祭り上げては突き落とす。SNS社会に翻弄される父親は、息子のヒーローでいられるか。『英雄の証明』
「美談」が一転、「疑惑」に。
男は「名誉」を守ろうとした。
「ファルハディ監督はこれまで自身に近い都会の中流層階級を描いてきましたが、今回の主人公は労働者。主人公に自分を投影するのではなく、SNSなどで誰かをあっという間にヒーローに祭り上げ、あっというまに突き落とす現代社会がテーマにありますね」
『別離』(‘11)、『セールスマン』(‘16)で2度のアカデミー賞外国語映画賞に輝いているイランの名匠アスガー・ファルハディの長編第9作『英雄の証明』は、借金を返せなかったために服役中の男のある選択が招く事態を描くヒューマン・サスペンス。
婚約者のファルコンデが拾ったバッグに入っていた17枚の金貨で、借金を返済しようとしたラヒムが、思い直して、落とし主に金貨を返すことに。その善行がメディアに報じられたことから、正直者の囚人として称賛され、美談の英雄に祭りあげられるが、SNSで広まった噂をきっかけに状況が一変する。
借金を返せないと刑務所に入ることになったり、服役中でも「休暇」で家に帰ることができるなど、イランならではの背景はあるものの、国や文化を越えた人間ドラマのリアルさに引き込まれずにいないのはファルハディ監督作ならでは。モフセン・マフマルバフ監督『サイクリスト』(‘89)を皮切りに日本で公開されるイラン映画のほとんどの字幕翻訳に関わり、本作の字幕監修を手がけたショーレ・ゴルパリアンさんに作品の理解をさらに深めるための話を聞いた。
「賞賛」から一転、そもそも善行などなかったのではと「疑惑」の対象となったラヒムは、名誉を守るために小さな嘘をついてしまうのだが…。日本でも「世間体」や「体面」を重んじるが、彼の行動からはイランの人々にとっては「名誉」がいかに大切かが伝わってくる。
「そのへんの感覚は日本人には近いんです。ただ、日本では“世間が”と口にするけれども、イランの場合の名誉は世間に対してよりも、家族の中の名誉。さらに、自分ための名誉というのがある。特に男性の場合は、自分自身のヒーローになりたい、自分自身の名誉を守りたいという思いがある。イランは大ペルシャの国なので、その歴史的な誇りが私たち一人一人の心に残っているんです」
高みに上がり、すぐ降ろされる。
冒頭の遺跡シーンが暗示するもの。
『別離』や『セールスマン』の舞台が首都テヘランだったのと異なり、今作は古都シラーズ。「イラン人の重要で輝かしいアイデンティティの痕跡で満ちている」とファルハディ監督がいう都市だ。
冒頭、ラヒムが砂漠の中を歩いている姿が映し出されるが、彼が向かっているのは遺跡。それはまさに「誇り」や「名誉」の象徴なのではと考えたくなる。
「シラーズを選んだのは古都であることも理由の一つ。冒頭のシーンでは、さらにラヒムが立派な遺跡を歩いて上がっていく。でも、せっかく上がったのに、すぐ降りないといけないじゃないですか。これから始まるストーリーを暗示しているように感じました」
「もう一つは、大都会のテヘランでは東京と同じように、人と人の関わりが薄くなっているから。でも、一歩地方に行くと、まだまだ1人の問題はみんなの問題になりうるし、家族の絆や繋がりはとても強い。この作品でもラヒムの問題はみんなの問題になって、いろんな人が関わってくる。タクシーの運転手までラヒムの力になろうとするのは地方だからこそと言えます」
事実が正しく伝わらず、追い込まれていくラヒムには、シアヴァシュという吃音の息子がいる。先頃公開された『白い牛のバラッド』では夫を冤罪で亡くした主人公には耳の聞こえない娘がいた。同時期に公開された社会派のイラン映画の子供たちの設定は、事実をうまく伝えられなかったり、主人公母娘だけがある事実を知らなかったことの暗喩なのではと深読みしたくなる。
頼りない父親が、
息子のヒーローであるために
「監督から聞いたところによると、最初は息子を吃音にするつもりはなかったそうです。どこか頼りないラヒムが、息子の視線からだけでもヒーローになるためにはどうすればいいのか。それで、刑務所職員が世間の同情をひくために息子の吃音を利用しようとするシーンを考えたらしいんです。さまざまなことを目撃し、いろいろな言葉も耳に入るんだけど、何も言えないシアヴァシュを最終的に守ってくれるのは父親。つまりシアヴァシュにとって、ラヒムはヒーローなんです」
はたして、ラヒムの騒動はどんな結末を迎えるのか。ファルハディ監督は、世間の評判に翻弄されるラヒムや周囲の人々を静かな力強さで映し出しながら凝視させ続けるが、登場人物たちの胸の内をわかりやすく示さない。それがさらに物語を深いものにする。
「問いを投げかけるけれども、答えははっきり出さない。答えは一人一人が見つければいいと。ファルハディ監督に、“観客それぞれが問いかけへの自分なりの答えを見つけたら、あなたが抱いている答えとは違うものになる”と言った人がいましたが、監督は“それは構いません”と。“投げかけられた題材について考えるだけで、私たちはもっとモチベーションを見つけることもできるし、もっと人間的になることができる。それを目指しています”とも言っていました」
「ファルハディ監督は白黒がはっきりした人物像は作らないし、いくつものレイヤーがあるグレーの人を描いていくから、私たちは登場人物の中に自分に似ているところを見つけることができる。だから、この作品を観ていても、この人も正しいし、あの人も正しいと感じてしまう。最初から最後までストーリーの進展とともにキャラクターの誰かになって一緒に考えているので、目を離せないんですよね」
確かに、ラヒムに金を貸した元妻の兄の怒りも、ラヒムが借金を返済できないことで持参金がなくなってしまったその娘の不満にも切り捨てられないものがある。間違った選択もしてしまうラヒムを通して、筆者の胸に響いたのは、信じ、寄り添ってくれる人たちの存在の大切さ。ショーレさんはどのように感じたのだろうか。
「私はファルコンデのことは結構気になりました。彼女は自分の家族にも愛を理解されていないし、愛する男もしっかり者なわけでもない。けれども、愛のためには自分が犠牲になっても構わないという真っすぐな力を持っている。自分の足で立ち、愛する男を守るという強さを、すごく彼女に感じたんですね。
ところが、イランの女性たちには、“なぜ、ファルハディ監督は女性を弱々しく描くんですか”と言われるんです。“私たちはもっと強いんですよ”という思いがある。でも、他国から見ると、“えっ、イランの女性はこんなに強いんですか”みたいに思われるでしょう? 日本の生活が長い私からしても、自分の愛のために戦い、相手の子供まで守ろうとするファルコンデの女性らしい強さはすごく好きですね」
(C)2021 Memento Production - Asghar Farhadi Production - ARTE France Cinema
『英雄の証明』
Bunkamuraル・シネマ、シネスイッチ銀座、新宿シネマカリテほかで公開中。