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『ヲタ恋』実写版が原作ファンとハレーションを起こした理由

飯田一史ライター
映画『ヲタクに恋は難しい』公式サイトトップページより

ふじたによる大ヒットマンガ『ヲタクに恋は難しい』を福田雄一監督が実写映画化した作品が2020年2月7日から公開中だ。

ところがTwitterなどSNSを見るかぎり、原作ファンの多くからは好評とは言いがたい状態だ。なぜだろうか?

■そもそも福田雄一監督の作風とは? もともと「原作に忠実に」とは言いがたかったが……

これまでも福田雄一監督はマンガを原作とした実写ドラマや映画を多数手がけてきた。

『アオイホノオ』『今日から俺は!!』『銀魂』『斉木楠雄のΨ難』等々。

もともと福田監督は佐藤二朗やムロツヨシといったメンツを必ず登場させて若干内輪ノリなパートを挿入したり、原作の設定やストーリーから逸脱するものもなかったわけではない。

ところがそのなかでも今回の『ヲタ恋』は特別反発が強いように見受けられる。

■「オタクをバカにしているように見える」理由――熱血バカがいないのにいるときと同じ撮り方をしてしまった

たとえばオタクたちを登場人物にした作品でも『アオイホノオ』のときは原作ファンからも歓迎され、『ヲタ恋』はそうではなく、「監督はオタクをバカにしている」という感想が散見されるのはなぜだろうか?

福田監督の演出が生きるのは熱血バカを主人公にしたときである。

ウラオモテのないハイテンションバカと言ってもいい。

こういう人間を視聴者側が観て笑ってしまうのは、キャラ側が突き抜けていておもしろいからである。

『アオイホノオ』に登場するホノオも庵野秀明もどうかしているが、彼らを観ていて「オタクをバカにしている」感じはしない。もともとそういうキャラ(人物)だったろうなと思うだけで、不自然な誇張が感じられないからだ。

ところが『ヲタ恋』は隠れオタOLの成海にしろ、クールメガネの宏嵩にしろ熱血バカではない。

にもかかわらず、根本的には監督が撮るスタイルを変えていないがゆえに、齟齬が起きてしまっている。

・成海をホノオ的な裏表のないハイテンションキャラとして描いてしまっている

成海は原作ではふだん非オタとして擬態しているという設定なのに、福田版では会社にいるときの口調からして戯画化されたオタクしゃべりを早口・興奮気味にしていて「本当に隠す気あるのか?」という違和感を生んでしまっている。表と裏を巧みに使い分けて社会生活を送っている人物のはずが、ふだんから感情や言葉遣いがダダ漏れしているただのやばいやつに映る。そして成海やその友人たちの口調が徹頭徹尾誇張されたものなので、オタクをバカにしているように見えるのだ。

普通に社会人として生活しながらも、プライベートでは好きなものについてはメーターが振り切れる、という二面性が『ヲタ恋』原作の前提なのだが、実写映画版だと即売会で買った同人誌を堂々と公衆の面前で開くという基本マナーすらできてないやつ(これは成海ではなく彼女の友人だが)をオタクとして描くので、わかってない感が露呈してしまう。

言ってみれば原作はオタクを「裏表のある(TPOをわきまえている)バカ」としておもしろく描いている作品なのに、実写映画版は「裏表のない(感情や態度をコントロールできない)バカ」としてオタクを描いているのでズレを感じてしまうのだ。

・宏嵩にもハイテンションバカでないがゆえに起こった問題が……

また、宏嵩は『銀魂』の新八のようにテンションの高いツッコミに向いたキャラでもないので、監督が若干扱いあぐねている感があった。

温度の低い宏嵩だけでは間が持たないと感じたからか、彼のまわりにはいつもうるさくするキャラが配されている。

結果、原作には登場しない声優アイドル(というか内田真礼)ファンの同僚を用意したり、原作では成海とつるんでいることの方が多い小柳花子と宏隆をやけに絡ませたりすることになり、原作からの乖離を生んでいる。

映画版の宏嵩は、成海の声優ネタがわからず合わせようとして突如ゲームからアニメに趣味を切り替え、有給を取った1週間で自室が埋まるくらいにグッズを買いそろえ声優のライブに通い出すも、成海に戸惑われると「なんか違った」と気づいてあっという間にグッズを片付け始めるという、まったく趣味に対して芯のない(愛のない)人間として描かれている。

そういう行動を感情の起伏がないローテンションなキャラがやるので、アニメやアニソンファンに対してものすごく失礼に見える。アニメキャラクターや声優、アニソン(への愛)を簡単に捨てられるものとして扱っているからだ。

これがハイテンションバカが「俺は今日から声オタになるぞー!」「やってみたけどなんか違った! やっぱやめたー!」とやるならギャグになるしまだ許せるが、そういうキャラではないし、そういう原作でもない。

■相性の問題

他にも、「ニコ動風にコメントが画面を流れていく演出が古くさい」とか「ミュージカル映画風にする必然性があったのか」など気になる点はあるが、結論としては

原作のノリと監督の演出との相性があまりよろしくなかった

ことに尽きる。

ただそれが作るよりも前にわかったかというと、難しいところだ。

監督的には、いつものように、クセのあるキャラがへんなしゃべりをする掛け合いのおもしろさを追求しようとしただけだろう。

結果、今回はオタクをバカにしているように見えたが、そういう意図はおそらくなかったのではないかと思う。

(誰かが制作の早いタイミングで「これだと引っかかる人いますよ」と言って軌道修正してほしかったものの)

マンガの実写化、オタクを題材にした実写作品に関してはだいぶノウハウが蓄積されてきたが、それでもまだ難しい部分があったことを改めて感じさせる一作だった。個人的にも楽しみに期待していた作品だったので、残念な気持ちが強い。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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