本山雅志、ギラヴァンツ北九州と契約満了。黄金世代は何を思い、J3を戦ったのか。
”MF 本山雅志”
その名前は、今季J3を戦ったギラヴァンツ北九州のメンバー表に記されることはなかった。シーズンを通じサブメンバーに入ることもなかった。
それはむしろ”小さな希望”にも思えた。
チームは11月24日の第32節でJ2昇格を決めた。その後の2試合はいわばシーズン最大の目的を果たした後のものだったが、本山さんはエントリーにも入らなかった。もし1分でも出場機会があるのなら、むしろそれは”最後の挨拶”と覚悟する必要があった。
しかし、名前があるのか、ないのかに大きな違いはなかった。
12月24日にクラブ側から、契約満了の発表があった。退団が決まった。
今季出場試合ゼロの40歳のベテランに「来季」への思いを抱くことは、淡い期待だった。それでも北九州市の若松区出身の「黄金世代」のスーパースターに、なんとか来季、ホームの地で1ゴールを刻んでほしかった。
ほんの少しの希望は他にもいくつかあった。シーズン中、幾度となくチームの若手選手からこんな話が聞こえてきた。
「モトさんは、本当にベテランとしてチームを鼓舞してくれている」
今季移籍してきた選手は、シーズン序盤にこんな話をしていた。
「まさか本山さんと同じチームでプレーできるとは思っていなかった。サッカーに臨む姿勢が素晴らしいし、本当に周囲の選手にリスペクトを示してくれる。機会があれば、シューズをもらおうと思っています」
チーム内からのリスペクトに加え、今季も練習場でコンディションの良い時には周囲が感嘆するようなプレーを見せていた。ただし今季は故障もあり、本人も「よくなったと思ったら、また逆戻り。その繰り返し」(11月下旬のホームゲーム時に)。練習場に取材に行くと、不在の日も多かったが。
現実は厳しかった。
50試合出場、0得点。
これが2016年に鹿島アントラーズから移って4シーズンの記録だ。
18シーズン在籍した鹿島アントラーズはJ1で365試合出場38ゴールを刻んだ。数字だけで見ると、もっとやれたはずなのにという思いはある。しかし彼が北九州で見せてくれた姿には感謝の言葉しかない。
初対面から「よろしくお願いします。盛り上げましょう!」
2016年シーズン前の鹿児島キャンプで、はじめて本山さんと言葉を交わした。この年から始まった朝日新聞北九州版での連載での取材だった。
「今、声をかけてみてください」
チーム広報にそう促された。負傷で別メニューだった本山さんは、Bチームの練習試合の傍らで、筋トレをしていた。
そりゃ、大緊張だ。高校からは福岡の方に渡ったとはいえ、中学までは地元若松区の二島中学の大スターだったと聞く。北九州のなかでも若松区周辺というのは名選手が輩出される地域で、本田泰人さんもこのエリアの出身だ。「どんな世界の有名選手よりも、地元のレジェンド選手のほうがビビる」というのはあるのではないか。自分にとって本山さんはまさにそうだった。日本代表の取材現場でも幾度か姿を見かけたが、まさかそんなところで「地元トーク」などできるわけもない。遠巻きに眺めるだけだった。
その時、何を喋ったのかは覚えていない。
ただ取材後に彼にかけられた声に、目がテンになってしまった。
「これからもよろしくお願いしますよ~ 地元、盛り上げて行きましょうよ」
えっ? 何だこのいい人っぷり? こっちの方がお願いします、というところだ。
どのタイミングだったか、本山さんにこちらの名刺を渡すと、その後は名前を呼んでくれるようになった。そんな選手は多くはない。
険しい表情で「それを口にするのは違う」と話したことも
北九州でのデビュー戦でのこともよく覚えている。
2016年2月28日J2リーグ開幕戦対モンテディオ山形。
ホームゲームだった。本城陸上競技場は本山さんにとって、ホントに実家の近所のスタジアムなのだ。
後半24分に投入された本山さんはファーストタッチで、たしかコケながらサイドにすごいボールを展開した。「うわ、こりゃモノが違うわ」とスタンドがどっと湧いた。
2016年シーズン、監督の任期4年めを迎えていた柱谷幸一監督は、前々年J2で5位、前年7位と成功を収めたカウンターアタックばかりを追うことを選ばなかった。ポゼッションの要素を足す試みを行ったのだ。自ら「マンネリからの脱却」と口にする変革だった。本山さんはその一翼を担う存在として迎えられたのだった。柱谷監督は当初、「FWでの起用もある」と口にしていた。
しかし、その北九州での日々に暗雲が立ち込めた。
第2節でJ3から昇格してきたレノファ山口に初勝利を許すと、第13節のFC町田ゼルビア戦まで実に11試合も勝てない。第16節には松本山雅FCに敗れ、最下位に転落した。
筆者は早々から柱谷監督に「もはや残留を目指すべきでは」と会見で発言し、少し立腹させるようなこともあった。実際に監督は夏を過ぎた頃に「残留を目指す」と選手の前で意思を明らかにした。
本山さんにも強く意見せざるえない状況になった。シーズンの4分の3を過ぎた頃、敗戦後にこう詰め寄った。
――2列めの選手にゴールがない、というのはチームの不振の原因のひとつだと思うのですが。
本山さんは険しい表情でこう返してきた。
「2列めがFWの近くに行けなかったり、あるいは追い越せない戦術的な理由は分かっています。でも自分は監督じゃないので、それを口にするのは少し違います」
この年、最終的にチームは前年7位から一気に22位に順位を落とした。まさかのJ3降格を喫したのだ。J1の名門・鹿島でのキャリアを終え、「地元でいい姿を見せる」というのが本山さんのプランだったと思うが、そこが大きく崩れる状況になった。
そういったなかで4月29日の第10節、カマタマーレ讃岐戦(アウェー)で見せたプレーが、本山さんのギラヴァンツで見せた最高の煌めきだった。開始早々の2分、左サイドをスッと突破。左足でふわりとしたクロスにFW小松塁が合わせ、先制。ゴールに決定的に関わるプレーを見せた。
「ギラヴァンツの勝利のために戦う」と即答
2017年、本山さんはJ3で38歳のシーズンを迎えることになった。本当に苦しい思いをしたのではないか。
前年の11月中旬の練習中に右ひざを負傷。前十字靭帯損傷と診断された。手術後リハビリを続け、練習復帰するまでになったが、8月7日に練習中に再び右膝に違和感を覚えた。半月板損傷と診断され、じつに11ヶ月、公式戦から遠ざかることになった。
10月1日の第25節SC相模原(ホーム)で復帰を果たしたが、中位に沈んだチームはその後4試合を経た時点ですでに昇格の可能性が消滅してしまった。
翌年もJ3で戦うことが決まった直後の第27節ガンバ大阪U-23戦(アウェー)で本山さんに話を聞いた。
いったい、今、「黄金世代」が何を思って戦っているのか。
本山さんは即答した。
「ギラヴァンツ北九州の、勝利です」
もう一回、しつこく本山さんに聞いた。
――やっぱり、本山さんに期待したいのはゴールですよ。FWに近い場所にいるわけじゃないですか。他のプレーで貢献しているのはよく分かる。でもゴールという直接的な結果が見たいんです。
この後のリアクションが、後にも先にも聞いたことがないものだった。
「どうでしょう。どう思います?」
本山さんは聞いてきた。
「みんながゴールを目指し始めたら、結局は決まらないと思うんですよね。その一つ前でボールを出す人がいないと。そこを心がけてるんですけどね。狙ったほうがいいのかな?」
反論、だったのだろう。しかしこんなにやんわりと意見する人は初めてだった。
同時に本山さんの『ドリブルで相手をザクザクと切り裂いて、シュート』といった若き日のイメージと、今の本人の意識は離れているのだなとも悟った。
年齢を重ね、プレーは変わる。分かっているつもりだったのだが。
この時、すでに昇格が消滅したこともあって「今後のこと」も少し話を聞いた。「ギラヴァンツ北九州が契約する、と言ってくれる限りここでやりたいです」と言い切っていた。
「良すぎる」と幕を開けたシーズンも……
2018年のシーズン前、ギラヴァンツのコーチングスタッフからこんな話を聞いた。
「本山の調子が、良すぎるんですよ。あまりに出来がいい。むしろ『飛ばしすぎるな』と意見するくらいで」
実際に開幕のFC琉球戦ではスタメン出場も果たし、61分ピッチに立った。
「黄金世代対決」となり、74分に決勝ゴールを決めた琉球FW播戸竜二から「先に出るなよ~途中から出てこい」と冗談交じりの愚痴が飛ぶほどだった。
しかしこの年もまた負傷に見舞われた。結局、この年の第23節鹿児島ユナイテッド戦(アウェー)での交代出場が北九州での最後のプレーになった。
翌2019年の12月、退団に際し本人はクラブ公式サイトに最後の挨拶を記した。
「まずは4年間、地元北九州でプレーできたことに感謝したいと思います。個人的になかなかチームに貢献できなかったことは残念でしたが、今年はJ2昇格とJ3優勝が達成できたこと、本当に嬉しく思っています。僕はチームを離れることになりますが、一ファンとしてこれからもギラヴァンツ北九州を応援していますので、ぜひ皆さんもこれから引き続きギラヴァンツを応援してもらえると嬉しいです。4年間、ありがとうございました」
感謝。そして「1ゴール」への思いはぜひ今後のキャリアで
それでも本山さんの北九州での姿は最高だった。
たとえ、エントリー外になっても必ずファンのためのイベントには出席する。昨年までのクラブスタッフは「本当に嫌な顔ひとつしないんです。快く引き受けてくれる」と言っていた。
練習場ではファンから「率先して道具を片付ける姿」、「周辺のゴミ拾いをする姿」が目撃されている。チームメイトは、クラブオフィシャルサイトでその人柄をこう口にしている。
”モトさん! 人としてはとてもフランクな人です。そうやって接してもらっている僕らが「モトさん、あなたは、そんな接し方をしなくてもいい人なんですよ!」って言いたくなるくらい素晴らしい選手で、人なんです”(FW池元友樹/東福岡高校の後輩でもある)
また同サイトの連載「シマダノメ」ではこんな評も。
”#MF43本山雅志選手は今季度重なるケガに悩まされてリーグ戦出場試合はゼロとなりましたが、練習見学に訪れるサポーターの方々やメディアに対して常に明るく挨拶をし、苦しいリハビリも明るくこなして周囲に変な気遣いをさせないような気遣いを見せ、加藤選手が「自分のことで大変なはずなのに、出番がつかめなくて落ち込んでいる自分を励ましてくれるんですよ」と言うように、チームメイトにアドバイスを送り、悩みを聞いたのです”
筆者自身も驚くべき場面を幾度か目にした。2017年9月にはミクスタで行われた草サッカーの「日韓税理士サッカー大会」に「知人がいるんです」と顔を出し、急遽スピーチを頼まれ、嫌な顔ひとつせず、これを引き受けたこともあった。
今だから言えるが、地元の財界関係者との食事会で本山さんと一緒になることがあった。会に遅れて登場した本山さんは「すみませ~ん、遅れました」と手に大きな皿を持ってきた。実家の鮮魚店からピチピチのイカ刺しの盛り合わせを持ってきたのだった。
「そんなこと、しなくていいですよ~ 本山さん」と言っても、「いえいえ」というだけ。
「こっちに帰ってきて、おまえ、魚屋の本山んところの息子だろ?と と時々言われるんですよ」という。本当に地域のために力になりたい、ネットワークを築いていきたいと考えているのだ。そう感じられた。
本山さんに、なんでそんなに優しいんですか? と聞いてみようとは思うんだが、なかなか機会を持てずにいる。
なぜなら、それが素だと分かるから。
どんなプレーヤーのキャリアでも、叶うことと、叶わないことがある。誰一人として、全てが思い通りにはいかない。本山さんは鹿島や日本代表でたくさんの栄光を得たが、北九州での1ゴールは叶わなかった。
北九州をなんとか盛り上げようとするその姿勢に感謝。どんな状況にも真摯に挑む姿がそこにはあった。ただし優しかっただけで、ありがとうだなんて言わない。それはむしろリスペクトを欠く。
叶ったこと、叶わなかったこと両方への思いを胸に、今後のキャリアを歩んでほしい。心からそう思う。