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人事でよくある課題の処方箋(心理的安全性・社員のキャリア自律 編)

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

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人事分野の本を読んで、「書いてあったとおりに実践したのにうまくいかなかった」ということはありませんか? 医療用の薬に主作用と副作用があるように、人や組織への課題対策が、時には望ましくない働きをしたり、新たな課題を生み出したりすることもあるのです。すべての会社にとって有用な概念というものはありません。学術研究の知見の副作用を知った上で、具体的な施策に落とし込むにはどうしたらいいのでしょうか?

<ポイント>

・「心理的安全性」の副作用とはどんなものか?

・組織市民行動を取っている人が多いほど、その会社のパフォーマンスは高くなる

・社内でキャリアを考える自律思考の人を増やすには?

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■「心理的安全性」と相性の悪いチームとは?

倉重:最近よく「心理的安全性」をテーマにした本も出ています。どのように心理的安全性をつくっていけばいいのでしょうか?

伊達:心理的安全性は、一言で言うと「集団において自分がリスクを取っても大丈夫だ」と思えることなのです。何か意見を言ったときに自分が排除されてしまうのではないかと思うチームは心理的安全性が低いのです。

心理的安全性を高めていくと、情報を共有しやすくなったり、学び合いが起きたりするので、チームのパフォーマンスも高くなることが分かっています。

心理的安全性をつくるには、仕事の設計が一つの鍵になります。「自分に求められている役割や責任」が明確であり、なおかつ仕事が他の人と重なっている状態だと心理的安全性が高まりやすくなります。

 上司の役割も大きいです。自分たちの部門のビジョンや目標をきちんと示して、部下のやる気を引き出すようなリーダーシップを取っている職場だと、心理的安全性も高まりやすくなります。

倉重:心理的安全性はマジックワードのように言われていますが、どの職場にとってもいいわけではないのですよね。

伊達:薬に副作用があるように、心理的安全性にも注意点があります。

例えば自分よりも集団を優先する傾向のある「集団主義」の人たちは、心理的安全性が高いときにはみんなにとって役に立つことを言おうとします。ところが個人主義の人たちが集まったチームには、あまりポジティブな変化は起こりません。集団よりも自分のことを優先する傾向があるからです。

また、「功利主義」といって「結果が良ければ手段は問わない」あるいは「コストパフォーマンスを非常に気にする」という傾向のある人たちは、心理的安全性は非常に相性が悪いのです。功利主義の人たちが集まって、「何でも言っていい」という心理的安全性が高まると、非倫理的な行動を取りやすくなることが学術的にも検証されています。「結果のためなら手段は問わない」という感じになって、危ないチームになるわけです。

倉重:どんな概念でも万能ということはないという話かと思います。

伊達:課題を解決しようとしたら新たな課題が浮かび上がるのはよくある話ですが、それは副作用があるからです。熱が出たときに熱を下げる薬を飲むと胃が痛くなったというように、新たな課題が生まれているわけです。副作用のことを知っておくと、あらかじめ胃に優しい成分の薬を処方することができますよね。

リスクをきちんと知った上で判断することが、課題解決のシチュエーションでは必要だろうと思います。

■「組織市民行動」とは?

倉重:先生にぜひ聞きたかったのは、「組織市民行動」のことです。

伊達:組織市民行動は、個人的には非常に注目に値する行動だと思っています。組織市民行動は、会社にとって有益な役割外行動のことを指します。例えば、困っている同僚を助ける、事務所のごみを拾うというような行動です。

組織市民行動を取っている人が多いほど、その会社のパフォーマンスが高いことが検証されています。しかし組織市民行動の副作用に近いこととして、「行動のプレッシャー」というのがあります。

倉重:「おまえ、必ずごみ拾えよ」という圧ですね。

伊達:暗黙のプレッシャーがあるのです。ごみを拾っている人がいたとして、その人が自分から進んでごみを拾っているのか、ごみを拾わないと駄目な雰囲気があるから拾っているのかが問題です。後者だと、あくまで社会的圧力によって組織市民行動を取っているだけです。そのような組織市民行動はあまりいい影響を及ぼさないことが分かっています。自発的な組織市民行動を促していくためには、会社や仕事に対しての満足度(=職務満足)を高めることが大事になってきます。

実はこの職務満足は、組織行動論の研究の中では伝統的なトピックの一つです。伝統的であるがゆえにいろいろな研究がなされて一つの結論が出ています。職務満足はパフォーマンスとあまり関連しないか、関連したとしてもほんの少しです。

倉重:仕事に満足しているからといって、いい仕事をしているわけではないと。なかなか残酷ですね。

伊達:例えば「満足しているから頑張る」という人もいれば、「満足しているから頑張らない」という人もいるのです。「職務満足は意味があるのか?」という話になって、しばらく研究が下火になってしまったのですが、そのときに「組織市民行動」が現れたのです。確かに職務満足は役割内行動、パフォーマンスに対しては影響が薄くなります。満足していても役割の中の行動を取るかどうかは人によって違ってきます。ただし、役割外行動については「満足している人のほうがやる」ということが見えてきました。

役割外行動、組織市民行動を促していくためには、満足感のある会社をつくっていくことが大事です。

倉重:ジョブディスクリプションが明確に決まっている会社において、昇格する人の見極め方の話を外資系の人事部長の方に伺ったことがあります。「誰の仕事か分からないけれど、みんなが困っていることを自ら発見して解決するような人」は引き上げるそうです。ジョブ型の会社がそのようなことを言うのは意外に感じました。

伊達:海外のジョブ型社会における研究によると、部下の組織市民行動を見て、上司は評価を決めていることが分かっています。面白いことに、きちんとジョブを決めている社会ほど、ジョブ以外のところで評価する傾向があります。実は中国やアメリカのほうが、日本よりも組織市民行動を取っているというのは、なかなか興味深い結果です。

倉重:解雇しやすい法文化と、さらに言えば評価の仕方が影響しているということですね。どうあるべきか非常に悩ましいところですが、副作用もあるわけですよね。

伊達:結局副作用をどれだけ許容できると見なすのかということです。それぞれが組織として「これは許容できる」「これはうちの会社では許容できない」ということを判断しながら意思決定をしていくことが、本当はすごく大事なことです。

■自立した人を増やすには?

倉重:キャリア自律の話もすごく興味があります。「自立した人を増やしたい」と会社も思っています。しかし急に変わってくださいと言われてもなかなか難しいと思うのです。どのような方針でいったらいいのでしょうか?

伊達:キャリア自律については、キャリアアダプタビリティーという概念で研究が進んでいます。日々変化する環境に対してキャリアを適応させていく準備が整っているかどうかというのがキャリアアダプタビリティーです。

 キャリアアダプタビリティーが高い人を見ていくと、将来に対して希望を感じています。悲観的だと当然ながらキャリア自律はしにくいです。

倉重:自信があるから、将来に希望を持てるという感じでしょうね。

伊達:これは結構インプリケーションがあるところです。ビジネスモデルとしてはきちんとしていても、経営者が明るい未来を従業員に対して見せていないと、不安に支配されてしまいます。その意味で希望を感じられるような会社づくりをしていく必要があるのです。

 それからキャリアアダプタビリティーは、いろいろなルールでがんじがらめになっている中だと発揮できません。また、サポートが得られないとキャリア自律どころではないので、上司サポートも重要な要因です。

倉重:ちょうど高齢者雇用安定法の改正で70歳までの就業確保が努力義務になりました。雇用だけではなく、フリーランスや業務委託を含むということになったのですが、65歳で突然フリーランスになれるわけがありません。もっと前から自分のキャリア自律を考えておかないといけないのですが、このような意識をどうやって植え付けられたらいいのでしょうか?

伊達:やはり先々を見通す機会が必要です。キャリア研修や面談など、キャリアを考えるための機会や情報を与えるのも立派なサポートです。

キャリア自律は、「自」という字が入っているので、自分一人でやらなければならないと思われがちですが、サポートが必要だというのは強調してもいいのだろうと思います。お互いに助け合わないと結局自律もできません。

倉重:それは盲点かもしれません。「自分で考えろ」ではないということですね。

伊達:キャリアアダプタビリティーは遠心力と求心力の2つが働きます。会社としては、できれば遠心力が働き過ぎて離職してしまうのを止めたいところですよね。サポートは遠心力が働き過ぎるのを止める役割があります。

倉重:「会社や先輩にお世話になったから恩を返さなければ」ということもあるわけですね。

伊達:まさに返報性のようなものが働いてくると、「ここに残ろうかな」と思えます。共通しているのはサポートし合うということです。

■新しい技術の導入を進めるには?

倉重:HRテクノロジーやAIを含めて、新しいソリューションを導入しようとするといろいろな抵抗に遭うと思うのですが、それをスムーズに導入していくためには、どうしたらいいのでしょうか?

伊達:やはり人は新しいものをすんなりと受け入れるようにはできていません。それに加えて、導入しようとすると、いろいろな仕組みを変えていくという大変さがあります。導入した後は、いかにテクノロジーを使ってもらうのかも課題です。だんだんみんなが使わなくなって、「何であそこにお金を払っているんだろう」というものになる可能性もあります。

対策としては、「使うことでメリットがある」・「使いやすい」と思ってもらうことです。この二つを満たすテクノロジーは実際に使われる傾向があります。

倉重:インターフェースも重要ということですね。

伊達:それから使っている人が周囲にいると、使えそうだと思えますよね。例えばZoomはシンプルな作りになっていますし、周りが使っていると「便利そう」と思えます。実際に使ってみると有用性がわかるので、導入に前向きになりますよね。使いやすくて、メリットがあるということを社内でアピールしていくことが大事です。

倉重:小さく始めて成功体験を出すということでもいいわけですよね。

伊達:他方で、情報システムは導入する側の意図とは違う形で使われる余地があります。例えばある会社でSlackを導入したとします。「みんなで自由に話ができるので関係性がフラットになった」という会社もあれば、「運用のルールが厳しく、縦社会がより強くなった」という会社もあります。これが情報技術の持っている面白いところです。

導入の目的や技術の特性のまま使われるとは限らないので、人事や情報システムの部門の方々は、現場でシステムがどのように使われているのかをモニタリングする必要があります。

■人事担当者から始める明日への第一歩

倉重:本を読んで「うちの会社はどうしようか」と思ったときに、人事は何から始めたらいいでしょうか?

伊達:「どうやったら会社が良くなるのか」ということを突き詰めて考えると、足元からやることが大事になります。例えば「心理的安全性」について読んだとしたら、「営業部門で心理的安全性を高めよう」ではなく、最初に人事部内でやるべきなのです。

倉重:「隗(かい)より始めよ」ということですね。

伊達:人事部内でやれば、うまくいくか、いかないかということや、副作用などが小さい世界で見えてくるわけです。その上で「自分たちの部門でやってみてうまくいったので、他の部門の皆さんもどうですか」というように促すという順番が大事だろうと思います。

倉重:「実際やってみて、こうでした」と言うと、やはり説得力がありますからね。

伊達:まずは自分たちの身近なところから始めていくのが一つ。二つ目はいろいろな概念に振り回されないことです。例えばエンゲージメントや心理的安全性など、流行する概念や言葉が人事の業界では2~3年に1度は現れます。そのようなものは全部手段の話です。その前に、人事としてどのような組織をつくりたいのか、どのような会社にしていきたいのか、みんなにどのような人材になってほしいのかという意図を持つことが大事だろうと思います。かつ、意図だけではなくて仮説を立てる必要もあるのです。

倉重:そこまで人事がやるのですか。

伊達:これこそが実は人事の主たる仕事ではないかと思います。どのような会社をつくりたいかを考えるためには経営者とのコミュニケーションが絶対に必要になります。そこに心理的安全性やエンゲージメントなどの手段が登場してくるわけです。「このような組織をつくりたいなら、エンゲージメントというアプローチは非常に有効ではないか」という考え方、進め方でやっていく必要性を感じています。意図や仮説によって有効なソリューションも変わってきます。

倉重:本当にそのとおりだと思います。最後に伊達さんの夢をお伺いしたいと思います。

伊達:「研究の知見を活用してほしい」というのが主たるテーマです。もっと研究知見をコンテンツとして活用してほしいのです。

知見には内容と形式の2つがあります。「○○大学の○○先生が監修している」「○○先生が言っていた」というのが形式です。それだけではダメで、研究の中で言われている細かい内容のほうが実務には役立つのです。そこが学問の良さでもあります。「誰が言ったか」ということを問わず有効な知見になり得ます。男性であっても女性であっても、人種が何であっても役に立つ知見が世界にあるというのが研究知見のいいところなのです。

そのアーカイブを活用していく方向になっていくといいなと思います。そのために自分の会社でもどんどん知見を活用し、「使うことに意味がある」ということを発信していきたいと思っています。

倉重:素晴らしいですね。

伊達:それが人事に対する夢です。もう一つは、研究会や学術界に対する夢があります。私のように研究知見を活用して、臨床をする経営学者がもっと増えてきてほしいので、今後かなり力を入れていきたいと思っています。

倉重:ありがとうございます。私からは以上ですので、皆さんからご質問を募ってまいりたいと思います。

A:いろいろありがとうございました。非常に面白くてたくさんメモをしました。自己効力感をつけるために「期待してあげる」という話がありましたが、新卒1年目などの子は、やはりできないことが多くて、心配しながらサポートしてしまうのです。そこはどうしたらいいのでしょうか?

 また、成長志向レベルが低いときに同じことを求めてはいけないなという気持ちがあります。対応の仕方がすごく難しいのですが、どのように接するのがベストなのでしょうか。

伊達:新人に対してどのように接していけばいいのかということですね。自信をつけるためにすることは、二つあります。

一つはロードマップを見せるということです。仕事ができるようになるためにどのようなステップをたどっていくのかを見せる必要があります。半年後、1年後はどのような状態になっているのかを見せていくと「いけそうだな」と思えるわけです。

 二つ目が、ポジティブなフィードバックをすることです。新人の場合はできないことが目に付くと思いますが、そこを指摘しても自信をなくすだけなのです。できたことに対して褒めると、「もっとできるかもしれない」となって行動量が増えます。なので、ポジティブなフィードバックを中心にしていくほうが新人に対しては有効です。

学習目標志向性を高めるための働き掛け方としては、人と比べないということです。その人を評価するときに「他の人より覚えるのが遅れている」といったことは絶対に言いません。本人の1カ月前と比べて、「こういうことができるようになっている」「これがすごく成長したね」と絶対評価をしていくことが、学習目標志向性、つまり成長志向を高めていくために大事なことになります。

A:その子としては、私が一番近い先輩なので、私を軸にするのです。私は数年先をいっているのに。その子の中に根付いた「先輩よりできない」というマイナスの感情が出てしまうときは、どうすればいいのでしょうか。

伊達:自分が入社1年目のときの話をするといいのではないでしょうか? 新人と比べると勝っているところもあれば負けているところもあるはずです。組織がもし成長しているなら、新人のほうが早く適応できて、強くなっていかないとまずいわけです。

 「自分が新人のときよりできているよ」と言って、入社時に作った資料などを持ってくればいいかもしれません。それを見せて「大体ここぐらいまで来れば今の段階では十分だ」と伝えていけるといいと思います。私も新しい人が入ったときに、昔営業していたころに作った資料を見せています。

倉重:上司もあえて駄目なところを見せていくのですね。ありがとうございます。では、あと一人質問をお願いします。

B:非常に面白い話でした。質問ですが、自分には会社に対するモチベーションがほぼありません。ただ、自分が今一緒に働いているリーダーのためには頑張ろうと思っています。その先輩以外の上司には「組織のために働け」と言われることが悩みです。「組織のために動く」というように考え方を変える、学術的な知見があったら教えていただければと思います。

伊達:組織というのはなかなかつかみにくいわけです。現実の問題として実務の中で組織が立ち現れてくるときは、上司や先輩だったりします。組織に対して貢献するというようなことを考えていなくても実はいいのです。

「周囲に対して貢献する」という発想で、組織市民行動も十分に定義として成り立っています。今のお話だと、先輩のためにやるということで十分です。他の部署にもリスペクトできる人を見つけて、彼らのために行動していると、結果的に組織に貢献することになると思います。

B:組織市民行動をやっていますね。ありがとうございます。参考にさせていただきます。

倉重:今回は人事や現場の課題に対して、研究知見というものが役立つのではないかという一端をお見せできたのではないかと思います。どうもありがとうございました。

(おわり)

対談協力:伊達 洋駆(だて ようく)

株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役

神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。近著に『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)や『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)など。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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