅司」「かな獅司」など数パターンあるので、皆さん構えて待っていてほしい。

新十両でも活躍 左四つに自信

新十両で迎えた先の名古屋場所では、9勝6敗の好成績。「関取になって、15日間楽しいです」とはにかむ(そこは「たの獅司」じゃないのかい)。そんな獅司に、相撲について聞いた。

名古屋場所の短冊には、ロシア語で「強くなりたい」としたためた(写真:筆者撮影)
名古屋場所の短冊には、ロシア語で「強くなりたい」としたためた(写真:筆者撮影)

師匠やおかみさん、また本人が「一番仲良し」と語る部屋の兄弟子・西太司さんを含め、多くの人が獅司のコミュニケーションを助けているが、取材の日に彼が「translateして」とお願いしたのは、師匠の長女・星空(せいら)さん。筆者が「どの取組が一番よかったですか」と尋ねるも、答えあぐねる獅司は星空さんを見つめる。すると、星空さんは「よかった相撲はどれですか、だって」と“通訳”しつつ、彼の気持ちを代弁してくれた。

「狼雅関戦だと思います。いままで一度も勝ったことがなくて、初めて勝ったからうれしかったんです」

すると、獅司の表情がパッと明るくなり、「星空関、全部知ってる!」と笑う。

名古屋場所では見事勝ち越し。9月場所にも期待がかかる(写真:日刊スポーツ/アフロ)
名古屋場所では見事勝ち越し。9月場所にも期待がかかる(写真:日刊スポーツ/アフロ)

ほかにも、獅司が説明し切れないことを星空さんが教えてくれた。

「膝が内側に向いちゃうときは負けるから、それを直したいって言っています。体が硬くて、日本人みたいに股割りができないんです」

意外な事実に驚く筆者に向かって両脚を開く獅司。たしかに120度くらいまでしか開いていない。その状態で後ろから背中を押されると、痛くて「かな獅司」だと言い、チャーミングに泣きまねをしてみせる。

しかし、「親方が四つ教えてくれた。勉強したのは左四つ。まわし(を取れば)強いです。四つも、離れる(相撲)も、どっちもOKです」と、自分の相撲に自信をもっている。

指導する雷親方は、獅司の相撲について次のように語る。

「まだまだ伸びしろがあります。強くなりたいという気持ちをもって、本人がどれだけ稽古できるか。自分の好きな形で取ればいいけど、とにかく激しい相撲を取れといつも言っています。たとえ負けても、お客さんに大きな拍手と声援をいただけるような相撲を取ればいい。勝敗よりも相撲内容で応援してもらえるような力士になれば、比例して番付も上がっていくと思います」

次の9月場所に関して、目標は「勝ち越し」と言うに留めた獅司。もう関取なので、さいたま市の部屋から国技館まで車移動も可能だが、「獅司、電車好き!車?No, no, 電車で行く!」と無邪気に笑っていた。

師匠の雷親方、おかみさんの栄美さんと(撮影:倉増崇史)
師匠の雷親方、おかみさんの栄美さんと(撮影:倉増崇史)

普段は明るいムードメーカーだが、いざ土俵に上がれば闘志あふれる相撲で戦う獅司。そんな獅司を見守る師匠は「本当によく頑張っていますよ。注意すれば次の日ちゃんと直すし、自分なりに考えて稽古して、強くなりたいという気持ちが伝わってきます」と太鼓判を押す。

いまもなお紛争が続く故郷を思い、胸を痛めることは多々あるだろう。しかし、周囲にはその影を微塵も見せない。彼の天真爛漫な明るさに、心の強さを感じたのはそのためだろうと思う。自らの力で戦い続け、戦禍に苦しみながらも応援してくれている家族、そして雷部屋という日本の「家族」に支えられながら、9月場所もその先も、たくさんの「うれ獅司」が聞けることを願う。

【この記事は、Yahoo!ニュースエキスパートの企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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