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YouTube登録者59万人超え! 『George ジョージ』吉田シェフのお店が東京・白金台に誕生

秋吉健太編集者

ミシュラン星付きレストランで副料理長として働いていたシェフが、洗練された映像美の中で様々なレシピやプロの料理人ならではの調理のコツを紹介する人気YouTube『George ジョージ』はご存知だろうか。

2022年11月8日の時点でチャンネル登録者数59万人超えのこの人気チャンネルを自ら運営しているのがフレンチシェフの吉田 能(よしだたかし)さんだ。2021年3月まで「ドミニク・ブシェ トーキョー」でエグゼグティブシェフを努めていた吉田さん、現在はYouTuberでの活動をメインとして活躍中。

ことし11月24日(木)、吉田さん本人がシェフとして腕をふるうフレンチレストランが東京・白金台にオープン。本人に話を聞くことができた。

【「料理人・城 二郎」吉田 能さんインタビュー】

「秋にオープンするお店の名前は『CIRPAS(サーパス)』と決めています。これは『サーキュレーション』と『パッション』という意味を合わせた造語です」と語る吉田さん。

この秋に誕生するお店のことについてはこの記事の後半で紹介させていただくが、まずは吉田さんがフレンチシェフとしての確かな調理技術と映像から伝わってくる世界観を武器に、いかにして人気YouTuberになっていったのかについて紹介したい。

吉田 能さんのYouTube『George ジョージ』で紹介された「『太らない【やみつき鶏チャーシュー】もう焼豚は鶏胸肉でいいんじゃないかと思うウマさ|シェフの簡単レシピ」は現在108万回再生
吉田 能さんのYouTube『George ジョージ』で紹介された「『太らない【やみつき鶏チャーシュー】もう焼豚は鶏胸肉でいいんじゃないかと思うウマさ|シェフの簡単レシピ」は現在108万回再生

吉田 能さん(以下:吉田さん)「子供の頃とか、料理のことを意識したりはなかったんですよね。学生の時はずっと音楽をやっていたのと、サッカーとバスケット、バレーボールをやっていたんですよ。結構いろいろやってたんですが、球技が好きだったんで。その中で一番サッカーをやっていましたね」

地元埼玉で音楽とスポーツに夢中だった彼には、料理について思い出深いことがあるという。

吉田さん「ウチは家族でたまに外食をするのが好きで。小学校5 、6年くらいの時に地元の埼玉の本庄にフランス料理屋さんがオープンした時、珍しくて家族でそこに食べに行ったことがあったんですよね」

当時の吉田さんは、魚が得意ではなかったのだそう。

吉田さん「いま思うと身がパサついてたりとか、魚独特の臭みとかが好きじゃなかったんです。それで、そのフランス料理屋で魚料理を食べたら何かこう『いままで食べてきた魚と全然違う』と思ったんです」

よしだたかし/1987年生まれ。服部栄養専門学校を卒業後、『ドミニク・ブシェ』『ドミニク・ブシェ トーキョー』などで研鑽。2022年東京・白金台『CIRPAS』のシェフに就任
よしだたかし/1987年生まれ。服部栄養専門学校を卒業後、『ドミニク・ブシェ』『ドミニク・ブシェ トーキョー』などで研鑽。2022年東京・白金台『CIRPAS』のシェフに就任

吉田さん「白ワインとバター。それが凄い相性が良くておいしかった記憶がかなり鮮明に覚えていて、それでどういう方が作っているのかというと、厨房を覗くと何か格好いいコックコートを着て作ってる方がいてっていうんで、格好いいなという印象はありましたね」

それから吉田さんは高校時代、次の進路を決める際に「料理をする人ってかっこいいな」という思いで調理専門学校へと進学した。

カツラを被って授業に出た調理専門学校時代

吉田さん「調理専門学校には包丁ケースを持って行かずに、ギターケースを持って行くような生徒で、先生にはすごい怒られてました。調理学生は髪を切らなきゃいけないんですよ。僕はその頃『髪を伸ばしたい』っていうのがあって、授業中はカツラをかぶっていたんですよね。短いカツラを被って、その中に長い髪を入れて。だいぶ違和感はあったと思うんですけど」

ある意味破天荒な生徒だった吉田さん。2年間通った調理師の専門学校では、どんなことをも得ることができたのだろう。

吉田さん「僕の場合はクラスメイトとか同学年で料理を志す人たちと繋がったことですね。当時出会った彼らの中ではいまでも料理を続けている人もいるので、料理について情報交換ができる人たちと知り合えたのがすごく良かったなと思っています。何かあったら結構助けになってくれるというか」

インタビューは吉田さんのキッチンスタジオで行った
インタビューは吉田さんのキッチンスタジオで行った

初めて就職したレストランで気づいた同期との差

卒業後、最初に働いたのが都内の有名ホテルにあるレストランだった。ここで、料理人として最初の洗礼を受けたという。

「最初からすごく厳しかったですね。本当にびっくりしました。学生っていいなって本当に思いましたね」と吉田さん。まだ若い当時はショックを受けるほど厳しい職場だったそうだが、そこで約4年間働いた。

吉田さん「最初、6人ぐらい同期がいたんです。他の専門学校とかからも入ってきていて。彼らは僕と違って、ちゃんと授業を受けていたから調理場で飛び交うフランス語が少し理解できる人たちだったんです」

「学生時代はあまり授業を聞いてなかったので何を言ってるのか全くわからなかった」と吉田さん。入社早々に同期の人たちとの差を感じて焦ったのだそう。

吉田さん「入ってすぐに『もうやばい、辞めよう』と思ってたんですけど、すると2週間くらいで一人ずつ辞めていく感じになって。凄い厳しい職場でどんどん人が辞めていく。もう耐えられないからって泣きながら辞めていくんですよ。そんな感じだからちょっと言いづらくなっちゃって。このタイミングで自分が辞めると言ったら、どんな仕打ちを受けるのかなみたいなのがあって言い出せなかったんです(笑)」

「専門学校では料理を志す仲間ができたことが何よりも実りがありました」(吉田さん)
「専門学校では料理を志す仲間ができたことが何よりも実りがありました」(吉田さん)

辞める理由を「前向きな理由」にした

吉田さんはそこから数年後にフランス・パリに行き、そこで星付きのお店で働くことになるのだが、どういう経緯で日本を離れたのだろう。

「何か真っ当な理由じゃないと、この店を辞められないと思ったんですよ」と吉田さん。

吉田さん「まず、辞める理由を『前向きな理由』にしたんですね。『つらいからやめる』は通用しない。『日本の他の店に行く』ってなっても、どういう理由で行くのかがちゃんと説明できないと筋が通しづらくて。そこで、『フランスに行く』っていうのが一番わかりやすいって思ったんですよ」

当時は東北地方太平洋沖地震の影響で客足が減っていたこともあり、職場の先輩に『フランスにでも行った方がいいんじゃないか』と言われたこともきっかけになったのだそう。

吉田さん「『半年後にフランスに行くので、お店を辞めさせてください』と言うと、多分通用しないなと思って、『フランスに行くので、2年後にお店を辞めさせてください』って言ったんですね。その時から、それまで受動的な働き方だったのを能動的に動くようになりました」

誰が見ても理解できる綺麗なノートを書く

料理を学ぶためにフランスに渡ることを当時の上司に伝えた吉田さん。「そこから辞めるまでの2年間の日々で、いろんなことがプラスに変わっていった」のだそう。

吉田さん「僕、それまでメモを取らなかったんですけど、仕事中に気づいたことや教えていただいたことをとにかくメモにとるようになりました。その時決めていたのは、誰が見ても『とても奇麗にメモをまとめてるね』って言われるノートを作ろうと思って。自分が理解しているだけじゃなく、第三者が見ても理解できるノートって、相当深掘りされてまとまっているものになるんじゃないだろうかと。厨房で気づいたことや学んだことをポケットに入れたメモにぱっと書いていたんです。毎日走り書きが溜まっていくんで、それを家に帰って清書していました。記憶がフレッシュなうちにどんどんノートにまとめていました」

吉田さんが修行時代に書きためたノート。丁寧に書かれた文字&イラストも添えられていてわかりやすい
吉田さんが修行時代に書きためたノート。丁寧に書かれた文字&イラストも添えられていてわかりやすい

日々の気づきをノートにまとめ続けたことで、吉田さんにはある能力が備わった。

吉田さん「当時は調理中に誰かに言われてから調理道具を取ると、もうそれだけで叱られるんですね。言われる前に先輩の横に次に使用する道具を置いておかないといけなくて。当時はそういう環境にいたので、ノートを取ろうと注意深く見ているうちにその人が何を必要としてるのか、何となく分かるようになったんです。いまあの時の感覚に戻れないんじゃないかっていうぐらい、第六感みたいなものが働くようになりましたね」

その時に培った感覚のようなものが、後にフランスに行った時に活かせたのだそう。

日本での修行時代について

ちなみに当時はどのような1日を過ごしていたのだろう。

吉田さん「調理場には朝5時に入ってました。日によっては夜の11時ぐらいまで働いてましたね。家に帰って寝るのはだいたい深夜1時ぐらいになるんですよ。できれば12時には寝たいと思ってたんですけど、どうしても1時台になってしまうので、起きるのが4時とかだったので睡眠時間は3時間強ですかね」

フランスに行くことを決めてからお金を貯めた。

吉田さん「それも人から聞いた話で、『100万から200万あるといいよ』とか、すっごいざっくりした感じだったんです。なので200万ぐらい貯めようかなと思って、頑張って貯まればいいなと思って少しずつ貯金していましたね」

忙しい日々の中、もちろんフランス語についても勉強をした。

吉田さん「1年強ぐらいですけど、飯田橋にフランス語教室があって、一応そこでレッスンを受けていたのでで少しくらい大丈夫かな感じだったんですけど、行ったら全く通用しなくて焦りましたね」

全国の生産者から届いた食材でレシピを考案する吉田さん
全国の生産者から届いた食材でレシピを考案する吉田さん

フランスの星つきの店「ドミニク・ブシェ」の料理に感動

2013年、フランスに渡った吉田さん、当初はドミトリーに滞在し、ガイドブックで調べたお店を食べ歩いた。そこで料理人としてのキャリアを切り開くきっかけとなる、ミシュラン星付きの店「ドミニク・ブシェ」と出合う。

吉田さん「『地球の歩き方』を読んでいて、パリでも有名なお店『ドミニク・ブシェ』については知っていたので、予約してランチを食べたんですが、美味かったですね。重厚なソースが使われていた料理でしたが、そのソースもすごく美味くて。フランスの郷土料理を昇華させた感じの料理だったんですけど、綺麗にまとまっていて、『かっこいいな、ここで働きたいな』と思ってその場で『働かせて欲しい』とお願いして。運よく働かせてもらえました」

日本で学んだことがフランスで活きた

当時そこまでフランス語が話せなかった吉田さんだが、渡仏してすぐに働いた「ドミニク・ブシェ」では働いて2日目から肉と魚ソースを全部やるポジションを担当し、下働きのような経験はほとんどしなかったのだそう。

実はここに、東京での修行時代に身に付けていたことが活きていた。

吉田さん「東京で働いていた時に学んだ経験で、フランスでも料理人が次に何をするかは大体予想がついたので、フランス語がわからなくても『多分、次はこの鍋が必要だろうな』みたいに鍋をポンと出したりしてたんですね。初日はそんな感じで必死に精一杯やってたんですけど、2日目から『ここやれ』みたいな感じで、割と重要なポジションを任せていただけました」

パリの「ドミニク・ブシェ」時代の吉田さん
パリの「ドミニク・ブシェ」時代の吉田さん

パリの「ドミニク・ブシェ」で働いていたころの思い出を聞いてみた。

吉田さん「仕事って楽しいなって思ったのと、職場に上下関係がないのでそこはフラットでいいかなって思いましたね。『下の人間は早く職場に来い』みたいなものもないし。昔は仕事って嫌だな、職場に行きたくないなって感情はあったんですけれども、フランスではとりあえず朝起きたら『早く職場に行きたい』みたいな。朝8時半ぐらいからスタートなんですけど、仕事が楽しくて早く準備したくて、毎朝7時には厨房に行ってましたね。『早く来るな』ってよく怒られましたけど(笑)」

フランスのレストランの厨房で働くことが楽しかった吉田さん。日本の厨房とはどのあたりが違ったのだろう。

吉田さん「最近だとあまり珍しくないんですけど、向こうは厨房に音楽を流すんですよ。当時日本で僕が働いてたころは音楽を流すのはもちろんダメで。フランスでは『自分が仕事しやすい音楽を流す』みたいな考えがあったり。あと、朝早く準備しようって思っているのに、結構みんなマイペースで『コーヒー飲む?』という感じで。『いや、こっちはそんな暇ないわ(笑)』とか思ったりとかしてたんですけど。そういうのが楽しいというか」

「フランスのレストランの厨房は『仕事だから』っていう風になり過ぎないように、あえて作ってるようなリズムが独特でしたね」(吉田さん)
「フランスのレストランの厨房は『仕事だから』っていう風になり過ぎないように、あえて作ってるようなリズムが独特でしたね」(吉田さん)

フランスで星付きの店であることの意味

パリ万博が行われた1900年、フランスのタイヤメーカーのミシュラン社が自動車旅行者向けのガイドブックとして発行した『ミシュランガイド』。100年以上の歴史を誇るこの本に星付きの店として掲載されることは、本国フランスの料理人にとってどのような意味を持つのだろう。

吉田さん「フランスはそもそも料理人の地位が日本と全然違うんですね。向こうでは三ツ星のシェフの話題が頻繁にニュースとかにも取り上げられますし、道を歩いてて『あ、あの人』みたいな、それこそスポーツ選手と同じような扱いなんです。そういう環境なので、星が付くお店っていうだけで見られ方が変わってくるというか」

フランスから戻り立ち上げた日本の店で二ツ星を獲得

ドミニクシェフの元で腕を磨いた吉田さんは、ビザの関係で日本に戻った。

吉田さん「ほかの星が付いてるお店でも働きたいなと思って、『ピエール・ガニェール』という星付きのレストランで働かせていただきました。それからドミニクの店『ドミニク・ブシェ トーキョー』が銀座にできることになり、キッチンで2番目に指揮をとるスーシェフとして立ち上げメンバーで入りました」

フランスから帰国して「ドミニク・ブシェ トーキョー」でスーシェフとして働いていた頃
フランスから帰国して「ドミニク・ブシェ トーキョー」でスーシェフとして働いていた頃

そこでは厨房の道具を調達することからはじめ、お店を開店するということも経験できた。

吉田さん「ゼロからオープンするということをそれまでやったことはなかったので、イチから始めるってこんなに大変なんだなと。よく考えたらこんな道具必要だよね、みたいなのとか、結構ポンポン出てきたりとかして。そうやって日々バタバタしてたらいつの間にか星をとったみたいな感じで。星を取るために何かをやっていたとかではなく、それどころではなく毎日必死でやっていた感じですね」

自ら腕をふるうフレンチレストラン「 CIRPAS(サーパス)」についての展望を語る吉田さん。詳細は記事の後半に記載
自ら腕をふるうフレンチレストラン「 CIRPAS(サーパス)」についての展望を語る吉田さん。詳細は記事の後半に記載

コロナ禍で自分に足りていないのは「発信力」だと痛感

日本で星付きの店「ドミニク・ブシェ トーキョー」の副料理長として働いていた吉田さん。なぜ、YouTubeを始めたのだろう。

「コロナ禍になって、一日でお客さんが0人という日が何日もあって」と吉田さんは当時を振り返る。2020年の4月に緊急事態宣言が出された際、しばらくお店を閉めることになり、その時に『何やろうかな』『何にしたらいいんだろう』と自問自答を繰り返した。

チャンネル登録者数10万人を超えたYouTuberに贈られる銀の盾を手に
チャンネル登録者数10万人を超えたYouTuberに贈られる銀の盾を手に

吉田さん「コロナ禍でお客さんがゼロの日が続いたりして、『自分の力じゃお客さんって呼べないんだ』って思ったんですよね。自分がちゃんと発信力をもってたら、こんなに苦労することないんじゃないかと思ったんです。それまでは、厨房にこもりっきりで『一皿の精度を高めることが至高』、みたいなものがあったんですが、そこに拡散性がないというか。コロナ禍になり僕はそこに違和感を感じるようになったんです」

そこで、吉田さんはまず最初にInstagramを始めることを会社の同僚たちに提案したのだそう。

吉田さん「経営会議みたいな場所で、効果もないようなことを急に言い出すものだから、何言ってんだこいつみたいになるんですけど(笑)。普段から何も頑張っていないのに、いきなりそんなことをバンってやったって何もできないし」

コロナ禍になりお客さんが減り、多くの飲食店がデリバリーや通販を始めたことは記憶に新しい。

吉田さん「あの時はいろんなお店もやってたんですが、ウチはそれまで発信をしていなかったので、やはりそんなにうまくいかなかったんです」

発信力の大切さについて語る吉田さん
発信力の大切さについて語る吉田さん

星付き店のシェフからYouTuberへ

吉田さん「自分に足りてない部分を突きつけられた当時、なんとかして発信力を強められたらいいなと思って始めたのがYouTubeでした」

文字を呟くTwitterとは違い、YouTubeで発信するためには動画を撮影し、それを編集する必要も出てくる。吉田さんはなぜYouTubeを選んだのだろう。

吉田さん「最初はInstagramのフォロワーを増やしたかったんですよ。当時、僕のフォロワーは2000人ぐらいいたんです。でも周りを見ると、著名なシェフって1万人くらい皆さんフォロワーを抱えていて、1万人にするにはどうしたらいいのかと考えて『あ、流入させればいいじゃん』『YouTubeで登録者を獲得すれば、そこからInstagramに流れるんじゃないかな』と」

それまでフレンチのシェフとして料理一筋に生きてきた吉田さん、動画の編集どころか映像撮影もしたことはなかった。

吉田さん「YouTubeをやろうって思って、2020年の6月くらいに1本動画をアップしてみたんですよね。韓国で流行っていたダルゴナコーヒーを作って。ちなみに、その動画の再生回数は3回でした(笑)」

YouTubeでもよく出てくる愛用の包丁
YouTubeでもよく出てくる愛用の包丁

YouTuberの活動を始めた吉田さん、最初はどういう機材で動画の撮影と動画編集をしたのだろう。

吉田さん「まずiPhoneのカメラで撮影して、動画編集もiPhoneのアプリでやりました。そのやり方で1〜2か月くらいはそのやり方でやってましたね」

スタートしてもしばらくは再生回数が伸びなかった。

吉田さん「いやぁ、酷かったですね。トータルで10回いけばいい方で、『こんなに見られないんだ』と思って。その時自分のInstagramで『YouTube始めたよー、見てねー』と投稿してその数値でした。でも、あの時に分かりましたね。SNSでエンゲージが低い人たちとつながっていても、こんな時全然見てくれないんだな、何の意味もないんだなと思いました(笑)」

YouTubeを始めた当初は試行錯誤の連続だった
YouTubeを始めた当初は試行錯誤の連続だった

発信力をつけるべくYouTuberとなった吉田さん。当初はほぼ見られなかった動画がどうやって多くの人に見られるようになっていったのだろう。

吉田さん「どんな動画が再生回数が伸びているかを学ぶ中で、自分がぱっと心を奪われるような、自分の心に刺さる映像の作り方をされてる人がいたんですね。映画とか料理が出てくるシーンで、カメラのピントの合わせ方とか、背景のぼかし方など、すごくいいなと思う料理に対する美意識が自分の中にあったんです」

吉田さんのYouTubeによく登場するワンピースのフィギュアたち
吉田さんのYouTubeによく登場するワンピースのフィギュアたち

そのことに気づいた吉田さんは「この映像が素敵だから見たい」という人をイメージし、自分の美意識を体現する映像作りに注力した料理チャンネルへと進化させていった。

吉田さん「自分の考える映像はスマホでできるのかな?と考えて。一眼レフカメラとか使ったことないけど、他のYouTuberがおすすめしているカメラを購入して、『こんなにきれいに撮れるんだ』という風に使い方を一つずつ覚えていきました」

吉田さんがYouTubeの撮影で使用するカメラ。映像は1台のカメラで全て撮影している
吉田さんがYouTubeの撮影で使用するカメラ。映像は1台のカメラで全て撮影している

吉田さん「動画編集に関しては、仕事で使っている人が使っているソフトがPremiere Proだったのでそれをダウンロードしたんですが、まぁ一眼レフの操作どころじゃなく難しくて。『どうしよう、、、』と考えながら一日が終わる、みたいな。ホント探り探りでしたね。何かいじりながらとか」

撮影も動画編集も吉田さん自ら行う
撮影も動画編集も吉田さん自ら行う

頭の中には撮りたい絵、美意識があった

「『こういう絵が撮りたい』という思いはあるんですが、技術や知識が追いついてないので、全くダメっていう感じでしたね」と吉田さん。

吉田さん「光の当たり方とか絵作りに影響するっていうのは後になって気付いたので、その時は何で自分の映像はこんなに微妙なんだろうみたいな。それでも試行錯誤しながらずっとやってたら何かどこかでポンと伸びたみたいな」

現在はすでに退職しているが、YouTubeを始めた頃はまだ『ドミニク・ブシェ トーキョー』のシェフとして働いていた吉田さん。どのようなスケジュールで撮影をしていたのだろう。

吉田さん「毎日お店で働きながら、休みの日に動画を撮ったり、朝早く起きて動画編集をやっていました。大変だったんですけど、何か楽しいんですよね。自分の考える映像を作り上げて、何とかして作り上げていこうみたいなものがあったので。これが誰かにやらされていたら多分できなかったかもしれないですね」

吉田さんのYouTube『George ジョージ』はこちらのキッチンで撮影されている
吉田さんのYouTube『George ジョージ』はこちらのキッチンで撮影されている

ブレイクのきっかけはTikTok

吉田さん「YouTubeをはじめて3、4000人ぐらいのチャンネル登録者になった頃、『もしかしたら、これであと1年ぐらい続けたら1万人になるんじゃないかな』と淡い期待を持ってました。でもそこから全然伸びなくて」

吉田さんのYouTube『George ジョージ』は2022年11月現在でチャンネル登録者数が59万人以上の人気を誇る。そこまでどうやって増やしたのだろう。

吉田さん「次にTikTokをやりました。それも他の人をリサーチして、コメント欄を見たら『TikTokから来ました』っていうのがあって。それで『TikTokって何だと?』と思って調べて。それでショート動画を11月くらいから始めました」 

現在は撮影用のライトを使用するまでに
現在は撮影用のライトを使用するまでに

吉田さん「最初はYouTube動画を切り取って一部をTikTokで見せたら、そこからYouTubeで本編を見たくなるんじゃないかと。最初は『タタタタタタ』『シャシャシャ』『ジャー』みたいな調理の音だけしか入ってないショート動画を15秒〜30秒ぐらいで上げていて。でも『このショート動画を見て何がわかるんだろう?』って思ったんですね」

最近は俳優の藤木直人さんとYouTube上でコラボ。このギターはその時の撮影用にスタジオに飾っていた吉田さん愛用のギブソンレスポール。ちなみに吉田さんは左利きだが、包丁は右手で持つ
最近は俳優の藤木直人さんとYouTube上でコラボ。このギターはその時の撮影用にスタジオに飾っていた吉田さん愛用のギブソンレスポール。ちなみに吉田さんは左利きだが、包丁は右手で持つ

吉田さん「だけど動画の説明をテロップで入れるには時間かかるしな、と思って『あ、声入れちゃえばいいんだ』と思ってその時のノリでスマホで音声を入れたまま撮影して、それをアップしたらそれがすごい当たったんです。そこからYouTubeのチャンネル登録者数がどんどん増えていきました」

コロナ禍で「発信力を身に付けたい」とInstagramのフォロワーを増やすためにYouTubeを始め、YouTubeの登録者数を増やすためにTikTokを始めた吉田さん。スタートから2年で現在はInstagramフォロワー9.8万人、YouTubeチャンネル登録者59万人、TikTokフォロワー56万3000人となっている。

YouTubeから贈られた銀の盾には吉田さんが以前YouTubeで名乗っていた『料理人 城二郎』の文字が
YouTubeから贈られた銀の盾には吉田さんが以前YouTubeで名乗っていた『料理人 城二郎』の文字が

YouTubeには方程式はないと思う

これからYouTubeを始めようと思う方へ、何かアドバイスはないか聞いてみると「超大変なので覚悟した方がいいですよ」と吉田さん。

吉田さん「『これをやれば伸びる』みたいな方程式があまりないような気がしています。僕の場合、例えば伸びた動画と同じような構成で次を作っても多分もうそんなに刺さらない。タイミングとかその時のマーケット状況とか、YouTubeでのコンテンツの需要は生き物みたいに変わる感じなので」

人気YouTuberとして知られるようになり、テレビ番組にも出演、レシピ本を発行するなど活躍の場を広げている吉田さん。発信力を身につけたことでどんな経験を積んでいるのだろう。

吉田さん「いままでレストランの厨房で働いていた頃とは、本来であれば関わらないような人たちと仕事できたり、企業からすごくいろんな話をいただけるようになりました。そこでお会いする人たちっていうのは、やっぱりすごいご縁だなと思います」

「料理人・城 二郎」(吉田さん)のレシピ本『おうち格上げレシピ』(KADOKAWA)
「料理人・城 二郎」(吉田さん)のレシピ本『おうち格上げレシピ』(KADOKAWA)

ことし11月、『George ジョージ』の料理が味わえる店がオープン

「発信力を身につけたことでいろんなご縁に恵まれた」と吉田さん。その縁の一つとして彼は数々の飲食店や空間プロデュースを手掛ける「トランジットジェネラルオフィス」のメンバーとなり、自らシェフとして腕をふるうフレンチレストラン「 CIRPAS(サーパス)」が11月24日(木)に東京・白金台に誕生する。人気YouTuber『George ジョージ』の料理が実際に食べることができるようになるのだ。

吉田さん「トランジットジェネラルオフィスが関わっているお店は、どこも素敵な雰囲気作りをされているなという印象がありました。僕ができないことがすごいレベルでできる会社なんで、一緒に仕事させていただくことで学びもたくさんあるのではないかと思いました」

『CIRPAS(サーパス)』は東京・白金台に11/24(木)オープン。カウンター8席と4席の個室が1つ
『CIRPAS(サーパス)』は東京・白金台に11/24(木)オープン。カウンター8席と4席の個室が1つ

食の循環と情熱という意味を込めた店名

「店名の『CIRPAS(サーパス)』には、『サーキュレーション』と『パッション』を組み合わせた造語なんです」と吉田さん。店名に込めた意味を聞いてみた。

吉田さん「なるべくテーマにしたいのが、『良質な食の循環を作りたい』って思っているんです。循環というのがサーキュレーション(circulation)。それと物事に熱量を込めるっていうのは僕の基本線なので、パッション(passion)。二つをつなげたら結構いいんじゃないかと思ってその名前に決めました」

「日本の生産者さんとしっかり向き合って日本のものを盛り上げていくっていうことができたら」(吉田さん)
「日本の生産者さんとしっかり向き合って日本のものを盛り上げていくっていうことができたら」(吉田さん)

レストランではフレンチベースのコース料理を提供、価格は2万75000円(税込)を予定している。カウンター席に座れば目の前で吉田さんが調理をする姿を見ることができるのだそう。

吉田さん「カウンターなので、調理した料理を一番いい状態で出せると思います。『この食材はここで育てられたり、こうやって収穫されています。それをシンプルに焼きました』、という風に食材が主役のお店にしたい。僕らはどっちかというと添え物だと思って料理を作りたいですね」

「何か特別な日に来ていただければと考えています」(吉田さん)
「何か特別な日に来ていただければと考えています」(吉田さん)

「CIRPAS」はお皿、カトラリーなども全て吉田さんが選んでいる。選定の基準として「器も食材もなるべく日本のものにしたい」と吉田さん。

吉田さん「以前YouTubeでご相談いただいた案件ですが、ホタテを養殖されている会社なんですけど、このままだと海の環境が変わりいずれホタテが食べれられなくなるかもしれないから『100年後でもみんながホタテが食べれるように海の環境に配慮しながらホタテを育てている』と聞いたんですね。我々が普段から食しているものが、自分の子供や孫の代では食たべられない未来になるというのは寂しいので、そういうことを意識している人達と仕事したいっていうのがあって。日本の生産者さんとしっかり向き合って日本のものを盛り上げていくことができたらいいなと思っています」

「CIRPAS」
住所:東京都港区白金台4丁目2‐7(1F)
電話番号:03-5422-9797
営業時間:火〜金18:30~/土12:00~、18:30~
定休日:日曜、月曜
席数:カウンター8席、個室1室4席
メニュー:おまかせコース 2万7500円~(税込)/人

※別途サービス料10%
※個室利用はコース代金とは別に個室料1万1000円(税込)
※季節の食材によって価格の変動あり
webサイト:https://cirpas.tokyo
Instagram:http://instagram.com/cirpas.tokyo

編集者

編集者としてのキャリアは出版、web合わせて約30年。雑誌「東京ウォーカー」「九州ウォーカー」、webメディア「Yahoo!ライフマガジン」など雑誌・webメディアの編集長を歴任。街ネタやおすすめの新スポットなどユーザーニーズを意識した情報を、それらの合わせ持つストーリーと共にお届けします。

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