デフリンピック2人のメダリストが横浜市スポーツ栄誉賞、授賞式が行われた!
5月15日に閉幕したカシアス・ド・スル(ブラジル)での第24回デフリンピックに出場したアスリートのうち、横浜在住の銀メダリスト早瀨久美(マウンテンバイク・クロスカントリー)と、銅メダリスト川口功人(卓球)に横浜市スポーツ栄誉賞が贈られ、授賞式が横浜市役所で開催された。
山中竹春横浜市長は「早瀨選手の(デフリンピック自転車競技)日本史上初・最年長での銀メダル獲得に勇気づけられました。川口選手は初出場で銅メダルを獲得されました。22歳の若さで堂々と活躍、特別支援学校の卒業生にも勇気を与えてくれました。日本としては金12、銀8、銅10の計30個と過去最高のメダル数を獲得しましたが、コロナ感染による途中辞退という困難もあった中で、ベストを尽くしたことに敬意を表します。さらなるご活躍をお祈り申し上げます」と、二人の栄誉を祝福した。
女子マウンテンバイク・クロスカントリー20kmに出場し銀メダルの早瀨は、「薬剤師として聴こえない人からの相談も受けているなかで、ある時ドーピングについて聞かれたが知識がなく、もっと専門的に勉強しようと考えたことがきっかけ」でデフリンピックの世界へ踏み込んだ。台湾大会(中国2009年)に薬剤師として参加し、選手としてはソフィア大会(ブルガリア2013年)、サムスン大会(トルコ2017年)に出場、銅メダルを獲得。今回3大会連続のメダル獲得となった。
トヨタ自動車卓球部に所属する卓球男子団体戦銅メダルの川口は、「昔からの夢だったデフリンピックに出場し銅メダルを獲得しました。男子としては21年ぶりです」と報告。出身校である横浜市立ろう特別支援学校からの応援に触れ「出発する前に送別会を開いでもらい、OBからもメッセージをもらい応援していただいた」と、地域のサポートに感謝を込めていた。2025年にデフリンピックは東京での自国開催が計画されている。ブラジルから始まった経験に、さらに経験を重ね挑戦したいと意欲を語った。
囲みインタビュー
ーーー(銀メダルで)ゴールした時の気持ちは?
早瀨「実際は3位で走り、ゴールしたのですが、1位のウクライナの選手がレース中の違反で失格となったため2位となりました。アナウンスは聴こえないので、チームの仲間がゴールにいて2番だよ!と教えてもらったんです。1位の選手の気持ちを考えると、嬉しさを表現するのに戸惑いましたが、サポートの積み重ねや自分も頑張ったから、競技として堂々と喜ぼうという気持ちになりました」
ーーー初の試合では緊張しましたが?
川口「昔からの憧れのデフリンピックでワクワクという気持ちでしたが、自分が決まれば準決勝に進めるという場面ですごく緊張しました。プレッシャーを感じましたが、銅メダルにつながる成果を出せてよかった」
川口はトヨタ自動車で仕事をしながら卓球部で健常者と練習している。
ーーー競技環境は良かったか?
早瀨「まずは今回コロナ禍で準備期間も短いなか、開催準備をしっかりしてくれたことに感謝している。国際大会では想定外のことがおこる。足りない部分もあったが、100%を求めてはいないと思う」
ーーーブラジル人のスポーツへの関心について
早瀨「バイクの場合、道があまりよくないので、ロードよりもマウンテンバイクのほうが(競技人口は)多いようです」
いずれも競技として強化している印象はなく、開催国枠でチームを出すということだったようだ。「マウンテンバイクもロードも、自分の国で開催するとき、選手も出場する。ブラジルもトルコのサムスンのときもそうでした。自国開催をきっかけに機運が高まり、出場する選手もいてマウンテンバイクを広めるきっかけになったと思います」
川口「卓球の場合、近くに学校があって100人ぐらいの子供たちが見に来てくれました。デフリンピックを開催することに対しての関心があることを感じました」と、川口はカシアス・ド・スルで地元の多くの子どもたちが来てくれたことが嬉しく、応援にもなったようだ。
ーーー(早瀨選手は)最高齢だったんですか?
早瀨「女子選手としては最年長(47歳)だったと思います。東京2020では、スポーツの平等という方針を示したが、聴覚障害者のスポーツで女子のスポーツができる環境は少ない。男女差別がなくなるのもまだかなと思います。東京パラリンピック(ロード)で50歳の杉浦佳子さんが金メダルを獲得しました。2025年は私が50歳になるので、私も倣いたいと思います」
賞状、記念の盾、花束が贈られ、式典のあと東京パラリンピックを取材した記者など、デフリンピックに注目した記者たちが多く訪れ囲み取材がなごやかなムードで行われた。
(この記事は7月2日にパラフォトに掲載された記事と同じ内容です)